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ぽんきち
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それは、妻の何気ないひとことから始まった。
著者は教育心理学者。著者の妻は臨床発達心理士として現場で働いている。
2人は弘前に住む。
著者は博多生まれだが、妻は津軽生まれ。津軽弁に関しては妻がネイティブである。
ある日、仕事から帰ってきた妻が、何気なく「自閉症の子どもって津軽弁しゃべんねっきゃ(話さないよねぇ)」という。著者は、「それは津軽弁をしゃべらないのではなく、自閉症児の音声的特徴が方言らしく聞こえないということでは?」と反論する。自閉症の人は一本調子の独特の話し方をするのだ。
そこで収まるかと思うと、妻は気色ばんで、いや、そういうことではない、と言い返す。
お互い、専門家同士の意地もあって、思わぬ口論になってしまう。
一呼吸おいて、著者は考える。
「じゃあ、ちゃんと調べてやる」
そこからこの研究が始まる。

「自閉症児は津軽弁を話さない」は本当なのか。妻によれば、現場では共通認識なのだという。
著者はまず、周囲への聞き取りから始める。どうやらそういう認識はあるらしい。
ではアンケートを取ってみる。まずは青森県で。そして秋田県で。
著者は途中までは、この話を根拠のない噂と捉えていたが、調査を進めていくにつれ、徐々にどうやら本当らしいことが見えてくる。
しかも、当初著者が考えていたような、自閉症者特有のイントネーションのせいではなく、方言特有の語彙も自閉症者では使われないようだ。
ではそれは、津軽あるいは北東北のみで見られることなのか。
調査対象を全国にしてみる。
方言が特徴的である京都・舞鶴・高知・北九州・大分・鹿児島をピックアップする。そして自閉症(自閉スペクトラム症:ASD)の子ども、知的障害(ID)の子ども、地域の子ども一般で、方言使用に差があるかどうかに関して、特別支援学校の先生を対象にアンケートを取る。子どもの発現を直接調査するのではなく、先生の印象調査としたのは、比較のペア形成が困難であることや、方言であるかどうかを判断する評定者の確保が難しいことなど、いくつか理由がある。地元の先生であれば方言の判別は簡単だし、ある程度の傾向は見えてくるはずだ。
結果として、全国各地で、IDの子ども・地域の子どもに比較してASDでは方言使用が少ないことが見えてきた。

この結果を学会発表してみると、反応は大きく2種類だった。
1つは、美しい興味深い結果だというもの。もう1つは、そんなことは当たり前でわかりきったことだというもの。
しかし、著者以前にこうした研究を体系的に行ったものはなかった。
現象がわかっていて、それが「当たり前」で放置しておいてそれでよいものだろうか。

著者はさらに、歩を進める。
ASDが方言を使わない傾向があるとして、その原因は何か。
そこから話は、方言というものの特性、使用されるシチュエーション、そしてASD自体の特徴へと移っていく。
方言が語られる状況というのは、改まった場よりも、家庭の中や近所の気心の知れた人、つまり、親密さを現す場が多い。一方で、ASDの人は他人の感情を推し量るといったことが苦手だ。相手がどう思っているかを感じ取り、それに合わせて自分の態度を変化させることが不得意なのだ。
そうなると、あまり感情が入り込まない公の場で話される言葉の方が、なじみやすく模倣もしやすい。テレビやビデオなどで(特に「繰り返し」)提示されるものを吸収する傾向があるのではないか。
そこから派生して、ではASDでも方言をまったく話さないわけではないがそれはどういうことか、ASDの子ども相手に何かを教示する場合、「~して」や「~しなさい」より「~します」「~です」を使うことが多いがそれはどういうことか、といった話題も盛り込まれる。

結論としては、どうやら、夫婦喧嘩は妻に軍配が上がったようである。
「自閉症は津軽弁を話さない」は本当だった。
だが、そこは著者も専門家、転んでもタダでは起きない。実はこの命題は、当初の印象以上に、ASDへの理解や、方言と標準語の使われ方の違い、ひいては人のコミュニケーションの根底にあるものといった、奥深い洞察へと続くものだったようである。
心理学の調査・研究というのはこのように組み立てられていくのか、というのも興味深い。

ちょっと疑問なのは、標準語という概念がないような昔、よその地域との交流も稀だったころ、そしてテレビやビデオなどなかったころでも、ASDの人というのはいたのだろうし、そうした人はどうだったのだろうかという点だ。そしてまた、標準語というのは、元は関東の一地方の「方言」であるわけで、そうした地域ではどうなのかということ。明確ではなくても、何らかの「差」は出るのか。

この研究はさらに続いていくのだろうし、今後の展開が発表されることがあるのであれば、楽しみにしたい。


*夏のカドフェス読書会の主催者プレゼントでいただいた本。これでコンプリート! ご恵贈ありがとうございました☆
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ぽんきち
ぽんきち さん本が好き!免許皆伝(書評数:1825 件)

分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。

本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。

あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。

「実感」を求めて読書しているように思います。

赤柴♀(もも)は3代目。
この夏、有精卵からヒヨコ4羽を孵化させました。現在、中雛、多分♂x2、♀x2。ニワトリは割と人に懐くものらしいですが、今のところ、懐く気配はありませんw

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この書評へのコメント

  1. noel2022-02-03 17:15

    たまたま言語に関する本の拙評を書いたので、興味深く読みました。方言を「覚える」脳というのは、どのようなものなのでしょう。「自閉症は津軽弁を話さない」という命題は、言語が人間の脳に生得的に備わったものではないということの証左にもなるのではないでしょうか。

  2. ぽんきち2022-02-03 17:46

    コメントありがとうございます。

    えーと、言語学、ほぼ知らないので(^^;)、逆に教えていただきたいですが、生得的かどうかというのは、言語が生成される過程について言っている話ではないのですか?(チョムスキーとかの話ですよね?) 日本語なら日本語、英語なら英語が成立するところといいますか。
    習得するのはまたちょっと違う?のではと思うのですが、どうなのでしょうか?
    いずれにしても習得するのにも何かしら脳にそれらを学ぶべき「能力」(特性?)は必要なのかもしれないですね。

    すみません、ちょっと門外漢なので頓珍漢なことを言っているのかもしれないですが、津軽弁と自閉症の話、専門の方から見るといろいろ発展させる取っ掛かりになるのでは、と素人的に思いました。

  3. noel2022-02-03 20:51

    久しぶりにぽんきちさんと話せて、とても嬉しいです。
    わたしはその筋の学者ではないので、専門的なことは知りませんが、言語はそれを習得する過程で、その環境もしくは空間のありように応じた形で組み替えられていくものだと考えています。なので、ぽんきちさんのおっしゃるように、脳には言語を蓄えるべき構造もしくは「能力」を有していなければ、その可塑性を発揮することはできませんので、脳に何らかの障害があれば、その環境に応じた言語を習得することができなくなると考えられます。
    いずれも素人のわたしが想像で考えていることなので、あんまりアテにはなりませんが、人間の脳にだけ特化した「普遍文法」なるものがアプリオリに存在しているとは思えないのです。むしろ、その文法も国もしくは地域によって異なるようにその土地もしくは空間の必要性に応じたものとして発展していく。それが方言というものの正体だと思うのですが、いかがでしょうか。

  4. ぽんきち2022-02-03 21:03

    あ、ありがとうございます。
    や、この件については私、本当に素人なので、何か言うのは僭越で申し訳ないですが(^^;)。

    方言って、日本語と英語ほどは違わないですよね。
    昔だと、青森と岩手の人の間だと会話が成立しても、例えば青森と鹿児島では話が通じなかったくらいには違うとは思います。とはいえ、文法構造までは異ならず、日本語として括ることができる。
    で、多分、この本で主題になっている標準語と方言の違いというのは文法とかではなく、使われるシチュエーションとか込められるニュアンスのことなんじゃないかと思います。現代、方言が使われる場面というのは、親密さをあらわすときであることが多く、自閉症の子の多くは、そういう感情的な意味を汲み取るのが苦手であり、方言を使いこなすのが困難である、ということなんじゃないかな。
    自閉症の人でも基本的に文法は身に着けていらっしゃるんじゃないかなと思うのですが。

  5. ぽんきち2022-02-03 21:05

    「普遍的文法」の話はちょっと難しくてよくわからないのですが。
    言語の習得に困難がある障害もあるでしょうし、そちらの方から取っ掛かりがあるのかもしれないですね。

    すみません、取っ散らかっていてあんまりまとまりがありませんが(^^;)。

  6. noel2022-02-10 09:39

    いや、よくわかりました。わたしが大きく捉えすぎて話が飛んでしまったのです。
    おっしゃるように方言とは地理的な落差によって生ずるものだとしたら、同じ国内ならば、さしたる違いはなく、音声もしくは事物に対する命名の違いなどで、文法そのものには違いはないでしょう。その意味では韓国の文法も地理的歴史的な交流の関係で似ていますし、その隣の中国とは異なっています。と、そんなワケでわたしは脳に障害のあるひとは文法に則った話ができないといっているのではなく、仰るような「親密さを表すとき」の場面に応じた受け答えができないので、当たり障りのない、もっと言えば非感情的でニュートラルな話し方になる。そうすると必然、方言ではなく、共通語としての言語を用いてのコミュニケーションとなるのではと思っています。なんだか、ぽんきちさんを悩ますために書いたようですが、悪意はないので勘弁してくださいね。また遊んでやってください。

  7. ぽんきち2022-02-03 21:44

    私もお話しできて楽しかったです。
    おかげさまで、この本について考え直すこともできました。

    ありがとうございます。

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