ぽんきちさん
レビュアー:
▼
他者のために生きることに関する考察
「科学道100冊2021」の1冊。
コロナ禍にあって、「利他」という概念が注目を集めているという。
パンデミックにおいては、「他者のために生きる」ことが重要であるとする考え方である。
特に若い世代では、寄付を行ったり、環境に配慮した商品(特にファッション分野)を求めたり、といった、「利他」的な考え方がより広がりつつある。
本書の執筆者5人は、いずれも東京工業大学の人文社会系研究拠点「未来の人類研究センター」のメンバーである。
美学者。政治学者。批評家。哲学者。小説家。
それぞれの立場から、「利他」について考える。
著者らは日頃から意見交換や議論・雑談を行っている間柄でもあり、それぞれの論考の中には、互いから受けた影響も混じっているとのこと。
第一章の伊藤亜紗は、障害者との関わりが深かったことから、ケアの立場から「利他」を考える。利他の立場にもさまざまあり、合理的・効果的に利他を追求するものもある。他者のために働きたいというときに、慈善事業を行ったり、社会起業家になったりするのではなく、株のトレーダーになって大儲けし、その利益を寄付するという若者がいるという。確かに数字の上ではより多くの人が「救われる」。さてそれはありなのか。
「利他」はときに、しばしばそれが向かう相手を「支配」する。例えば、盲人に、目の見える人が、事細かく周囲の状況を説明すれば、盲人が自身の感覚を研ぎ澄ませる能力が衰えていってしまう。発端は善意でも、それが押しつけになってしまう。「やってあげる」は時に枷となるのだ。
伊藤はケアには「うつわ」的姿勢が大切なのではないかという。つまり、自分が当初思っていたことと違う結果が出てきても、それを受けとめ、相手が入り込めるような「余白」を持つこと。
第二章の中島岳志は「贈与」を軸にする。志賀直哉の「小僧の神様」、チェーホフの「かき」といった文学作品の中の「贈与」と、そこに潜む残酷さや居心地悪さを指摘する。
「贈与」とは、もらった・うれしい、で完結するものではなく、お返しをしなければと思わせるものである。一方的にもらうばかりだと、いずれは負い目がたまり、上下関係が形成されていく。そこで返礼ということになる。そうした互恵的な利他というのは、結局のところ双方にとって「利己的な利他」に過ぎないのではないか。
こうしたものを越えての「利他」とは可能なのだろうか。
第三章の若松英輔は、柳宗悦らの民藝運動と絡めていく。美とは「利他」である。「用の美」である民藝の器は「奉仕」するものである、という視点はなかなかおもしろい。
第四章の國分功一郎は「中動態」と「利他」、第五章の磯﨑憲一郎は自身の作品に先行したかのような作家(北杜夫・小林信夫)について。それはそれで読ませる部分はあるが、「利他」との関係という意味では、まだ取っ掛かりの段階という印象。
全般に、「視点」を与える1冊で、本書に結論を求めるべきではないのだろう。
読む人により、興味を惹かれる部分は異なりそうである。
「利他」からSDGsへつながるところもありそうで、現代的なテーマとはいえるだろう。
*利他の理想的な形の1つは「善きサマリア人」なのかもしれないですね。いつもそうなれるか、というのが難しいところでしょうが。
コロナ禍にあって、「利他」という概念が注目を集めているという。
パンデミックにおいては、「他者のために生きる」ことが重要であるとする考え方である。
特に若い世代では、寄付を行ったり、環境に配慮した商品(特にファッション分野)を求めたり、といった、「利他」的な考え方がより広がりつつある。
本書の執筆者5人は、いずれも東京工業大学の人文社会系研究拠点「未来の人類研究センター」のメンバーである。
美学者。政治学者。批評家。哲学者。小説家。
それぞれの立場から、「利他」について考える。
著者らは日頃から意見交換や議論・雑談を行っている間柄でもあり、それぞれの論考の中には、互いから受けた影響も混じっているとのこと。
第一章の伊藤亜紗は、障害者との関わりが深かったことから、ケアの立場から「利他」を考える。利他の立場にもさまざまあり、合理的・効果的に利他を追求するものもある。他者のために働きたいというときに、慈善事業を行ったり、社会起業家になったりするのではなく、株のトレーダーになって大儲けし、その利益を寄付するという若者がいるという。確かに数字の上ではより多くの人が「救われる」。さてそれはありなのか。
「利他」はときに、しばしばそれが向かう相手を「支配」する。例えば、盲人に、目の見える人が、事細かく周囲の状況を説明すれば、盲人が自身の感覚を研ぎ澄ませる能力が衰えていってしまう。発端は善意でも、それが押しつけになってしまう。「やってあげる」は時に枷となるのだ。
伊藤はケアには「うつわ」的姿勢が大切なのではないかという。つまり、自分が当初思っていたことと違う結果が出てきても、それを受けとめ、相手が入り込めるような「余白」を持つこと。
第二章の中島岳志は「贈与」を軸にする。志賀直哉の「小僧の神様」、チェーホフの「かき」といった文学作品の中の「贈与」と、そこに潜む残酷さや居心地悪さを指摘する。
「贈与」とは、もらった・うれしい、で完結するものではなく、お返しをしなければと思わせるものである。一方的にもらうばかりだと、いずれは負い目がたまり、上下関係が形成されていく。そこで返礼ということになる。そうした互恵的な利他というのは、結局のところ双方にとって「利己的な利他」に過ぎないのではないか。
こうしたものを越えての「利他」とは可能なのだろうか。
第三章の若松英輔は、柳宗悦らの民藝運動と絡めていく。美とは「利他」である。「用の美」である民藝の器は「奉仕」するものである、という視点はなかなかおもしろい。
第四章の國分功一郎は「中動態」と「利他」、第五章の磯﨑憲一郎は自身の作品に先行したかのような作家(北杜夫・小林信夫)について。それはそれで読ませる部分はあるが、「利他」との関係という意味では、まだ取っ掛かりの段階という印象。
全般に、「視点」を与える1冊で、本書に結論を求めるべきではないのだろう。
読む人により、興味を惹かれる部分は異なりそうである。
「利他」からSDGsへつながるところもありそうで、現代的なテーマとはいえるだろう。
*利他の理想的な形の1つは「善きサマリア人」なのかもしれないですね。いつもそうなれるか、というのが難しいところでしょうが。
掲載日:
外部ブログURLが設定されていません
投票する
投票するには、ログインしてください。
分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。
本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。
あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。
「実感」を求めて読書しているように思います。
赤柴♀(もも)は3代目。
この夏、有精卵からヒヨコ4羽を孵化させました。そろそろ大雛かな。♂x2、♀x2。ニワトリは割と人に懐くものらしいですが、今のところ、懐く気配はありませんw
書評一覧を取得中。。。
- 出版社:集英社
- ページ数:0
- ISBN:9784087211580
- 発売日:2021年03月17日
- 価格:924円
- Amazonで買う
- カーリルで図書館の蔵書を調べる
- あなた
- この書籍の平均
- この書評
※ログインすると、あなたとこの書評の位置関係がわかります。
『「利他」とは何か』のカテゴリ
- ・政治・経済・社会・ビジネス > 社会
- ・政治・経済・社会・ビジネス > 社会科学
- ・人文科学 > 哲学・思想























