hackerさん
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「こどもは、せんそうなんか、けっしておこさないわ」 本書に登場するフロンフロンのママの台詞です。
作者のエルズビエタは「ポーランド生まれ。当時ドイツ領だったアルザスで育ち、イギリス、フランスに移り住む」と本書で紹介されています。アルザス=ロレーヌ地方は、石炭の産地だったこともあり、長年にわたって独仏の領土争いの舞台となってきました。現在の国境が確定したのも第二次大戦後です。ドーデが書いた、ドイツ領となったため、翌日からフランス語を教えることが禁じられた学校での最後のフランス語の授業の様子を描いた『最後の授業』の舞台は、この地方となります。フランス語で書かれ、1993年刊の本書の内容は、この地方の歴史が背景にあります。
本書は、フロンフロンという男の子と、おがわをはさんでくらしているミュゼットという女の子が主人公です。二人は、一日中いっしょにあそんでいて、「おとなになったら」「けっこんしたい」と互いにおもっていました。ところが、あるゆうがた、しんぶんをよんでいたパパがフロンフロンに言います。
「わるいニュースだよ。まもなく せんそうに なるだろう」
そして、せんそうがはじまり、パパはせんそうにでかけます。そして、ミュゼットの家との間にあるおがわには、いばらのかきねがはられていて、もうむこうにいくことができません。フロンフロンのママは言います。
「ミュゼットは、せんそうで てきの くにの こどもになってしまったの。あうなんて とても、むりなことよ」
そして、フロンフロンには、なぜするのか理解できない、せんそうは続きます。
「せんそうが、ひどくなってきました。みんなが、へいわにくらしたいというねがいを ききいれては くれません。せんそうは あばれまわっています。おそろしい ばくおんが ひびいています。おおきな ほのおが、そらまで もえあがっています。そして、すべてを こわしてしまいました」
でもある日、ようやくせんそうがおわり、「きずついて、とてもつかれて」パパがかえってきます。ですが、おがわのいばらのかきねはそのまま残っていました。フロンフロンは、そのことで「せんそうを たいじしてくれなかった」とパパをなじります。パパはいいます。
「せんそうは、けっして なくならない とおもうよ。おとなしくなることは あるんだけれど。だから、せんそうが、しずかに ねむっているときは、おこさないように、そっとして おかなくちゃ いけないんだ。みんなで、せんそうが、あばれはじめないように、きをつけていなければならないんだよ」
フロンフロンは、それでも、ミュゼットにあうために、おがわへと出かけていくのでした。
本書は、今読むと、国境などほとんど意識しないで行き来していたであろう、ロシアとウクライナ国境近辺に住む人たちのことを、まず思い起こします。そして、フロンフロンのパパの「せんそうは、けっして なくならない」という言葉は、イスラエルとパレスチナの状況だけでなく、世界全体を見ても、残念ながら、完全否定できないのが現実です。ですからなおさら「みんなで、せんそうが、あばれはじめないように、きをつけていなければならない」のです。しかし、いつも思うのですが、民族というのは、文化の継承という観点でとても大切だと思うものの、それが国境と絡むと、往々にして戦争の火種になるのは、過去の歴史が教えてくれることです。ですから、個人的には、国=民族という考えはとても危険だと思っています。ロシアのウクライナ侵攻に絡んで、どこだか覚えていないのですが、アフリカの某国高官が「我々の国境は欧米が勝手に引いたもので、その中には多くの民族がいるが、一つの国として一緒に暮らしている」という趣旨の発言をしていたのは、とても印象的でした。それは、国家というものが存続せざるをえないのなら、忘れてはならないことだと思います。
絵本という媒体は、人間として知っておくべき原理原則をシンプルに伝えるためには、とても適していると思います。本書はその好例でしょう。
本書は、フロンフロンという男の子と、おがわをはさんでくらしているミュゼットという女の子が主人公です。二人は、一日中いっしょにあそんでいて、「おとなになったら」「けっこんしたい」と互いにおもっていました。ところが、あるゆうがた、しんぶんをよんでいたパパがフロンフロンに言います。
「わるいニュースだよ。まもなく せんそうに なるだろう」
そして、せんそうがはじまり、パパはせんそうにでかけます。そして、ミュゼットの家との間にあるおがわには、いばらのかきねがはられていて、もうむこうにいくことができません。フロンフロンのママは言います。
「ミュゼットは、せんそうで てきの くにの こどもになってしまったの。あうなんて とても、むりなことよ」
そして、フロンフロンには、なぜするのか理解できない、せんそうは続きます。
「せんそうが、ひどくなってきました。みんなが、へいわにくらしたいというねがいを ききいれては くれません。せんそうは あばれまわっています。おそろしい ばくおんが ひびいています。おおきな ほのおが、そらまで もえあがっています。そして、すべてを こわしてしまいました」
でもある日、ようやくせんそうがおわり、「きずついて、とてもつかれて」パパがかえってきます。ですが、おがわのいばらのかきねはそのまま残っていました。フロンフロンは、そのことで「せんそうを たいじしてくれなかった」とパパをなじります。パパはいいます。
「せんそうは、けっして なくならない とおもうよ。おとなしくなることは あるんだけれど。だから、せんそうが、しずかに ねむっているときは、おこさないように、そっとして おかなくちゃ いけないんだ。みんなで、せんそうが、あばれはじめないように、きをつけていなければならないんだよ」
フロンフロンは、それでも、ミュゼットにあうために、おがわへと出かけていくのでした。
本書は、今読むと、国境などほとんど意識しないで行き来していたであろう、ロシアとウクライナ国境近辺に住む人たちのことを、まず思い起こします。そして、フロンフロンのパパの「せんそうは、けっして なくならない」という言葉は、イスラエルとパレスチナの状況だけでなく、世界全体を見ても、残念ながら、完全否定できないのが現実です。ですからなおさら「みんなで、せんそうが、あばれはじめないように、きをつけていなければならない」のです。しかし、いつも思うのですが、民族というのは、文化の継承という観点でとても大切だと思うものの、それが国境と絡むと、往々にして戦争の火種になるのは、過去の歴史が教えてくれることです。ですから、個人的には、国=民族という考えはとても危険だと思っています。ロシアのウクライナ侵攻に絡んで、どこだか覚えていないのですが、アフリカの某国高官が「我々の国境は欧米が勝手に引いたもので、その中には多くの民族がいるが、一つの国として一緒に暮らしている」という趣旨の発言をしていたのは、とても印象的でした。それは、国家というものが存続せざるをえないのなら、忘れてはならないことだと思います。
絵本という媒体は、人間として知っておくべき原理原則をシンプルに伝えるためには、とても適していると思います。本書はその好例でしょう。
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「本職」は、本というより映画です。
本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。
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- 出版社:朔北社
- ページ数:0
- ISBN:9784931284548
- 発売日:2000年04月01日
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