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hackerさん
hacker
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「ぼくはときおり、なんの心配もなくしゃべりたい、『上品な』、『流暢な』と言えるような、なめらかな話し方であればいいのに、と思います。でも、そうなったら、それはぼくではありません」(作者の言葉)
共にカナダ出身の、1978年生まれの吃音のある詩人ジョーダン・スコットが文章を書き、1980年生まれのシドニー・スミスが絵を描いた絵本です。実は、本書の最後には、次の献辞が書かれています。

「この本を、父、ロイ・スコットに捧げる―J.S.
     息子、サルヴァドルに―S.S.

また、ジョーダン・スコットによる『ぼくの話し方』という文章が収録されているのですが、その始まりの部分を紹介します。

「ぼくがまだ小さかったころ、『口の調子が悪い日』には、ときおり、父がぼくを学校にむかえにきて、川につれていってくれました。ぼくには、言葉がどうしても口からうまくでてこない日があったのです。ひと言しゃべるのもたいへんで、クラスのみんなの笑い声がたえられませんでした。ぼくは、とにかく口をききたくありませんでした。父とぼくは、川岸で石を投げて水切りをしたり、サケがあらわれるのを待ったり、虫をとったり、ブラックベリーをつんだり、しゃべらずにできることならなんでもやりました。
そういうある日のこと、父が岸を洗う川の水を見ながら言いました。『ほら、あの水の流れを見てみろ。お前の話し方にそっくりじゃないか』」

本書は、この部分を、そのまま絵本にしたといっても、過言ではないと思います。そこで、本書の献辞を振り返ると、J.S.つまりジョーダン・スコットの言葉はよく分かるのですが、S.S.つまりシドニー・スミスの言葉はどう考えるべきでしょうか。しかも「捧げる」という言葉がないのです。

これは、推測でしかないのですが、もしかしたら、スミスの息子も吃音を持っているのかもしれません。そうでなくとも、何らかの障碍を持っているのかもしれません。あるいは、障碍はなくとも、自分の子に対して、障碍を持つ子への接し方を考えてほしいという意思があったのかもしれません。

私が、そう思う理由は、本書のスミスの絵がとても素晴らしいからです。特に、本書のクライマックスとも言える、次の言葉と共に、主人公の少年が川の中を泳ぐ姿を描いた数ページにわたる絵は感動的です。

「『おまえは、川のように話してるんだ』

泣いてしまいそうなときは、
このことばを思いだそう。

            ―ぼくはかわのように話す。

そして、だまりこんでしまいそうなときも。

            ―ぼくはかわのように話す。

思いどおりに、ことばがでてこないときは、
どうどうとした、この川を思いうかべよう。

あわだって

なみをうち、

うずをまいて、

くだけている川を。

そして、急流のさきでゆったりと流れ、
なめらかに光る川のことを思いうかべよう。

ぼくの口も、この川の流れとおなじ。

これがぼくの話し方」

ここで引用したスコットの言葉の持つ想いを、スミスは見事に絵にしています。その素晴らしさを、私の筆力ではうまく伝えられないのは残念ですが、スコットの次の想いもしっかり理解しているからこそ描ける絵だと思います。

「ぼくはときおり、なんの心配もなくしゃべりたい、『上品な』、『流暢な』と言えるような、なめらかな話し方であればいいのに、と思います。でも、そうなったら、それはぼくではありません」

ぜひ、本書を手に取って、ご確認ください。
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hacker
hacker さん本が好き!1級(書評数:2293 件)

「本職」は、本というより映画です。

本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。

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