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ぽんきち
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東風は吹く。春は来る。いつか。必ず。
菅原道真といえば、学問の神様である。と同時に、死後、怨霊となり、自らを追い落とした者たちを祟り殺したという伝説の持ち主でもある。
そんな伝説が生まれたのは、彼が、おそらく無実の罪を着せられて、大宰府に左遷され、彼の地で衣食住も満足でないまま、不遇の死を遂げたためだ。以後、都では道真の政敵の急死が相次ぎ、御所に雷が落ちるなどの事件もあった。これが道真の祟りとされ、恐れられたのだ。
道真は神として祀られるようになり、京都・北野に北野天満宮が、没した地の大宰府には大宰府天満宮が作られた。学者であった道真は学問の神様となり、多くの人が学業成就を願ってお詣りするようになっている。

本書は道真が主人公の歴史小説。
道真を主題にした作品はこれまでにもいくつも出ているだろうが、本書では、政治家・道真として描かれているのが目立つ点だ。さらに、太宰府以前に赴任したことがある讃岐での経験にスポットライトを当てていることが特徴だろう。

物語の視点は、道真本人と、幼少時より道真に仕える味酒安行(うまさけのやすゆき)の2人の間で切り替わる。安行は実在の人物であり、道真の最期まで付き従った、いわば腹心の家臣である。現在もその子孫が太宰府天満宮で神職を務めている。

冒頭は大宰府への左遷シーンで始まる。
けれども実は道真が「左遷」されるのはこれが最初ではなかった。先立つこと15年前、讃岐の国司となるよう宣旨が下ったのである。物語は回想の形で当時の道真の想いを描く。
道真はこの人事に不満だった。文章博士であり、式部省少輔を9年務め、なぜ今更、僻地の国司なのか。
失意のうちに任地に赴くのだが、実のところ、かの国で、彼は思いもよらなかった「現実」を目にする。それまでは、学問の世界、現実の社会からはいささかかけ離れた世界に閉じこもっていたようなものだったのだ。
讃岐は空海上人の故郷である。水利が困難で、古来、水害と旱魃に苦しんできた。空海はため池を整備し、堰を作るなどして、水の制御に努めたことでも知られる。
だが如何せん、結局は自然相手。一方で、国の税制は古くからの制度の班田を基本とし、実情に合わない部分があっても臨機応変に徴収の仕方を変えることもできない。規定通りの税を納めることができず、中央からは地方政治の怠慢と見られているが、そうではない。民は苦しんでいるのだ。
学問一辺倒で、左遷を嘆いていた道真も、何とかせねばと考えを巡らせる。いくつかの出会いが彼を変えていく。さらに衝撃的な出来事をきっかけに、彼は大きな決意を固める。

任期を終えて都に戻り、税制改革に奔走する道真だが、障害は多かった。
彼は途中から、自分がこれを成し遂げることはない、成功を目の当たりにするのは難しいことに気づく。
そして案の定、二度目の、かつ最後の左遷が彼を待っていた。

タイトルが暗示するように、物語は、道真の有名な和歌に向かっていく。
東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花
あるじなしとて 春を忘るな

道真が無実の罪を着せられ、太宰府に旅立つことになったのは如月一日。さまざまな花に先駆けて咲くことから、「花の兄」とも呼ばれる梅花ですらまだ咲いてはいない。
道真の志も半ばなのだ。
だがしかし、春はいずれ来る。自分がなしえなかったことは誰かが引き継いでくれるはずだ。
その想いが込められたかのような和歌に、ふと胸を突かれる。

史実として、道真は本当に大きな改革に取り組んでいたのかどうか、そのあたりがよくわからないのだが、そうでありえたのかもしれないと思わせる物語である。
この道真は、おそらく、政敵に祟るまい。そして学問を収めようとする衆生の前途を祝福してくれるのではないか。

読後に微かに梅の香が漂う。そんな読み心地である。
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ぽんきち
ぽんきち さん本が好き!免許皆伝(書評数:1828 件)

分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。

本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。

あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。

「実感」を求めて読書しているように思います。

赤柴♀(もも)は3代目。
この夏、有精卵からヒヨコ4羽を孵化させました。そろそろ大雛かな。♂x2、♀x2。ニワトリは割と人に懐くものらしいですが、今のところ、懐く気配はありませんw

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