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紅い芥子粒
レビュアー:
はなやかな舞踏会。フランス人将校に身を預け、ほほを染め息を弾ませながら舞う令嬢の姿が、目に浮かぶようだ。
大正九年「新潮」一月号に発表された作品である。

大正七年の秋、ある青年小説家が、鎌倉へ向かう汽車の中で、知り合いの老夫人といっしょになった。老夫人の名は、明子さん。名家の奥様である。
青年は、鎌倉の知人に贈るべく持参していた菊の花束を、網棚に載せた。
馥郁と香りを放つ見事な花束だったのだろう。
明子さんは、菊の香に誘われるように、ある思い出を語り始めた。

明治十九年十一月三日の夜のこと。その日は、天長節。
天皇陛下の誕生日を祝して、鹿鳴館で盛大な舞踏会が、催された。
ブルジョワ令嬢の明子も、頭の禿げ上がった父親と共に、舞踏会に招かれた。
生まれて初めての正式な舞踏会。階段にも舞踏室にも、菊の花が咲き乱れていた。
着飾った令嬢たちの中でも、明子の美貌は、ひときわ殿方の目を引いた。
ひとりのフランス人将校が、明子に歩み寄り、丁寧にお辞儀して、手を差し伸べる。
明子は、こんな日のために、ダンスとフランス語を学んでいた。
長身のフランス人将校と神秘的な人形のように小柄な明子。
ふたりは、くるくると軽やかに舞い続けた。
ふたりが舞い疲れたころ、夜空に赤と青の花火が上がった。
フランス人将校と見上げたその花火が、悲しいほどに華やかで美しかったことを、明子は、いまでもあざやかに覚えている……

明子さんが語り終えると、青年小説家は、もしやと思いたずねた。
奥様はそのフランス人将校の名をご存知ではありませんか?
老いたる明子さんは、答えた。
ええ、存じております。ジュリアン・ヴィオとおっしゃる方です。
ああ、やっぱりそうだ、と青年小説家は興奮を抑えることができない。
そのひとは、フランス人将校にして有名な小説家、ピエル・ロティ。
小説『お菊夫人』の作者。
そして、目の前の明子さんこそ、お菊さんのモデルだったのだ!
しかし、当の明子さんは、ピエル・ロティの本名がジュリアン・ヴィオとは知らず、ジュリアン・ヴィオという名をつぶやくばかりだった。

華やかな舞踏会。ほほを染め息を弾ませて舞う令嬢の姿が、目に浮かぶようだ。
一瞬の花火のような生涯一度の思い出を語る、上品な老夫人の美しい表情も。
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紅い芥子粒
紅い芥子粒 さん本が好き!1級(書評数:559 件)

読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。

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この書評へのコメント

  1. noel2022-06-04 21:41

    なぁ~んだ、あのコメントはここに誘導するための伏線(それともフラグ?)だったのですね。巧くノセられてしまいました。ひよっとして、芥川は、本多子爵夫人の後世を書いたのかもしれませんね。

  2. 紅い芥子粒2022-06-04 22:10

    >ひよっとして、芥川は、本多子爵夫人の後世を書いたのかもしれませんね。

    そうしたかったらしいのですが、年代が合わなかったので、あきらめたようです。
    でも、あの明子はこの明子ですよ、きっと。

  3. noel2022-06-04 22:16

    やっぱり。

  4. No Image

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