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紅い芥子粒
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内田百閒は、1889年に生まれ1971年に没した。明治に生まれた人が、80年以上も生きたのだから、長寿といっていい。百閒先生は、多くの人を、人生という列車の窓から見送り、追悼する文を書いた。
長生きすると、悲しいことも多い。同じころに生まれた人や、後から生まれた人に、先立たれてしまうこと。

夏目漱石、芥川龍之介、田山花袋、寺田寅彦、鈴木三重吉、豊島与志雄、森田草平、太宰治……

内田百閒は、夏目漱石に師事していた。
漱石先生との詠別は、大正五年(1916年)。享年49歳。内田百閒27歳の時だった。
『漱石先生臨終記』は、昭和九年12月の『中央公論』に発表されたもの。
漱石先生との別れの時から19年も経っているのに、臨終の日の様子が生々しく描写されている。


芥川龍之介は、内田百閒より三歳若い。
同じく漱石先生の門下生だったこともあり、親交があった。

芥川が自殺したのは、昭和二年7月24日。享年35歳。内田百閒38歳の時だった。
追悼文『湖南の扇』(昭和九年11月「文学」)に、その数日前に芥川を訪ねた時の、彼の様子が描かれている。
睡眠薬の飲みすぎで、半覚半睡の状態で客に応対していた。
ひと言か二言、何かいったかと思うと、椅子にもたれて昏昏と眠ってしまう。
話すことばも、酔っ払いのようでろれつが回らず、意味もわからなかったという。

追悼文『亀鳴くや』は、昭和二十六年4月に『小説新潮』に発表されたものである。
二十四年も経ったのだから、もういいじゃないか、あれこれ詮索しなくても、という思いがあったのかもしれない。
芥川が死んだ昭和二年の夏は、とにかく暑かった、
原因や理由はいろいろあっても、芥川が死んだのは非常な暑さのせいだ、
あまりに暑かったから死んでしまったんだ、と書いている。


太宰治とは会ったこともないというのに、追悼文を書いている。
昭和二十三年8月の『小説新潮』である。
太宰治は1909年生まれだから、百閒先生より20歳も若い。
その年の『小説新潮』1月号の口絵に、お酒に酔ってごきげんになった太宰の写真が載っていた。
それを見て、先生は書いた。いっしょに飲みたかった、なんて。
太宰治昭和二十三年(1948年)没。享年39歳。


内田百閒は、少年のころから箏をたしなんでいたという。
高名な筝曲家で、随筆家でもあった宮城道雄とは親友同士だった。
盲目の宮城道雄が、東海道線刈谷駅で、列車から転落して死んだのは、
昭和三十一年(1956年)6月25日だった。
内田百閒は、親友の不慮の死を受け入れることができず、弔いにも出ず、自宅への弔問もできなかったという。

『東海道刈谷駅』(昭和三十三年(1958年)11月『小説新潮』)は、
親友が死神にとりつかれた魔の一日の行動を、丹念にたどった執念のノンフィクションである。
この作品を書くことで、百閒先生は、親友の死を受け入れることができたのだろう。
東海道刈谷駅に建立された宮城道雄の供養塔の前に、縁日の市がたつといいな、なんて書いている。
宮城道雄、享年62歳。内田百閒、67歳。

ずいぶん若いころに書いた追悼文もある。
明治四十二年に六高校友会誌に書いたもの。内田百閒は、二十歳である。
高校生のときに、親友と死別した。
若い人が病気で死んでしまうことが、珍しいことでも特別なことでもなかった時代。
一日一日を健康で生き延びることが、どれほどありがたく幸せなことか、この時代の人は身に染みて知っていたにちがいない。

大正十二年(1923年)9月1日、関東大震災があった。
百閒先生のドイツ語の弟子、お初さんが犠牲になった。
『アヂンコート』(昭和三十八年1月20日「東京新聞」)は、思いのこもった追悼文である。
美人だけど好きな顔立ちではない、なんてそっけない書きぶりは、ほんとは好きだったんでしょと、冷やかしたくなる。

愛猫のノラやクルを追悼した文も載っている。
クルは、手厚く看取ってやれたから悔いはないが、ノラは家出したままだから思いが残ると書かれている。

百閒先生、天国でノラと再会できましたか?

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紅い芥子粒
紅い芥子粒 さん本が好き!1級(書評数:561 件)

読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。

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この書評へのコメント

  1. michako2021-08-19 00:44

    こんな素敵な本が出ていたんですね!
    長く生きてくれた百鬼園先生ならではなのかもしれません。
    探してみたいです^ ^

  2. 紅い芥子粒2021-08-19 07:39

    michakoさん、コメントありがとうございます。長生きは、楽しくもあり、寂しくもあり、ですね。ほろほろしたり、クスクスしたり、よい本でした。

  3. No Image

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