カフカのこの発言を聞いた友人マックス・ブロートはこう返答したそうです。
「もし君が僕に真面目にそんなことを要求するのなら、僕は今から、君の頼みは守ってあげない、と言っておくよ」
これは、カフカ(1883ー1924)の死後、その存在を世界に知らしめたブロートが書いた、全集第二巻の本書に収録されている、カフカとのやり取りです。
全集第二巻の本書には、カフカが書いた三つの長編のうち、『審判』と『アメリカ』が収められています。ブロートは、『城』』と併せて、「孤独の三部作」と呼んでいますが、『城』と『アメリカ』は結末がない未完のままですが、『審判』は完成しなかった章が一つあるものの結末は書かれています。
・『審判』★★★★★
本作の内容については、語る必要もないぐらいでしょう。主人公のヨーゼフ・Kが、ある日、罪状も分からないまま逮捕され、最後には判決も出ていないのに、ほとんど無抵抗のまま野原で「犬のように」刺し殺されるという話です。結末があり、主人公が被告=「罪人」という窮地が分る状況なこともあって、カフカの長編の中では、読んでいて一番面白いものでしょう。
ところで、映画史に残る巨人オーソン・ウェルズは、1963年に、この作品を映画化しています。彼が監督を務め、脚本も書き、弁護士役として出演もしていますが、それ以上に重要なことは、『市民ケーン』以来初めて、最後の編集まで、彼が行ったということです。つまり、完全に「オーソン・ウェルズの作品」なのです。今回、原作を再読するにあたり、この映画も再見しましたが、原作に忠実に映画化されていることをあらためて確認できました。ただし、ラストのKの死に方は変えてあります。ここではウェルズならでは視点がしっかり反映されています。
また、この映画は、音楽に「アルビノーニのアダージョ」が使われていること(これがドンピシャ!)でも知られていますが、もう一つ有名なのは、今や世界的美術館となっている、当時廃駅だったオルセーを裁判所のロケ地にしたことです。元々は、セットを作って撮影するつもりだったようですが、製作者からいきなりセットを作る金がないと言われ、パリのホテルで深夜悩んでいたところ、オルセー駅の二つの大時計が目に入り、啓示を受けて、夜が明けるやいなや、そこに行ってみたそうです。
「わたしはカフカの世界を発見した。弁護士の事務所、法廷事務室、廊下―ジュール・ヴェルヌ風のモダニズムを感じさせ、まさしくカフカのスタイルだ。(中略)
じっさい鉄道の駅という場所は幽霊屋敷そのものなのだ。そしてカフカのストーリーは、書類が交付されるのを待つ人々のストーリーなのだ。官僚制度に揉みくちゃにされたあげくの絶望が溢れ出るようなストーリー。書類が交付されるのは列車の到着を待つのと似ている。しかもここは避難民たちが溢れた場所だ。人々はここからナチスの強制収容所に送られた。アルジェリア人もここに集結させられた」(BBC番組のインタビューより)
実は、映画は、カフカがユダヤ人であったことをすごく意識していて、強制収容所の囚人たちを直接描いたような場面もありますし、裁判所で被告たちが黙って待っている姿も、強制収容所を連想させます。冒頭に紹介した原作のラストに不満だったウェルズは、Kがおとなしく刺し殺されるのではなく、死刑執行人を嘲笑い、穴の中でダイナマイトで爆殺されるというように、ラストを変えました。少なくとも、抵抗の姿勢を見せて、Kは殺されるのです。これはナチスのユダヤ人虐殺を踏まえた上での変更だったそうですが、ウェルズ自身が語っているように、イディッシュ文化への思い入れも反映しているのでしょう。ジェノサイドという言葉は、文化の破壊も含まれるのですから。ただし、イスラエルのナショナリストは嫌いだそうです。
しかし、個人的には、『城』にも『審判』にも、ユダヤ人社会の存在を強く感じるものではありません。私が両作で強く印象に残っている言葉は「すべては城に属している」「すべては裁判所に属している」という言葉で、共に官僚制度の不条理さが強調されている作品ではありますが、もっと大きく、社会というものの中で生きざるをえず、簡単にそこから抹殺されうる個人というものを語っている作品のように思えます。ですから、現実の歴史を反映した、ウェルズのこの変更には、もろ手を挙げて賛同するものではありません。もっと、普遍的かつ抽象的な結末なはずだったと思います。
ただ、同時に、『城』もそうなのですが、原作のナンセンスさ、Kの無類の女好き(きれいな女と見ると、手あたり次第のようです)など、読んでいて見過ごされやすい部分は、冒頭でKに賄賂を要求した役人がKの職場の物置小屋(なんで?)で鞭打ち刑に処されるという、妙におかしい場面や、裁判所の使用人の妻がスカートをめくってKに太ももを見せる、妙にエロティックな場面などの見せ方で、しっかり感じさせてくれます。
ところで、映画のヨーゼフ・Kは、アンソニー・パーキンスが演じました。パーキンスはユダヤ人ではありませんが、カフカにどことなく似ていることもあるでしょうし、『サイコ』(1960年)のサイコ役を、もしかしたら意識していたのかもしれません。なお、女優陣は、ジャンヌ・モロー、ロミー・シュナイダー、エルサ・マルチネリという豪華版で、特に弁護士の愛人兼看護婦レニ役のロミー・シュナイダーのコケティッシュなこと!印象的でした。
・『アメリカ』★★★
現在では『失踪者』と呼ばれている作品です。本作は、ヨーゼフ・Kではなく、カール・ロスマンという16歳の少年が主人公です。主人公は、年上の女中に誘惑され、彼女が彼の子供を儲けたことことから、ドイツの実家から、アメリカの上院議員の伯父の元へ送られるのですが、その伯父のところからも、ささいなことで追い出され、エレヴェーター・ボーイをしたり、各地を流浪したりするという、普通の小説っぽい話なのです。それでも、終わりに近づくと、唄わない女歌手と二人の男の騒動に巻き込まれたり、世界最大で誰でも採用する(?)という劇団に雇われることになったり、いささかシュールな展開になってくるのですが、大勢登場する人間たちとの関係がどうなるのか、ほとんど語られないままで、未完となっているため、ちょっとフラストレーションを感じます。作品全体としてみると、三分の二ぐらいまでの「普通の小説」タッチと、残りの三分の一の「不条理小説」タッチが、ずいぶん違っていて、混乱もします。
ただ、カフカ自身も語っていたそうですが、『城』や『審判』と違い「明るい」物語であることは確かで、ドイツ文学の伝統である教養小説を目指したのかもしれません。書き始めはそんなつもりだったのかもしれませんが、だんだんカフカの地(?)が出てしまった、ということなのでしょうか。そう考えると、興味深い作品ですが、やはり『城』や『審判』のインパクトには劣ります。
さて、この全集は、もう一度読み通すつもりでいます。ちとヴォリュームがありますが、頑張ります。




「本職」は、本というより映画です。
本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。
この書評へのコメント
- マーブル2022-01-05 21:57
>原作のナンセンスさ
読んでいてそこが気になりました。もしかするとそんなに真剣に考え込むことは求めてないのかな、と思ってみたり。Kの女性への態度など、ストーリーには直接関係ないのに無視できないぐらいに描かれる。ちょっとおふざけもあるのですよ、という主張なのかと。
原文に当たれない凡人には仕方のないことですが訳の影響も無視できませんから、もっと軽い文章で訳されていたらイメージが違っていたのかもと想像します。カフカは『絶望名人』を持っているので次はそのあたりを気にしながら読むつもりです。
映画も観たいですね。オフィスの印象が随分変わります。これは非人間的圧迫感が強く伝わりますね。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - hacker2022-01-06 13:33
実は、ネタバレになるかなと思って、あまり書かなかったのですが、映画を観ていると、カフカがさらっと書いている部分が、実はかなりショッキングだったり、視覚的インパクトが大きいものがあるのに気づかされます。
例えば、レニの手にある水かきの描写、画家のところを訪ねたKが帰る時にそこが裁判所の一部であることに気づく場面(その前に画家の家は裁判所とは町の正反対にあるという描写があります)、ラストのあっさり殺されるK等です。
カフカがどこまで意識していたのかは分かりませんが、本来強調してもいいようなところをしないというのは、『城』にも見られますから、かなり意識的にそうしていたとも解釈できそうです。そういう意味で、ナンセンスさも目立たないようにしていたのかもしれません。
というわけで、映画も是非ご覧になってください。Kのオフィスは、ウェルズのアイデアです。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 コメントするには、ログインしてください。
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- ISBN:B000JAUD9E
- 発売日:1953年04月30日
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