三太郎さん
レビュアー:
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劇の冒頭の三人の魔女の台詞「きれいはきたない、きたないはきれい。」をこれまでの翻訳者はどう訳してきたか。
偶然に近所のブックオフで見つけた。「マクベス」の新訳なのだという。この本は2013年に出版されているが、巻末の著者による解説が興味深い。ここでは史実の実在したマクベス王と、その伝承と、シェイクスピア劇に見られるマクベスとの違いを解説している。また、これまでに出版され新訳が参考にした19冊の先行する翻訳のリストが挙げられている。
本訳とこれまでの訳との比較をすると、例えば・・・劇の冒頭の三人の魔女の台詞「きれいはきたない、きたないはきれい。」という、坪内逍遥の訳で有名な箇所は、著者の訳では「善は悪、ならば悪は善。」となっている。その他の18名の翻訳者による訳も併せて載っているが、坪内の訳を継承したものが多いようだ。その他の訳としては・・・
小田島雄志訳の「いいは悪いで悪いはいい、」は著者の訳に近い。一方、安西徹雄訳は「はればれしいなら まがまがしい、まがまがしいなら はればれしい」となっており独自路線だ。永川玲二訳は「光は闇よ、闇は光よ、」でこれも独自だ。
原文では Fair is foul, and foul is fair, となっていた。スポーツでのフェアとファウルを思うと、坪内訳は素直な訳のような気がする。
さて,シェークスピア劇ではスコットランド王のダンカンを家臣のマクベスが自分の城内で暗殺し、挙兵したダンカン王の息子のマルコムの軍によって討ち取られる。
一方、史実ではダンカン一世は戦闘中にマクベスに殺されている。歴史上のダンカン王は軍事的な才能に乏しく5年9ヶ月の在位中に何度も兵を出し敗戦している。
そもそも、ダンカン一世はマルコム二世の長女の長男であったが、そのマルコム二世はマクベスの父を殺した張本人だった。おまけに、マクベスはマルコム二世の次女の息子で、ダンカンとマクベスは従弟同士だった。つまりマクベスも王の一族で、王位を主張できる立場だったのだ。
当時(11世紀)のスコットランドでは王族同士が王権を巡って殺し合いをしていたらしい。日本の戦国時代の下剋上とは事情が異なっていたようだ。ダンカン一世は反乱を起こしたマクベスの軍をその領内へ追撃して返り討ちにあったようだ。1040年にマクベスは正式なスコットランド王となった。
その後、ダンカン一世の長男のマルコムはイングランド王の援助を受けてスコットランドへ侵攻し、マクベス王は1057年にマルコムに殺された。マクベスの義理の息子が王位を継承したが、在位7ヶ月でやはりマルコムに殺されている。
マクベスが王権簒奪者で暴君だと言われる様になったのは、14世紀後半に成立したラテン語の「スコットランド人の年代記」に依ってだという。
15世紀初めにスコットランド語で書かれた「独自のスコットランド年代記」に初めて三人の魔女のあの予言が現われる。ただしここでは三人の「姉妹」であったが、のちに三人の「魔女」となったのは当時の魔女裁判の影響だろうという。
こうしてみるとシェークスピアの劇のアウトラインは既にあった年代記の記述に沿っていたことが分る。著者によればシェークスピアは1587年に出版されたホリンシェッドの「年代記」を基に劇を書いたという。しかし異なる点もある。
その年代記によると、眠っているところを家臣に殺されたのは、マルコム一世の息子のダフ王で、マクベスとは関係がない。また年代記では三人の女神となっていたのをシェークスピアは三人の魔女に変えている。「年代記」でマクベスは暴君と呼ばれていたがその在位期間は17年だったのに、劇では王になったと思ったら直ぐに殺されてしまう。シェークスピアは年代記の中の劇的なエピソードを抜き出して独自のマクベス像を作り上げた。
王を自分の手で殺害した後、夢遊病になりうわごとを言ったり、亡霊を恐れたり、気の弱い悪党ぶりを発揮しているのはシェークスピア独自のフィクションなのだろう。
ところで劇の冒頭の「 Fair is foul, and foul is fair. 」という言葉の意味は何なのでしょうかね。正と邪は等しいということかな。
本訳とこれまでの訳との比較をすると、例えば・・・劇の冒頭の三人の魔女の台詞「きれいはきたない、きたないはきれい。」という、坪内逍遥の訳で有名な箇所は、著者の訳では「善は悪、ならば悪は善。」となっている。その他の18名の翻訳者による訳も併せて載っているが、坪内の訳を継承したものが多いようだ。その他の訳としては・・・
小田島雄志訳の「いいは悪いで悪いはいい、」は著者の訳に近い。一方、安西徹雄訳は「はればれしいなら まがまがしい、まがまがしいなら はればれしい」となっており独自路線だ。永川玲二訳は「光は闇よ、闇は光よ、」でこれも独自だ。
原文では Fair is foul, and foul is fair, となっていた。スポーツでのフェアとファウルを思うと、坪内訳は素直な訳のような気がする。
さて,シェークスピア劇ではスコットランド王のダンカンを家臣のマクベスが自分の城内で暗殺し、挙兵したダンカン王の息子のマルコムの軍によって討ち取られる。
一方、史実ではダンカン一世は戦闘中にマクベスに殺されている。歴史上のダンカン王は軍事的な才能に乏しく5年9ヶ月の在位中に何度も兵を出し敗戦している。
そもそも、ダンカン一世はマルコム二世の長女の長男であったが、そのマルコム二世はマクベスの父を殺した張本人だった。おまけに、マクベスはマルコム二世の次女の息子で、ダンカンとマクベスは従弟同士だった。つまりマクベスも王の一族で、王位を主張できる立場だったのだ。
当時(11世紀)のスコットランドでは王族同士が王権を巡って殺し合いをしていたらしい。日本の戦国時代の下剋上とは事情が異なっていたようだ。ダンカン一世は反乱を起こしたマクベスの軍をその領内へ追撃して返り討ちにあったようだ。1040年にマクベスは正式なスコットランド王となった。
その後、ダンカン一世の長男のマルコムはイングランド王の援助を受けてスコットランドへ侵攻し、マクベス王は1057年にマルコムに殺された。マクベスの義理の息子が王位を継承したが、在位7ヶ月でやはりマルコムに殺されている。
マクベスが王権簒奪者で暴君だと言われる様になったのは、14世紀後半に成立したラテン語の「スコットランド人の年代記」に依ってだという。
15世紀初めにスコットランド語で書かれた「独自のスコットランド年代記」に初めて三人の魔女のあの予言が現われる。ただしここでは三人の「姉妹」であったが、のちに三人の「魔女」となったのは当時の魔女裁判の影響だろうという。
こうしてみるとシェークスピアの劇のアウトラインは既にあった年代記の記述に沿っていたことが分る。著者によればシェークスピアは1587年に出版されたホリンシェッドの「年代記」を基に劇を書いたという。しかし異なる点もある。
その年代記によると、眠っているところを家臣に殺されたのは、マルコム一世の息子のダフ王で、マクベスとは関係がない。また年代記では三人の女神となっていたのをシェークスピアは三人の魔女に変えている。「年代記」でマクベスは暴君と呼ばれていたがその在位期間は17年だったのに、劇では王になったと思ったら直ぐに殺されてしまう。シェークスピアは年代記の中の劇的なエピソードを抜き出して独自のマクベス像を作り上げた。
王を自分の手で殺害した後、夢遊病になりうわごとを言ったり、亡霊を恐れたり、気の弱い悪党ぶりを発揮しているのはシェークスピア独自のフィクションなのだろう。
ところで劇の冒頭の「 Fair is foul, and foul is fair. 」という言葉の意味は何なのでしょうかね。正と邪は等しいということかな。
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1957年、仙台に生まれ、結婚後10年間世田谷に住み、その後20余年横浜に住み、現在は仙台在住。本を読んで、思ったことあれこれを書いていきます。
長年、化学メーカーの研究者でした。2019年から滋賀県で大学の教員になりましたが、2023年3月に退職し、10月からは故郷の仙台に戻りました。プロフィールの写真は還暦前に米国ピッツバーグの岡の上で撮ったものです。
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- 出版社:晃洋書房
- ページ数:0
- ISBN:9784771024670
- 発売日:2013年07月01日
- 価格:1760円
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