ゆうちゃんさん
レビュアー:
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1950年代に一世を風靡した「怒れる若者」の一角を為すとされるシリトーの短編集。表題作は怒りで埋め尽くされている。だが、他の作品を読むと、シリトーを「怒れる若者」に枠に押し込めるのは間違いだと思う。
シリトーは、1950年代に小説を発表した作家の一群「怒れる若者たち」のひとりとみなされることが多い。表題作他7編を収める。「長距離走者の孤独」は、ラジオドラマから知った作品である。
長距離走者とは感化院に入っているスミス(おれ)のことである。彼は走りが得意で、感化院の収監者たちのレースの選手に選ばれた。皆より1時間早く起きて感化院の外を走る練習に行って良い。だが、今更それを機会に脱走など考えていない。どこかに監視がいるだろうし、脱走すれば捕まって収監が長引くだけだ。走りながら、「おれ、無法者たち」と「奴ら、有法者たち」の違いを考える。感化院長もおれも誠実であることが信条だが、おれの誠実と感化院長や有法者たちの誠実は相容れない。おれはおれに誠実なだけだ。
「怒れる若者たち」ぽい作品はこれだけである。確かにこの作品は、その書きぶりからして怒りで埋め尽くされている。だが、解説やネットの紹介を見てもシリトーをこの枠で括るのには無理がありそうな感じを受ける。そもそも、「怒れる若者たち」と呼ばれるどの作家もそこに括ってしまうのは問題かもしれない。そんな作品ばかり書けるものではないだろう。
他の作品は、戦争の陰を引きずった作品(「アーネストおじさん」、「フランキー・ブラーの没落」)、家庭生活を話題にした作品(「漁船の絵」、「試合」、「ジム・スカーフィデイルの屈辱」)など。「漁船の絵」は、おれとキャスィーの奇妙な男女関係の話。おれは読書に熱中し、キャスィーが話しかけても応じない。愛想をつかして彼女はペンキ屋と駆け落ちしてしまった。気ままな独り暮らしを始め10年後、キャスィーが突如おれの家に来る。その後、彼女は毎週木曜に訪ねては四方山話をして行く。再会して初めての訪問の時、彼女は「漁船の絵」が気に入ったと言うので、おれは包んで渡してやった。だが2、3日後にその絵を質屋で見かける。おれは請け出して壁に飾った。この絵は、きっとキャスィーそのもののことなのだろう。彼女はおれの家に漁船の絵が戻っていても驚かないし、以来、おれはキャスィーが金に困っているのではないかと何かと気を回した。キャスィーと会った最後の時にも、またこの絵を欲しがるので贈ってやった。2、3日後にそれを質屋で見ても、今度は請け出さなかった。請け出していれば・・。「試合」も「ジム・スカーフィデイルの屈辱」も家庭生活はうまく行かない話である。本書を初めて手にしたのは高校生の時だったが、こんな作品を読んでもよくわからなかっただろうな(当時の読後感は全く覚えていない)。結婚が上手くいく夫婦も勿論いるが、自分の場合はお互いに我慢の生活である。今読むと身につまされる。
「フランキー・ブラーの没落」の語り手はシリトーを投影しているのだろう。労働者階級の町で育った語り手の「僕」は文士の端くれになり、マジョルカ島で子供時代を振り返るのだった。フランキー・ブラーはプラプラしている青年で子供達の軍隊を率いては隣町に攻め込んで行く。その子供達の中には当然「僕」もいる。第二次世界大戦直前の話である。この語り手のマジョルカ島の別荘には、純文学の本がたくさん並べられている。もしシリトーが「怒れる若者」であれば、そんな本は置かないのではないだろうか?
最初に取り上げた短編に戻るが、「長距離走者」の「おれ」も、カエサルの名言をもじったりするインテリである。実は感化院の体験を本にしていると言うことが最後にわかる。この小説の書きぶりだと「インテリな無法者」とはちょっと受け入れがたく、この設定で、怒りの効果が少し薄らいでしまった。
長距離走者とは感化院に入っているスミス(おれ)のことである。彼は走りが得意で、感化院の収監者たちのレースの選手に選ばれた。皆より1時間早く起きて感化院の外を走る練習に行って良い。だが、今更それを機会に脱走など考えていない。どこかに監視がいるだろうし、脱走すれば捕まって収監が長引くだけだ。走りながら、「おれ、無法者たち」と「奴ら、有法者たち」の違いを考える。感化院長もおれも誠実であることが信条だが、おれの誠実と感化院長や有法者たちの誠実は相容れない。おれはおれに誠実なだけだ。
人生で物を言うのはずるさだ。そのずるさは出来るだけ抜け目なく使わなければだめだ。奴らはずるいが、おれも負けずにずるい。そして捕まった時の経緯を思い出す。霧の夜に窓が開けっぱなしの不用心なパン屋から金庫を盗んだ。盗んだ金は巧妙な場所に隠し、私服の刑事が何度家宅捜索をしても見つからなかった。しかし、運が悪いと言えば悪い。最後には逮捕された。そして競技会当日を迎える。布袋腹の感化院長は、同じ布袋腹の国会議員におれを紹介し、優勝候補だと言う。おれは、途中でトップに立った。だがおれは優勝するまいと堅く決意をしていた。
「怒れる若者たち」ぽい作品はこれだけである。確かにこの作品は、その書きぶりからして怒りで埋め尽くされている。だが、解説やネットの紹介を見てもシリトーをこの枠で括るのには無理がありそうな感じを受ける。そもそも、「怒れる若者たち」と呼ばれるどの作家もそこに括ってしまうのは問題かもしれない。そんな作品ばかり書けるものではないだろう。
他の作品は、戦争の陰を引きずった作品(「アーネストおじさん」、「フランキー・ブラーの没落」)、家庭生活を話題にした作品(「漁船の絵」、「試合」、「ジム・スカーフィデイルの屈辱」)など。「漁船の絵」は、おれとキャスィーの奇妙な男女関係の話。おれは読書に熱中し、キャスィーが話しかけても応じない。愛想をつかして彼女はペンキ屋と駆け落ちしてしまった。気ままな独り暮らしを始め10年後、キャスィーが突如おれの家に来る。その後、彼女は毎週木曜に訪ねては四方山話をして行く。再会して初めての訪問の時、彼女は「漁船の絵」が気に入ったと言うので、おれは包んで渡してやった。だが2、3日後にその絵を質屋で見かける。おれは請け出して壁に飾った。この絵は、きっとキャスィーそのもののことなのだろう。彼女はおれの家に漁船の絵が戻っていても驚かないし、以来、おれはキャスィーが金に困っているのではないかと何かと気を回した。キャスィーと会った最後の時にも、またこの絵を欲しがるので贈ってやった。2、3日後にそれを質屋で見ても、今度は請け出さなかった。請け出していれば・・。「試合」も「ジム・スカーフィデイルの屈辱」も家庭生活はうまく行かない話である。本書を初めて手にしたのは高校生の時だったが、こんな作品を読んでもよくわからなかっただろうな(当時の読後感は全く覚えていない)。結婚が上手くいく夫婦も勿論いるが、自分の場合はお互いに我慢の生活である。今読むと身につまされる。
「フランキー・ブラーの没落」の語り手はシリトーを投影しているのだろう。労働者階級の町で育った語り手の「僕」は文士の端くれになり、マジョルカ島で子供時代を振り返るのだった。フランキー・ブラーはプラプラしている青年で子供達の軍隊を率いては隣町に攻め込んで行く。その子供達の中には当然「僕」もいる。第二次世界大戦直前の話である。この語り手のマジョルカ島の別荘には、純文学の本がたくさん並べられている。もしシリトーが「怒れる若者」であれば、そんな本は置かないのではないだろうか?
最初に取り上げた短編に戻るが、「長距離走者」の「おれ」も、カエサルの名言をもじったりするインテリである。実は感化院の体験を本にしていると言うことが最後にわかる。この小説の書きぶりだと「インテリな無法者」とはちょっと受け入れがたく、この設定で、怒りの効果が少し薄らいでしまった。
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神奈川県に住むサラリーマン(技術者)でしたが24年2月に会社を退職して今は無職です。
読書歴は大学の頃に遡ります。粗筋や感想をメモするようになりましたのはここ10年程ですので、若い頃に読んだ作品を再読した投稿が多いです。元々海外純文学と推理小説、そして海外の歴史小説が自分の好きな分野でした。しかし、最近は、文明論、科学ノンフィクション、音楽などにも興味が広がってきました。投稿するからには評価出来ない作品もきっちりと読もうと心掛けています。どうかよろしくお願い致します。
この書評へのコメント
- ゆうちゃん2021-09-05 12:09
ことなみさん、コメントありがとうございます!
映画があるとは知りませんでした。調べると六十年代製作ですね。内心の描写がかなりの部分を占める小説なので相当な演技力が必要だと思います。入手難みたいですが、いつか見てみたいと思います。ことなみさんの書評、小説見つけられたら、お待ちしております。
その三本立て、最低でも二本は白黒ですね。でもかなりお得な構成だと思います。去年マリエンバートで、は難解映画の代表作、意味不明でも何度も見たくなる映画ですね。道、はニーノ・ロータの音楽が素敵です。ことなみさんのブログ、たまに拝見しますが、映画もひとつの柱とされていますね。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 コメントするには、ログインしてください。
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