hackerさん
レビュアー:
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ここ20年ぐらいの間に私が読んだスペイン文学の中では、アデライダ・ガルシア=モラレスの『エル・スール』と並んで、最も感銘を受けた『狼たちの月』を書いたフリオ・リャマサーレスの短篇集です。
本書は、1955年生まれのスペインの作家フリオ・リャマサーレスの二つの短篇集、『僻遠の地』(1995年)と『いくら熱い思いを込めても無駄骨だよ』(2011年)に、もう一つの短篇『水の価値』を加えたものです。『僻遠の地』の序文の中で、作者は次のように述べています。
「短篇、あるいは短い物語は作品の強度、長さ、物語性、想像力といったものを詩や小説と共有している。小説と詩という二つのジャンルにまたがっている短篇、あるいは短い物語は、たとえば旅行記や年代記といったジャンルによく見られるようにマイナーな文学という評価がなされているが、実際はまったく逆である。短篇は語り手にとってこの上ない厳しい試練であり、作家の長所と短所が隠しようもなく暴きだされる場、些細なミスをしてもその償いをつけなければならない文学の僻地である。ひとりの小説家の真の資質を知りたければ、彼の短篇を読まなければならない。なぜなら、その人の作品の萌芽が秘められているからである」
含蓄のある言葉ですが、実際に書いたものはどうだったのでしょうか。
まず、『僻遠の地』の方ですが、7作が単行本約80ページに収められていることからも、掌篇集と呼んでも構わないでしょう。実は、この掌篇集は、あまり気に入っていないのです。ほぼ、すべての作品が、ありふれた日常生活が、あることをきっかけに崩壊する様を描いていて、この作家としては珍しいと思われる、ブラック・ユーモア若しくは不条理譚に分類できるものが多いです。ですが、意識して出さないようにしたと思われる、没感情的な語り口で、登場人物へのシンパシーがあまり感じられません。その中では、ほとんど言葉を交わさない父親と、その友人の深い友情を語った『木の葉一枚』が印象的でした。
これに比較すると、『いくら熱い思いを込めても無駄骨だよ』は傑作ぞろいです。いくつか紹介します。
●『ジュキッチのペナルティー・キック』
「いいこと、とにかくペナルティー・キックを決めてやろうなんて考えはだめよ」
所属しているデボルティーノ・デ・ラ・コルーニャが、この試合に勝てばスペイン・リーグの優勝が決まる、引き分け以下では優勝できないという最終戦に臨む主人公ジュキッチは、妻にこう言われて送り出されます。試合は、両チーム無得点のまま進みます。優勝が絶望かと思われた試合終了1分前、チームはペナルティー・キックを得ます。そして、本来キックを打つべき選手が、直前に交代していたため、主人公がそれを打つことになります。ジュキッチの脳裏には、貧しい家庭に生まれ、戦禍を逃れて幸運にも恵まれて、現在の地位にまでたどり着いた、これまでの人生がよぎります。果たして、ペナルティー・キックは成功するのでしょうか。なお、デボルティーノ・デ・ラ・コルーニャには、セルビア出身のミロスラヴ・ジュキッチという選手が在籍しており、その選手をモデルにした作品のようです。
●『マリオおじさんの数々の旅』
マリオおじさんは、長年勤めていたイタリア南部の郵便局を定年退職した後、妻と二人の生活を楽しんでいましたが、癌で余命わずかとの宣告を受けます。おじさんは、イタリア各地に散らばって生活している兄弟たちと死ぬ前に会う旅に出ます。一番仲が良く、今でもよく電話で話しているカルロおじさんにだけは、会った時に自分が長く生きられないことを告げました。そうすると、カルロおじさんはしばらく黙った後「おれも話しておかなければならないことがある」と言い、こう続けます。
「お前のことを忘れていなかった。あれから長い年月が経つので信じられないかもしれないが、お前のことを忘れちゃいなかったんだよ」
実は、マリオおじさんには、第二次大戦中ギリシャに駐留していた時に出会った、将来を誓い合った恋人がいたのです。イタリア帰国後も、しばらく文通を続けていたのですが、突然音信不通になりました。そうして、マリオおじさんは、現在の妻である自分の秘書と結婚をしたのでした。こうして、マリオおじさんは、50年経ってから、ある真実を知ったのです。
●『依頼された短篇』
作家の「私」は、知りあいの新聞社文化部編集長からの依頼で、あまり気乗りしなかった短篇小説を書くことになります。筆が遅い「私」は、ある長編小説の仕上げの段階だったのですが、稿料は良く、3年間作品を発表していないこともあって、引き受けたのでした。ところが、これが書けないのです。アイデアはいくつか浮かぶのですが、少し書いては出来に満足できず、放棄してしまいます。そうしている間にも、締め切りは日に日に近づくのでした。
これは、作者の実話がベ-スではないかと思います。創作の苦しみを、面白おかしく語った作品です。
●『夜の医者』
リャマサーレスの作品で、私が最も好きなのは、スペイン内戦終了後も山間部で反フランコのゲリラとして生きる四人の若者を描いた『狼たちの月』(1985年)です。こういうゲリラをマキスと呼ぶそうですが、本作では作家である「ぼく」が、山間部に住んでいる90歳の老婦人から聞いたマキスのエピソードが語られています。それは、彼女の一番下の娘―その場に同席していました―が生まれてすぐに重病になった時のことでした。ある極寒の冬の夜、三人のゲリラがやって来て、あまりにも寒いので少し室内で休ませてほしいと言います。断るわけにもいかず、彼らを招き入れますが、そのうちの一人は医者だったようで、重病の娘を診察し、解熱剤を与えます。ゲリラたちはそのまま去りますが、翌日医者が再びやって来て、今度は病人に注射をして、薬を与えます。そして、その後も、娘が全快するまで、時々姿を見せたのでした。
これも「ぼく」は作者自身ではないかと思わせる作品です。
●『プリモウト村には誰ひとり戻ってこない』
「ぼく」が若い頃、正規の教員が結核にかかったため、9ヶ月教鞭をとることになったプリモウト村という山間部の村がありました。「電気も水道も来ていなかったし、住居も何世紀も前からほとんど変わっていなかった」村で「生活は厳しく、村全体が貧しい暮らしを強いられて」いました。しかし「ぼく」は、この村の生活が嫌いだったわけではなく、村長の家に下宿し、村長から村の歴史や今までいた教師の話を聞くのも楽しみでした。村を去る時には「9ヶ月自分の世界として生きてきたあの村から遠ざかっていくにつれて、自分の故郷が失われていくような深い悲しみを覚えた」ほどでした。そして「50年後、テレビ局でぼくの人生の足跡をたどった番組が制作されることになり、撮影スタッフと共にふたたびあの地を訪れた」のですが、そこで見たのは無人の荒れほうだいの廃村だったのです。
リャマサーレスの作品に、滅びゆく村を語った『黄色い雨』(1988年)があります。本作は、それを連想させる内容です。本作の「ぼく」も、作者自身のようです。なお、題名は、「ぼく」が村を去る際に、村長から言われた言葉です。
●『明日という日(寓話)』
これは全文を紹介します。
「ぼくの両親は、明日という日を考えて一生を送った。明日という日のことを考えておくんだ、明日という日に備えて蓄えをしておくんだ、とよく言ったものだった。しかし、明日という日はやってこなかった。何カ月も、何年も過ぎていったが、明日という日はやってこなかった。
実を言うと、今はもうぼくの両親は亡くなってこの世にいないし、明日という日はまだやってきていない」
さて、二つの短篇集に収められていなかった作品が次になります。
●『水の価値』
フリオの祖父は、生まれ故郷の村がダム湖に沈み、フリオが物心ついたころから一緒に暮らしていました。祖父はフリオには、村の最後の日のことを語ったりしましたが、フリオは聞き流していました。やがて、歩行にも認知機能にも問題が生じてきた祖父は、老人ホームに入ります。親族の老人ホームへの訪問も稀になってきたころ、たまたま祖父とフリオの二人だけになった時、祖父はフリオにスリッパが入っている古い箱を見せます。その箱には、祖父が住んでいた土地の名が記されていました。そして、祖父は自分が死ぬまで箱のことは両親に言わないことを誓わせ、フリオにある約束をさせたのでした。
スペイン語版Wikipediaによると、作者の祖父は、実際にダム湖の没した村の出身でした。本作のフリオも作者自身でしょうが、そのことが読者にはっきり分かるように、主人公にフリオという名前を与えたのだと思います。
さて、お分かりだとおもいますが、『いくら熱い思いを込めても無駄骨だよ』収録作と『水の価値』は、冒頭で引用した「ひとりの小説家の真の資質を知りたければ、彼の短篇を読まなければならない。なぜなら、その人の作品の萌芽が秘められているからである」という言葉通りになっていると思います。ただ、繰り返しになりますが、この言葉は、最初の短篇集『僻遠の地』の序文に書かれていたもので、『僻遠の地』もそういう意図をもって書かれたのかもしれません。残念なことに、リャマサーレスの長篇小説は9作のうち2作しか翻訳が出ておらず、私の知識として『僻遠の地』の内容をきちんと理解していないのではないかという危惧はあります。できれば、未訳の7作品も翻訳してもらいたいものです。それだけの価値がある偉大な作家だと思います。
「短篇、あるいは短い物語は作品の強度、長さ、物語性、想像力といったものを詩や小説と共有している。小説と詩という二つのジャンルにまたがっている短篇、あるいは短い物語は、たとえば旅行記や年代記といったジャンルによく見られるようにマイナーな文学という評価がなされているが、実際はまったく逆である。短篇は語り手にとってこの上ない厳しい試練であり、作家の長所と短所が隠しようもなく暴きだされる場、些細なミスをしてもその償いをつけなければならない文学の僻地である。ひとりの小説家の真の資質を知りたければ、彼の短篇を読まなければならない。なぜなら、その人の作品の萌芽が秘められているからである」
含蓄のある言葉ですが、実際に書いたものはどうだったのでしょうか。
まず、『僻遠の地』の方ですが、7作が単行本約80ページに収められていることからも、掌篇集と呼んでも構わないでしょう。実は、この掌篇集は、あまり気に入っていないのです。ほぼ、すべての作品が、ありふれた日常生活が、あることをきっかけに崩壊する様を描いていて、この作家としては珍しいと思われる、ブラック・ユーモア若しくは不条理譚に分類できるものが多いです。ですが、意識して出さないようにしたと思われる、没感情的な語り口で、登場人物へのシンパシーがあまり感じられません。その中では、ほとんど言葉を交わさない父親と、その友人の深い友情を語った『木の葉一枚』が印象的でした。
これに比較すると、『いくら熱い思いを込めても無駄骨だよ』は傑作ぞろいです。いくつか紹介します。
●『ジュキッチのペナルティー・キック』
「いいこと、とにかくペナルティー・キックを決めてやろうなんて考えはだめよ」
所属しているデボルティーノ・デ・ラ・コルーニャが、この試合に勝てばスペイン・リーグの優勝が決まる、引き分け以下では優勝できないという最終戦に臨む主人公ジュキッチは、妻にこう言われて送り出されます。試合は、両チーム無得点のまま進みます。優勝が絶望かと思われた試合終了1分前、チームはペナルティー・キックを得ます。そして、本来キックを打つべき選手が、直前に交代していたため、主人公がそれを打つことになります。ジュキッチの脳裏には、貧しい家庭に生まれ、戦禍を逃れて幸運にも恵まれて、現在の地位にまでたどり着いた、これまでの人生がよぎります。果たして、ペナルティー・キックは成功するのでしょうか。なお、デボルティーノ・デ・ラ・コルーニャには、セルビア出身のミロスラヴ・ジュキッチという選手が在籍しており、その選手をモデルにした作品のようです。
●『マリオおじさんの数々の旅』
マリオおじさんは、長年勤めていたイタリア南部の郵便局を定年退職した後、妻と二人の生活を楽しんでいましたが、癌で余命わずかとの宣告を受けます。おじさんは、イタリア各地に散らばって生活している兄弟たちと死ぬ前に会う旅に出ます。一番仲が良く、今でもよく電話で話しているカルロおじさんにだけは、会った時に自分が長く生きられないことを告げました。そうすると、カルロおじさんはしばらく黙った後「おれも話しておかなければならないことがある」と言い、こう続けます。
「お前のことを忘れていなかった。あれから長い年月が経つので信じられないかもしれないが、お前のことを忘れちゃいなかったんだよ」
実は、マリオおじさんには、第二次大戦中ギリシャに駐留していた時に出会った、将来を誓い合った恋人がいたのです。イタリア帰国後も、しばらく文通を続けていたのですが、突然音信不通になりました。そうして、マリオおじさんは、現在の妻である自分の秘書と結婚をしたのでした。こうして、マリオおじさんは、50年経ってから、ある真実を知ったのです。
●『依頼された短篇』
作家の「私」は、知りあいの新聞社文化部編集長からの依頼で、あまり気乗りしなかった短篇小説を書くことになります。筆が遅い「私」は、ある長編小説の仕上げの段階だったのですが、稿料は良く、3年間作品を発表していないこともあって、引き受けたのでした。ところが、これが書けないのです。アイデアはいくつか浮かぶのですが、少し書いては出来に満足できず、放棄してしまいます。そうしている間にも、締め切りは日に日に近づくのでした。
これは、作者の実話がベ-スではないかと思います。創作の苦しみを、面白おかしく語った作品です。
●『夜の医者』
リャマサーレスの作品で、私が最も好きなのは、スペイン内戦終了後も山間部で反フランコのゲリラとして生きる四人の若者を描いた『狼たちの月』(1985年)です。こういうゲリラをマキスと呼ぶそうですが、本作では作家である「ぼく」が、山間部に住んでいる90歳の老婦人から聞いたマキスのエピソードが語られています。それは、彼女の一番下の娘―その場に同席していました―が生まれてすぐに重病になった時のことでした。ある極寒の冬の夜、三人のゲリラがやって来て、あまりにも寒いので少し室内で休ませてほしいと言います。断るわけにもいかず、彼らを招き入れますが、そのうちの一人は医者だったようで、重病の娘を診察し、解熱剤を与えます。ゲリラたちはそのまま去りますが、翌日医者が再びやって来て、今度は病人に注射をして、薬を与えます。そして、その後も、娘が全快するまで、時々姿を見せたのでした。
これも「ぼく」は作者自身ではないかと思わせる作品です。
●『プリモウト村には誰ひとり戻ってこない』
「ぼく」が若い頃、正規の教員が結核にかかったため、9ヶ月教鞭をとることになったプリモウト村という山間部の村がありました。「電気も水道も来ていなかったし、住居も何世紀も前からほとんど変わっていなかった」村で「生活は厳しく、村全体が貧しい暮らしを強いられて」いました。しかし「ぼく」は、この村の生活が嫌いだったわけではなく、村長の家に下宿し、村長から村の歴史や今までいた教師の話を聞くのも楽しみでした。村を去る時には「9ヶ月自分の世界として生きてきたあの村から遠ざかっていくにつれて、自分の故郷が失われていくような深い悲しみを覚えた」ほどでした。そして「50年後、テレビ局でぼくの人生の足跡をたどった番組が制作されることになり、撮影スタッフと共にふたたびあの地を訪れた」のですが、そこで見たのは無人の荒れほうだいの廃村だったのです。
リャマサーレスの作品に、滅びゆく村を語った『黄色い雨』(1988年)があります。本作は、それを連想させる内容です。本作の「ぼく」も、作者自身のようです。なお、題名は、「ぼく」が村を去る際に、村長から言われた言葉です。
●『明日という日(寓話)』
これは全文を紹介します。
「ぼくの両親は、明日という日を考えて一生を送った。明日という日のことを考えておくんだ、明日という日に備えて蓄えをしておくんだ、とよく言ったものだった。しかし、明日という日はやってこなかった。何カ月も、何年も過ぎていったが、明日という日はやってこなかった。
実を言うと、今はもうぼくの両親は亡くなってこの世にいないし、明日という日はまだやってきていない」
さて、二つの短篇集に収められていなかった作品が次になります。
●『水の価値』
フリオの祖父は、生まれ故郷の村がダム湖に沈み、フリオが物心ついたころから一緒に暮らしていました。祖父はフリオには、村の最後の日のことを語ったりしましたが、フリオは聞き流していました。やがて、歩行にも認知機能にも問題が生じてきた祖父は、老人ホームに入ります。親族の老人ホームへの訪問も稀になってきたころ、たまたま祖父とフリオの二人だけになった時、祖父はフリオにスリッパが入っている古い箱を見せます。その箱には、祖父が住んでいた土地の名が記されていました。そして、祖父は自分が死ぬまで箱のことは両親に言わないことを誓わせ、フリオにある約束をさせたのでした。
スペイン語版Wikipediaによると、作者の祖父は、実際にダム湖の没した村の出身でした。本作のフリオも作者自身でしょうが、そのことが読者にはっきり分かるように、主人公にフリオという名前を与えたのだと思います。
さて、お分かりだとおもいますが、『いくら熱い思いを込めても無駄骨だよ』収録作と『水の価値』は、冒頭で引用した「ひとりの小説家の真の資質を知りたければ、彼の短篇を読まなければならない。なぜなら、その人の作品の萌芽が秘められているからである」という言葉通りになっていると思います。ただ、繰り返しになりますが、この言葉は、最初の短篇集『僻遠の地』の序文に書かれていたもので、『僻遠の地』もそういう意図をもって書かれたのかもしれません。残念なことに、リャマサーレスの長篇小説は9作のうち2作しか翻訳が出ておらず、私の知識として『僻遠の地』の内容をきちんと理解していないのではないかという危惧はあります。できれば、未訳の7作品も翻訳してもらいたいものです。それだけの価値がある偉大な作家だと思います。
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「本職」は、本というより映画です。
本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。
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- 出版社:河出書房新社
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- ISBN:9784309208534
- 発売日:2022年05月12日
- 価格:2805円
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