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指名献本書評
かもめ通信
レビュアー:
たとえ「戦争」が終わっても、「平和」も「平穏」も当たり前に訪れはしないのだと改めて。
1945年2月のベルリン。
12歳の少女エネは、祖父母と3人で暮らしている。
少し前まで彼女は、祖父母のことを自分の両親だと思っていた。

もうすぐ戦争が終わるのだから……と、祖父が重い口を開いて語ったのは、自分たちには3人の息子がいること。
長男のヘレは強制収容所に、次男のハンスは亡くなり、末っ子のハインツは出征していて、エネの父はヘレだという。

12年前、ナチスはエネの母親を連行し、彼女はそこで死亡、その後父親のヘレが強制収容所に送られたのだ。

両親はいったいなにをしたのかと問うエネに祖父は、「あのふたりはほかの人たちよりも賢かっただけだ」「ヒトラーについていけばどうなるかわかっていたんだ」と答えるのだった。

祖父母は少しずつ色々なことを話してくれたが、3人の息子の他にもう一人娘がいたことは話さなかった。
その娘マルタが、子どもたちを連れて会いに来るまでは。
マルタはかつて「ナチスが貧乏から救い出してくれると信じて」、家族を捨てて出て行ったのだった。


連日連夜空襲警報が鳴り響き、連合国軍の空爆で大勢の人が死に、街は廃墟に。
生き残った人々は恐怖と飢えに苛まれる。

やがてソ連軍がやってくる。
女とわかれば、なにをされるかわからない。
機転を利かせた祖母は、エネの髪を切り、息子の服を着せるのだった。




クラウスゴルドンのベルリン三部作の最終章、 ベルリン1945を原作とし、第二次世界大戦末期から終戦直後にかけての荒廃したベルリンを、一人の少女の目を通して描くグラフィックノベル。

大好きな小説が映画化されてがっかり、ということはままありがちなので、正直に言えばおそるおそる手にした本だった。

最初に読んだ時には、(原作にあるあの場面、この場面はどうなったのだ?)といったことばかりが気になったのだが、試しに原作を知らない家族に少し読んでもらったらなかなかの好感触だったので、改めて“原作とは別物”と気持ちを切り替えて、最初からゆっくり読んでみた。

馴染みのないタッチに最初こそとまどったが、慣れてくると絵が文字よりも雄弁に語っているシーンも多いことにも気づく。

大人たちのそれぞれの食い違う言い分ですら、ありのまま見つめつづけるしかない、少女の視点がいきている。

平和は戦争が終わったら、当たり前のように訪れるものではない。
平穏な暮らしや平和な社会は、一から築きあげていていかなければならないものなのだと、改めて思い至る。
今も戦禍の街で暮らす人々のこれからを思うと心が痛む。

<関連レビュー>
●クラウスコルドン ベルリン三部作
『ベルリン1919』
『ベルリン1933』
『ベルリン1945』

『ベルリンは晴れているか』(深緑野分著)
『劇画ヒットラー』(水木しげる作)
    • せっかくなので原作翻訳本と記念撮影。
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かもめ通信
かもめ通信 さん本が好き!免許皆伝(書評数:2234 件)

本も食べ物も後味の悪くないものが好きです。気に入ると何度でも同じ本を読みますが、読まず嫌いも多いかも。2020.10.1からサイト献本書評以外は原則★なし(超絶お気に入り本のみ5つ★を表示)で投稿しています。

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この書評へのコメント

  1. noel2022-04-14 11:46

    >平和は戦争が終わったら、当たり前のように訪れるものではない。

    ウクライナも、「その後」(postwar)が大変ですね。

  2. No Image

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