darklyさん
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なかなか読むのに骨が折れます。しかし骨を折っただけ知的興奮が得られる良書です。
本書は「数学する身体」で有名な数学者の森田真夫さんによる数学エッセイです。数字の発明からの数学の歴史を紐解きながら、人間と数学の関係を考察し、そして人工知能や人工生命にまでその思索は広がっていきます。
子供が数を覚えるときに具体的な物、例えば林檎の数を数えるようにして学ぶように、現実の世界に根差したものであった数というものが、虚数の登場により一体これが何を意味するのか長年数学者を悩ませました。複素平面の発明により幾何学的な説明がされました。
ところで幾何学はずっと厳密な作図によって研究されてきました。これを劇的に変化させたのがデカルトです。デカルトは代数、すなわち方程式により幾何学を理解し問題を解決する方法を確立したのです。
しかし、ここまでの数学の進歩の過程においては人間の直観が元になっています。つまりそれまでの幾何学は人間としてイメージできる図形によるものでした。高校までの数学で現実離れした直観的に想像できない図形の問題は出てきません。そして19世紀後半に大きく数学の流れを変える天才が登場します。
それがベルンハルト・リーマンです。リーマンと言えば一般的には数々の天才を狂気の闇に葬り去った「リーマン予想」が有名ですが、リーマン面、リーマン積分、リーマン多様体といった既存の概念を覆す現代数学の礎となる土台を作りました。リーマンがいなければアインシュタインの相対性理論は生まれていません。
ところで数学は技術的な側面が発展する場面では純粋に数学でありますが、革命的に概念が変化する場合には哲学にかなり近い側面があります。事実数学者と哲学者は数学の発展にお互いに相互作用してきました。もちろんそのような人の中には先述のデカルトのように数学者でもあり哲学者でもある天才もいます。一般的に哲学者として認識されるが主に認識論において数学に大きな影響を与えた人物としてカントが挙げられます。そしてカントの考えを基に数学者フレーゲが新しい論理学を作り、そして現代に大きな影響を及ぼすことになる哲学者ウィトゲンシュタインとつながっていきます。
そして話題は人工知能に辿り着きます。人工知能は文字通りコンピューターを使って人工的に人間の頭脳を再現しようとしたものですが、そもそもコンピューターの基礎理論に深く携わったアラン・チューリングの発想は、計算をする人間の思考から「人間」を極限までとり払い純粋に規則にだけ従うものを作ることでした。だとするとコンピューターがどれだけ発達しても人間の頭脳に近いものができるわけがありません。
ウィトゲンシュタインはチューリングとの論争の中で、
私なりに解釈しますと、そもそも生命は体が最初にあって、生き残り、子孫へ種をつなぐため必要から知性を芽生えさせたのでは。これまでのロボットには種の保存のよう必要はないので知性が生まれる余地がないではないか。そして「身体」をキーにしての人工知能研究の時代に入ります。おなじみ掃除ロボット「ルンバ」の生みの親として知られるロボット工学者、ロドニー・ブルックスがそのフロンティアに立っています。
本書は200ページ少しの内容ですが、その濃さは圧倒的です。ベッドに寝転がって気軽に読める本ではなく、何回読んでも理解できない部分も多々あります。しかし、それを差し置いても得られるものが多い良書だと思います。
子供が数を覚えるときに具体的な物、例えば林檎の数を数えるようにして学ぶように、現実の世界に根差したものであった数というものが、虚数の登場により一体これが何を意味するのか長年数学者を悩ませました。複素平面の発明により幾何学的な説明がされました。
ところで幾何学はずっと厳密な作図によって研究されてきました。これを劇的に変化させたのがデカルトです。デカルトは代数、すなわち方程式により幾何学を理解し問題を解決する方法を確立したのです。
しかし、ここまでの数学の進歩の過程においては人間の直観が元になっています。つまりそれまでの幾何学は人間としてイメージできる図形によるものでした。高校までの数学で現実離れした直観的に想像できない図形の問題は出てきません。そして19世紀後半に大きく数学の流れを変える天才が登場します。
それがベルンハルト・リーマンです。リーマンと言えば一般的には数々の天才を狂気の闇に葬り去った「リーマン予想」が有名ですが、リーマン面、リーマン積分、リーマン多様体といった既存の概念を覆す現代数学の礎となる土台を作りました。リーマンがいなければアインシュタインの相対性理論は生まれていません。
ところで数学は技術的な側面が発展する場面では純粋に数学でありますが、革命的に概念が変化する場合には哲学にかなり近い側面があります。事実数学者と哲学者は数学の発展にお互いに相互作用してきました。もちろんそのような人の中には先述のデカルトのように数学者でもあり哲学者でもある天才もいます。一般的に哲学者として認識されるが主に認識論において数学に大きな影響を与えた人物としてカントが挙げられます。そしてカントの考えを基に数学者フレーゲが新しい論理学を作り、そして現代に大きな影響を及ぼすことになる哲学者ウィトゲンシュタインとつながっていきます。
そして話題は人工知能に辿り着きます。人工知能は文字通りコンピューターを使って人工的に人間の頭脳を再現しようとしたものですが、そもそもコンピューターの基礎理論に深く携わったアラン・チューリングの発想は、計算をする人間の思考から「人間」を極限までとり払い純粋に規則にだけ従うものを作ることでした。だとするとコンピューターがどれだけ発達しても人間の頭脳に近いものができるわけがありません。
ウィトゲンシュタインはチューリングとの論争の中で、
計算していることと、計算しているように見えることは違う。明示された規則に合致した記号操作だけでは、計算と呼べないと主張します。筆者はそれを例えてこう言います。
たとえばカルダーノやボンベリが虚数の解を導出したときのように、意外な計算結果を導出してしまったときにも、人はその意味を問い、結果の正しさについて、みずから問い直すことができる。意図と目的を欠いた自動機械にすぎないチューリング機械にはこれができない。機械にとって記号は何の意味もなく、したがって計算の結果の正誤について、みずから吟味する余地がないからである。正しい結果と間違った結果の区別ができないとすれば、それは果たして計算と呼べるのか。結局、意図と目的の欠落した機械は、計算などしていないのではないか。自律的な知性を作り出す壁に直面した人工知能研究はドレイファスが提示する方向へ向かいます。自立した知性を生み出すには刻刻と変化する「状況」に参加できる「身体」が必要なのではないか。目的と意図を持った、身体的な行為こそが知能の基盤にあることを、もっと重くみるべきだと。
私なりに解釈しますと、そもそも生命は体が最初にあって、生き残り、子孫へ種をつなぐため必要から知性を芽生えさせたのでは。これまでのロボットには種の保存のよう必要はないので知性が生まれる余地がないではないか。そして「身体」をキーにしての人工知能研究の時代に入ります。おなじみ掃除ロボット「ルンバ」の生みの親として知られるロボット工学者、ロドニー・ブルックスがそのフロンティアに立っています。
本書は200ページ少しの内容ですが、その濃さは圧倒的です。ベッドに寝転がって気軽に読める本ではなく、何回読んでも理解できない部分も多々あります。しかし、それを差し置いても得られるものが多い良書だと思います。
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昔からずっと本は読み続けてます。フィクション・ノンフィクション問わず、あまりこだわりなく読んでます。フィクションはSF・ホラー・ファンタジーが比較的多いです。あと科学・数学・思想的な本を好みます。
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- 出版社:新潮社
- ページ数:0
- ISBN:9784103396529
- 発売日:2021年04月15日
- 価格:1870円
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