星落秋風五丈原さん
レビュアー:
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あの頃近所のお兄さんお姉さんはちっとも恐くなかった
成績もぱっとせず、スポーツ万能でもない、いわゆるどこにでもいる平均点タイプの男の子、「僕」。でもたった一つ自慢できる事がある。1列に並んだ家々の裏庭を一気に駆け抜けるスリル満点の遊びクリーピングだ。僕とジェイミーは最高のコンビだ。そう、あの難ルートと呼ばれるダーウェント・ドライブに挑むまでは…。
物語の後半部分では、「消えた」ジェイミーが再び現れる。SFに詳しい人でなくても、現れた理由については早晩見当がつくだろうし、物語もその部分を追求するのが主意ではない。主眼は、ジェイミーと僕、そしてもう一組の少年少女の関係に置かれている。
二人ならば、平気なのだ。
かつてボコボコにされたいじめっ子への復讐や、再度の挑戦も。
二人だから、楽しいのだ。
クリーピングにせよ、何にせよ、塀よりも遥か高い身長を持つ大人達から見れば、「それが出来たからってどうした?」と怪訝な顔を向けられる事も。同じ背丈で物を見て、同じ目線で話せる親友どうしだった二人が、平気ではなかったのは、たった一つ。永遠に喧嘩別れしたままでいること。二人の思いはとても強かった。とっても不可能だと思われた、一つの奇跡を起こせるほどに。
男の子っていいなぁ。羨ましい。女の子に対して、こういう冒険談がめっぽう多いから。
だから、ルースが羨ましくてならない。ジェイミーと僕を応援する年長者達として登場する、年上の不良っぽい女の子ルースと、僕の「大きいおにいちゃん」カール。彼等は、ジェイミーと僕の成長した姿。まだ完全に大人になりきっていない、子供と大人の境界(マージナル)に立つ存在だからこそ、僕とジェイミーの試みを、「馬鹿な事」と一笑せず、サポートする。子供時代、ジェイミーのような、かけがえのない友達と、頼れるアニキやアネキ達が傍にいてくれれば、一度きりの子供時代を泳ぎきるのに、どんなに心強かっただろう。
小学校低学年の頃、面倒を見てくれたのは、近所の小学校高学年の少年少女だった。
少し年上の年長者の後をついてまわり、私は何でも真似をした。
遊んでいる最中に
「おやつよ。」
と呼ばれると、
「誰々ちゃんは?」
と必ず口にした。
「誰々ちゃんは別の家の子だから、おやつは別に食べるのよ。」
と言われても、私は今ひとつ納得のいかない顔をしていた。
昔は、「近所のおにいちゃんとおねえちゃん」が、ちっとも恐くなかったし、親達も信頼していた。事件での全く見ず知らずだった子供達の関係と、顔見知りだった私と近所の子達の
関係を、同じ目線で見る事には無理がある。それはわかっているが、少子化が進み、以前よりも、近所のお姉さんお兄さん達と遊んでいる子を見かけなくなった事に気づくと、「私達の子供の頃とは、随分違ってしまったんだな。」と寂しく思う。
少年が幼児を突き落とす事件が起こるなんて、あの頃は予想もしていなかった。
再び、「近所のおにいちゃんとおねえちゃん」を信頼する時代が来るのだろうか。
いや、来るはずだ。そうでなくては。
デビュー作でガーディアン賞にノミネートされた作品。この時21才。どうりで、物語と文章に勢いがある。
物語の後半部分では、「消えた」ジェイミーが再び現れる。SFに詳しい人でなくても、現れた理由については早晩見当がつくだろうし、物語もその部分を追求するのが主意ではない。主眼は、ジェイミーと僕、そしてもう一組の少年少女の関係に置かれている。
二人ならば、平気なのだ。
かつてボコボコにされたいじめっ子への復讐や、再度の挑戦も。
二人だから、楽しいのだ。
クリーピングにせよ、何にせよ、塀よりも遥か高い身長を持つ大人達から見れば、「それが出来たからってどうした?」と怪訝な顔を向けられる事も。同じ背丈で物を見て、同じ目線で話せる親友どうしだった二人が、平気ではなかったのは、たった一つ。永遠に喧嘩別れしたままでいること。二人の思いはとても強かった。とっても不可能だと思われた、一つの奇跡を起こせるほどに。
男の子っていいなぁ。羨ましい。女の子に対して、こういう冒険談がめっぽう多いから。
だから、ルースが羨ましくてならない。ジェイミーと僕を応援する年長者達として登場する、年上の不良っぽい女の子ルースと、僕の「大きいおにいちゃん」カール。彼等は、ジェイミーと僕の成長した姿。まだ完全に大人になりきっていない、子供と大人の境界(マージナル)に立つ存在だからこそ、僕とジェイミーの試みを、「馬鹿な事」と一笑せず、サポートする。子供時代、ジェイミーのような、かけがえのない友達と、頼れるアニキやアネキ達が傍にいてくれれば、一度きりの子供時代を泳ぎきるのに、どんなに心強かっただろう。
小学校低学年の頃、面倒を見てくれたのは、近所の小学校高学年の少年少女だった。
少し年上の年長者の後をついてまわり、私は何でも真似をした。
遊んでいる最中に
「おやつよ。」
と呼ばれると、
「誰々ちゃんは?」
と必ず口にした。
「誰々ちゃんは別の家の子だから、おやつは別に食べるのよ。」
と言われても、私は今ひとつ納得のいかない顔をしていた。
昔は、「近所のおにいちゃんとおねえちゃん」が、ちっとも恐くなかったし、親達も信頼していた。事件での全く見ず知らずだった子供達の関係と、顔見知りだった私と近所の子達の
関係を、同じ目線で見る事には無理がある。それはわかっているが、少子化が進み、以前よりも、近所のお姉さんお兄さん達と遊んでいる子を見かけなくなった事に気づくと、「私達の子供の頃とは、随分違ってしまったんだな。」と寂しく思う。
少年が幼児を突き落とす事件が起こるなんて、あの頃は予想もしていなかった。
再び、「近所のおにいちゃんとおねえちゃん」を信頼する時代が来るのだろうか。
いや、来るはずだ。そうでなくては。
デビュー作でガーディアン賞にノミネートされた作品。この時21才。どうりで、物語と文章に勢いがある。
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2005年より書評業。外国人向け情報誌の編集&翻訳、論文添削をしています。生きていく上で大切なことを教えてくれた本、懐かしい思い出と共にある本、これからも様々な本と出会えればと思います。
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- 出版社:徳間書店
- ページ数:0
- ISBN:9784198614720
- 発売日:2002年01月01日
- 価格:1540円
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