紅い芥子粒さん
レビュアー:
▼
ナチスは、ユダヤ人を虐殺する一方で、アーリア人の増殖を計画していた。レーベンスボルン(命の泉)・プロジェクト。この本は、レーベンスボルンの子どもだった一人の女性が、戦後を生き抜いた自伝である。
そのプロジェクトは、1935年に秘密裡に始まった。
ナチス親衛隊員の子どもをアーリア人の女性に産ませ、”支配民族”を育成するのを目的としていた。
金髪と青い眼が、ヒトラーの理想だった。
当初は、ドイツに10か所のレーベンスボルンの施設が設置された。
金髪青い眼で、丈夫そうな子どもを集める施設である。
ナチスは1940年にノルウェーに侵攻すると、そこにも9か所のレーベンスボルンを設置した。ドイツが戦争に敗けた後、その子どもたちは、どうなったか……
カーリ・ロースヴァルは、1944年に生まれた。
生後間もなく、母親から引き離され、レーベンスボルンに入れられた。
戦争が終わり、彼女を養子に迎えてくれたのは、スウェーデンの農場の夫婦だった。
そのとき、カーリは三歳。
愛情にあふれた養父のもとで、カーリは仕合せに育った。
自分が養子であることは、養父から聞いて知っていた。
しかし、実父母のことは、何も教えられていなかった。
出生地さえ知らなかった。
17歳で自立するために家を出て、就職した。
そのとき取り寄せた書類を見て、自分がノルウェーで生まれたことを知る。
自分は、どこから来て、何者なのかーーカーリは、実父母に会って、確かめたいと強く望むようになる。自身の人生の欠けたピースを補うために。
探し当てた実母は、ノルウェーのオスロに住んでいた。
会うことはできたが、母親は何も話してくれなかった。
わかったのは、父親はドイツ人ということだけ。
そして、母親の胸に残る酷い傷跡……
その後のカーリの人生は、平穏なものではなかった。
恋愛、結婚、出産、夫の病気、離婚。
シングルマザーとしての子育て、自身の難病……
息子の自立、二度目の恋愛と再婚……
自身がレーベンスボルンの生き残りであることを知ったのは、64歳のときだった。
そのころノルウェーでは、かつてのレーべンスボルンの子どもたちの人権補償問題が起きていた。
戦後、レーヴェンスボルンの子どもたちは、酷い差別や虐待を受けた。
人々のナチスへの憎しみが、”ナチスの子どもたち”に向けられたのである。
ドイツ兵と関係をもった女性への迫害と差別も、過酷なものだった。
ひとりの女性の自伝として、読み応えのある本だった。
カーリが、自身の出自としてレーべンスボルンにたどりついたときは、読んでいても戦慄が走った。戦争が終わっても、子どもたちや、その子らを産んだ母たちの悲劇はおわらなかったということに。むしろ、新たな悲劇が始まったことに。
戦争は国家の打算で始まるのかもしれないが、それに苦しめられる国民ひとりひとりの中には、憎しみが生まれる。憎しみは心に深い傷を残し、戦争が終わっても癒えることはなく、弱い者を攻撃することでその痛みを忘れようとする。
カーリの人生は、平穏ではなかったが、出会いや愛に恵まれたいい人生だったといえる。
だからこそ、70歳になった彼女は訴える。
差別や虐待の中で自殺したり、大人になれずに死んでいったレーベンスボルンの仲間たちの分まで。
戦争は、絶対にしてはいけない、と。
ナチス親衛隊員の子どもをアーリア人の女性に産ませ、”支配民族”を育成するのを目的としていた。
金髪と青い眼が、ヒトラーの理想だった。
当初は、ドイツに10か所のレーベンスボルンの施設が設置された。
金髪青い眼で、丈夫そうな子どもを集める施設である。
ナチスは1940年にノルウェーに侵攻すると、そこにも9か所のレーベンスボルンを設置した。ドイツが戦争に敗けた後、その子どもたちは、どうなったか……
カーリ・ロースヴァルは、1944年に生まれた。
生後間もなく、母親から引き離され、レーベンスボルンに入れられた。
戦争が終わり、彼女を養子に迎えてくれたのは、スウェーデンの農場の夫婦だった。
そのとき、カーリは三歳。
愛情にあふれた養父のもとで、カーリは仕合せに育った。
自分が養子であることは、養父から聞いて知っていた。
しかし、実父母のことは、何も教えられていなかった。
出生地さえ知らなかった。
17歳で自立するために家を出て、就職した。
そのとき取り寄せた書類を見て、自分がノルウェーで生まれたことを知る。
自分は、どこから来て、何者なのかーーカーリは、実父母に会って、確かめたいと強く望むようになる。自身の人生の欠けたピースを補うために。
探し当てた実母は、ノルウェーのオスロに住んでいた。
会うことはできたが、母親は何も話してくれなかった。
わかったのは、父親はドイツ人ということだけ。
そして、母親の胸に残る酷い傷跡……
その後のカーリの人生は、平穏なものではなかった。
恋愛、結婚、出産、夫の病気、離婚。
シングルマザーとしての子育て、自身の難病……
息子の自立、二度目の恋愛と再婚……
自身がレーベンスボルンの生き残りであることを知ったのは、64歳のときだった。
そのころノルウェーでは、かつてのレーべンスボルンの子どもたちの人権補償問題が起きていた。
戦後、レーヴェンスボルンの子どもたちは、酷い差別や虐待を受けた。
人々のナチスへの憎しみが、”ナチスの子どもたち”に向けられたのである。
ドイツ兵と関係をもった女性への迫害と差別も、過酷なものだった。
ひとりの女性の自伝として、読み応えのある本だった。
カーリが、自身の出自としてレーべンスボルンにたどりついたときは、読んでいても戦慄が走った。戦争が終わっても、子どもたちや、その子らを産んだ母たちの悲劇はおわらなかったということに。むしろ、新たな悲劇が始まったことに。
戦争は国家の打算で始まるのかもしれないが、それに苦しめられる国民ひとりひとりの中には、憎しみが生まれる。憎しみは心に深い傷を残し、戦争が終わっても癒えることはなく、弱い者を攻撃することでその痛みを忘れようとする。
カーリの人生は、平穏ではなかったが、出会いや愛に恵まれたいい人生だったといえる。
だからこそ、70歳になった彼女は訴える。
差別や虐待の中で自殺したり、大人になれずに死んでいったレーベンスボルンの仲間たちの分まで。
戦争は、絶対にしてはいけない、と。
掲載日:
書評掲載URL : http://blog.livedoor.jp/aotuka202
投票する
投票するには、ログインしてください。
読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。
この書評へのコメント
 - コメントするには、ログインしてください。 
書評一覧を取得中。。。
- 出版社:海象社
- ページ数:0
- ISBN:9784907717346
- 発売日:2021年09月22日
- 価格:2310円
- Amazonで買う
- カーリルで図書館の蔵書を調べる
- あなた
- この書籍の平均
- この書評
※ログインすると、あなたとこの書評の位置関係がわかります。






















