書評でつながる読書コミュニティ
  1. ページ目
詳細検索
タイトル
著者
出版社
ISBN
  • ログイン
無料会員登録

ゆうちゃん
レビュアー:
獄中のワイルドが自分が投獄されるきっかけとなった相手に書いた長大な手紙。相手への非難から自省、赦し、そして恨みを新しい芸術論に昇華している。

※ネタバレ注意! 以下の文には結末や犯人など重要な内容が含まれている場合があります。

オスカー・ワイルドは、男色事件に関係したと言うことで有罪になり、2年間投獄された。この獄中記は、ワイルドが投獄される原因となったアルフレッド・ダグラス卿に宛てた長大な手紙と言う形式で書かれている。だが、これを読んでもワイルドが何の罪を犯したのかさっぱりわからない。僕が読み取れるのは、以下の点である。
①ダグラス卿はワイルドに比較してそれなりに若い人で、かなりの遊び人らしい
②ダグラス卿は良い友人とは言えず、身勝手で気まぐれ、貴族でありながらワイルドにたかってばかりいた。
③ワイルドはそんなダグラス卿とずるずる付き合いを重ねた。
④ダグラス卿は父親を憎み、その父親は、息子とワイルドの交友を裂こうとしていた。
⑤ワイルドはダグラス卿に唆され彼の父親を訴えた(何を訴えたのかはっきり書かれていないが、実際は名誉棄損)。
⑥ところが逆にワイルドが被告席に座ることになり有罪になった(何で訴えられたのかはっきり書かれていないが、⑤の訴訟で明らかになったワイルドの男色行為への告発)。
読後にWikiを調べてみると、裁判の経緯はこうなっている。
クイーンズベリー侯は、オスカー・ワイルドと三男ダグラス卿の同性愛の関係を引き裂くべく、同性愛者として糾弾するカードをワイルドに送ったが、ワイルドはクイーンズベリー侯を名誉棄損で訴えて裁判となった。しかし裁判はワイルドの生活の実態を明らかにしたクイーンズベリー侯に有利に進み、結局ワイルドは訴えを取り下げた。その裁判で同性愛が明らかになったとしてワイルドは逮捕され、その後の刑事裁判で有罪判決を受けている

ワイルドは本書でクイーンズベリー候をイギリスの公衆の前で愛情深い父親の役割を果たしたかっただけだと非難している。ワイルドの目線からすると、自分は親子の近親憎悪に巻き込まれただけのような書き方である。だが、ダグラス卿とワイルドの間には男色関係があったのは事実のようだ。本書では男色のことは一切書かれていないが、Wikiのアルフレッド・ダグラス卿の項目を読むと、ワイルドが本書に書いていることは一応真実に近いようである。結局、ワイルドが、クイーンズベリー侯爵(ダグラス卿の父)を名誉棄損で訴えた。それは父親を憎むダグラス卿がワイルドを唆した結果で、訴因は、クイーンズベリーのワイルドへの非難のコメント(名刺の裏に書かれたワイルドを悪し様に言う文言)だった。この点でクイーンズベリー侯爵は無罪になったが、その過程でワイルドの男色が明らかになり、ワイルドが被告席に座ることになった。

本書はひとつの手紙であり章立てなどないし、訳者も章に分けたりはしていない。だが大まかに以下の様に内容を区分できる(僕が読んだのは新潮文庫:昭和29年初版、昭和53年29刷である)
13~56頁、ダグラス卿との交友の経緯、絶交できなかったことを後悔し、彼の為に散々金を使い、自分も道徳的に堕落したこと。そうした彼との交際を断てなかった自責の念。
56~63頁、ダグラス卿の父親への憎しみ。親子の憎悪にワイルドが引っ張り込まれてしまったこと。
63~94頁、ワイルドの陥った境遇。妻から離婚を突き付けられ、裁判の結果、破産を宣告された。それにもかかわらず、ダグラス卿が今回の一件を文章にして雑誌に発表することへの非難。
94~103頁、ワイルドの今の心中。自分の苦い感情を昇華させるためにはダグラス卿を赦さねばならないと思っていること。
103~139頁、前段を受けての更なる自省の念。罪を受け入れる意識、そうすることによる芸術への洞察と理解の知覚。そしてワイルドのキリスト(本書ではクリスト)論。
139~148頁、「芸術的生活と行為の関係」論。投獄されて真の芸術に目覚めたこと。
148~166頁、再びダグラス卿の話に戻り、彼の父母をはじめとする一族の無責任さの指弾。
166~186頁、ダグラス卿の凡庸性、自分と付き合うに値しない人だと言うダグラス卿への非難、ダグラス卿もいつかはツケを払わねばならないこと、そして自分が出獄したらどうするかと言う考えの開陳。

本文の半分ほどは、ダグラス卿と彼の一族への非難の手紙となっており、正直読むのがうんざりと言う感じである。彼も自責している通り、ダグラス卿とワイルドの関係がそんなものだったら、なぜさっさと縁を切ってしまわなかったのだろうかと思う。
だが94頁からは、相手を責める気持ちが昇華され、ダグラス卿への赦しと罪を認めそれを自分の作品へ活かすことをすら書かれている。ここで述べられるキリスト論はかなり変わっていて、キリストは想像力豊かな詩人で、愛を求め、個人主義者の芸術家だと言っている。芸術家は表現者でなければならないが、キリストは貧しい人の代弁者を務め、更に自らが悲劇の主人公になったことで、後世の芸術に資したと言っている。はっきりそうは書いていないが、結局ワイルドは自分をキリストに例えたかったように読める。ワイルドと言うと耽美主義的な作風とされるが、中には「幸福の王子」の様なその傾向から外れた作品もある。そういった作品は、前述のキリスト観の予兆だとしている(意外だった)。
本書では度々浅薄こそ最高の悪徳だ。何事でも身をもって理解したことだけが真実であると言う言葉が何度も出て来る(この通りではないが似たようなフレーズも含め15、63、71、102、105、179頁)。一か所だけ社会を非難する場面で使っているが、この言葉は皮相的で快楽しか念頭にないダグラス卿に向けた言葉である。言葉通りに受け取ると、フレーズの後半でダグラス卿は中身のない人間と言うことになる。さすが作家だけあって、人を非難するにもストレートではなく、なかなか含蓄のある言葉を使う。
一方でワイルド自身は「美しすぎる玩具」(174頁)であり、この投獄を通じて自分の本性の中にある謙譲を悟り、新しい芸術への出発点にしたいと語っている。芸術的生活とは自己発展にほかならぬことだし、芸術における謙譲とは、あらゆる体験を率直に受け入れることだからだ(117頁)。
文学的には、94~148頁付近の記述に価値があるかなと思う。その他のダグラス卿を巡るあれこれは、一般人である自分にはあまりにも個人的だった。事実とは言え、人を非難する文章が延々と続くのも後味が悪い。これがあるから心境の変化が理解出来るのかもしれないが・・。獄中で芸術に新しく目覚めたようだが、ワイルドは、出獄後それほど長く生きた訳でもなく、それを踏まえた作品も無い。早世を惜しむべきか、大言壮語をして書けなかったのか・・。
お気に入り度:本の評価ポイント本の評価ポイント本の評価ポイント本の評価ポイント
掲載日:
外部ブログURLが設定されていません
投票する
投票するには、ログインしてください。
ゆうちゃん
ゆうちゃん さん本が好き!1級(書評数:1681 件)

神奈川県に住むサラリーマン(技術者)でしたが24年2月に会社を退職して今は無職です。
読書歴は大学の頃に遡ります。粗筋や感想をメモするようになりましたのはここ10年程ですので、若い頃に読んだ作品を再読した投稿が多いです。元々海外純文学と推理小説、そして海外の歴史小説が自分の好きな分野でした。しかし、最近は、文明論、科学ノンフィクション、音楽などにも興味が広がってきました。投稿するからには評価出来ない作品もきっちりと読もうと心掛けています。どうかよろしくお願い致します。

参考になる:26票
あなたの感想は?
投票するには、ログインしてください。

この書評へのコメント

  1. No Image

    コメントするには、ログインしてください。

書評一覧を取得中。。。
  • あなた
  • この書籍の平均
  • この書評

※ログインすると、あなたとこの書評の位置関係がわかります。

『獄中記』のカテゴリ

フォローする

話題の書評
最新の献本
ページトップへ