紅い芥子粒さん
レビュアー:
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この小説が発表されたのは1964年。少しも古さを感じない。差別したり、差別されたり。わたしたちは、いまも苦しんでいる。おそらく人が人である限り、この苦しみは続く。
戦後、「戦争花嫁」とよばれた多くの日本人女性がいた。
進駐軍の兵士と結婚して、アメリカに渡った人たちである。
笑子は、そんな「戦争花嫁」のひとりだった。
笑子の夫・トムは、アメリカ軍の黒人兵、伍長だった。
雲つくような大男で、おおらかで気前のよい男だった。
笑子がキャバレーで、客の荷物を預かる仕事をしていたときに知り合った。
そのキャバレーは、進駐軍が経営する黒人専用の店だった。
トムは、日本が好きで、ずっと日本で暮らしたいといっていた。
日本には”平和”と”平等”があるというのが、彼の口ぐせだった。
平和がある? アメリカが東京を焼け野原にしたくせに?
平等? アメリカ軍が日本を占領しているくせに?
考えてみれば奇妙な発言だが、トムは、くりかえしそういっていた。
焼け野原の、みんなが飢えている東京で、笑子と笑子の母や妹は、トムのおかげで裕福で安楽な暮らしができた。
それなのに、笑子の母と妹は、トムを”黒んぼ”とさげすみ、嫌った。
笑子とトムの間に生まれた子どもは、黒い肌に縮れ毛の女の子だった。
1952年、進駐軍はアメリカに引き上げて行く。
日本大好きなトムもアメリカに去った。
きっと呼び寄せるからと、笑子に誓って。
ほんとうは、笑子は、トムとは別れてしまうつもりだった。
愛なんかとっくに冷めていた。
それでも、アメリカへ渡る気になったのは、娘のためだった。
”黒んぼ”、”土人”と、浴びせられる心ない言葉。いっしょに遊んでくれる子もいない。
笑子の母でさえ、黒んぼの子なんか、かわいくないという。孫なのに。
アメリカなら、黒人も白人もいる。娘にも友だちができるだろう。
ニューヨークのマンハッタン。長い船旅の末に、トムに連れていかれた住居は、
ハーレムのアパート、穴倉のような一室だった。
黒人ばかりの大きな共同体のような街。
貧しく、汚く、読み書きもろくにできない人たちの集まり。
笑子がもっとも衝撃を受けたのは、日本では明るくおおらかで頼もしかったトムが、無気力で怠惰な男に変わっていたことだった。
アメリカの人種差別は、白人が黒人をという単純なものではなかった。
白人の中でもイタリア系は蔑視され、ユダヤ人は嫌われ、
黒人たちはプエルトリコを下に見ている。
黒人やプエルトリコたちは、貧しいから教育が受けられず、教育がないから貧しさから抜け出すことができない。
さらに、多産が女たちを苦しめる。アメリカでは堕胎が禁止されていた。
笑子は、数年のうちに四人の子の母親になっていた……
「なぜ人は人を差別するのか」
屈辱にまみれた苦しい日々の暮らしの中で、笑子は、常に問い続ける。
そして、自分自身の心の中にも、人を差別する意識があることに気づき、愕然とする。
笑子は、たびたびこう叫んだのだ。
「わたしは日本人だ!怠惰な黒人とはちがう」
「私は日本人だ!プエルトリコの女のように体を売らない!」
人は、みじめな境涯に落ちたとき、「あの人よりはマシ」「あいつよりは上」と、
他者をさげすむことで自分をなぐさめる。
それは人の持つ弱さなのかもしれない。
物語の終わりは、清々しいものだった。
笑子は、エンパイヤステートビルに、夫や子どもたちやハーレムの仲間とのぼり、さまざまな人種がうごめくニューヨークを見下ろそうと考えるのだ。
それは、けちな優越意識や劣等感を心の中から追い払い、ハーレムの一員として、黒人家族の一人として、顔をあげてどうどうと生きて行こうと決意したときだった。
この小説が発表されたのは、1964年。
半世紀を経たいまでも、少しも古さを感じない。
差別したり、差別されたり。わたしたちは、いまも苦しんでいる。
おそらく、人が人である限り、この苦しみは続く。
せめて、どんな境涯にあろうとも、ちっぽけな優越意識や劣等感に囚われず、顔を上げて、堂々と生きていたいと思う。
笑子がそう決意したように。
進駐軍の兵士と結婚して、アメリカに渡った人たちである。
笑子は、そんな「戦争花嫁」のひとりだった。
笑子の夫・トムは、アメリカ軍の黒人兵、伍長だった。
雲つくような大男で、おおらかで気前のよい男だった。
笑子がキャバレーで、客の荷物を預かる仕事をしていたときに知り合った。
そのキャバレーは、進駐軍が経営する黒人専用の店だった。
トムは、日本が好きで、ずっと日本で暮らしたいといっていた。
日本には”平和”と”平等”があるというのが、彼の口ぐせだった。
平和がある? アメリカが東京を焼け野原にしたくせに?
平等? アメリカ軍が日本を占領しているくせに?
考えてみれば奇妙な発言だが、トムは、くりかえしそういっていた。
焼け野原の、みんなが飢えている東京で、笑子と笑子の母や妹は、トムのおかげで裕福で安楽な暮らしができた。
それなのに、笑子の母と妹は、トムを”黒んぼ”とさげすみ、嫌った。
笑子とトムの間に生まれた子どもは、黒い肌に縮れ毛の女の子だった。
1952年、進駐軍はアメリカに引き上げて行く。
日本大好きなトムもアメリカに去った。
きっと呼び寄せるからと、笑子に誓って。
ほんとうは、笑子は、トムとは別れてしまうつもりだった。
愛なんかとっくに冷めていた。
それでも、アメリカへ渡る気になったのは、娘のためだった。
”黒んぼ”、”土人”と、浴びせられる心ない言葉。いっしょに遊んでくれる子もいない。
笑子の母でさえ、黒んぼの子なんか、かわいくないという。孫なのに。
アメリカなら、黒人も白人もいる。娘にも友だちができるだろう。
ニューヨークのマンハッタン。長い船旅の末に、トムに連れていかれた住居は、
ハーレムのアパート、穴倉のような一室だった。
黒人ばかりの大きな共同体のような街。
貧しく、汚く、読み書きもろくにできない人たちの集まり。
笑子がもっとも衝撃を受けたのは、日本では明るくおおらかで頼もしかったトムが、無気力で怠惰な男に変わっていたことだった。
アメリカの人種差別は、白人が黒人をという単純なものではなかった。
白人の中でもイタリア系は蔑視され、ユダヤ人は嫌われ、
黒人たちはプエルトリコを下に見ている。
黒人やプエルトリコたちは、貧しいから教育が受けられず、教育がないから貧しさから抜け出すことができない。
さらに、多産が女たちを苦しめる。アメリカでは堕胎が禁止されていた。
笑子は、数年のうちに四人の子の母親になっていた……
「なぜ人は人を差別するのか」
屈辱にまみれた苦しい日々の暮らしの中で、笑子は、常に問い続ける。
そして、自分自身の心の中にも、人を差別する意識があることに気づき、愕然とする。
笑子は、たびたびこう叫んだのだ。
「わたしは日本人だ!怠惰な黒人とはちがう」
「私は日本人だ!プエルトリコの女のように体を売らない!」
人は、みじめな境涯に落ちたとき、「あの人よりはマシ」「あいつよりは上」と、
他者をさげすむことで自分をなぐさめる。
それは人の持つ弱さなのかもしれない。
物語の終わりは、清々しいものだった。
笑子は、エンパイヤステートビルに、夫や子どもたちやハーレムの仲間とのぼり、さまざまな人種がうごめくニューヨークを見下ろそうと考えるのだ。
それは、けちな優越意識や劣等感を心の中から追い払い、ハーレムの一員として、黒人家族の一人として、顔をあげてどうどうと生きて行こうと決意したときだった。
この小説が発表されたのは、1964年。
半世紀を経たいまでも、少しも古さを感じない。
差別したり、差別されたり。わたしたちは、いまも苦しんでいる。
おそらく、人が人である限り、この苦しみは続く。
せめて、どんな境涯にあろうとも、ちっぽけな優越意識や劣等感に囚われず、顔を上げて、堂々と生きていたいと思う。
笑子がそう決意したように。
掲載日:
書評掲載URL : http://blog.livedoor.jp/aotuka202
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読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。
この書評へのコメント
- noel2022-02-12 09:55
>人は、みじめな境涯に落ちたとき、「あの人よりはマシ」「あいつよりは上」と、他者をさげすむことで自分をなぐさめる。それは人の持つ弱さなのかもしれない。
まさにそうですね。先日、とある出版人と話していて、編集のひとりにどうでもいいことにチェックを入れ、自分流な訂正を押し付けてくるバツイチ女がいて、往生しているというグチをこぼした。で、そのひとの奥さんが「そのひと、きっと『シキリタガール』なのね」と言ったと妙な感心をしてわたしに教えてくれた。わたしは、「いや、それこそ最近はやりの『マウンタガール』じゃないの」といって、ふたりで笑ったのだった。
いや、ゴメンナサイ。つまらない話でした。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 
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