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ぽんきち
レビュアー:
「病気を感じる人たちがいるから医学があるわけで、医者がいるから人びとが彼らから自分の病気を教えてもらうのではない」(ジョルジュ・カンギレム『正常と病理』)
タイトルの「0番目の患者」とは、感染症学で、集団において初めて特定の感染症に罹ったと見なされる患者のことを「ゼロ号患者(ペイシェント・ゼロ)」と称することに由来する。
著者はこれを拡大解釈して使用しており、ある疾患や医学的な事象が広く社会に知れ渡る際に大きな役割を果たした「第0号患者」たちを19章に渡って取り上げている。
医学の歴史を語る際、得てして何らかの病気を「発見」した医師が大きく取り上げられる(そして時には、疾患に発見者の医師の名前が付けられる)傾向があるが、本書の特徴は「患者」に注目したことである。副題の「逆説」はそのことを指していると思われる。
医学の歴史の背後に患者あり。いや、むしろ、患者なくして医学はないのだ。

前頭葉損傷、アルツハイマーといった疾患が認識される事例もあれば、腸チフスのスプレッダーとなった患者や狂犬病ワクチンを最初に接種された事例もある。CTスキャンやMRIで脳の画像が映らないが、一通り生活できているという驚くべき症例もある。癌で亡くなったが、死後、その細胞が広く研究に用いられている女性の例も取り上げられている。
著者は医師でもあるが、作家・エッセイストでもある。各事例は物語形式で読みやすく綴られており、興味深い読み物となっている。

個人的には、ヒステリーの項と、遺伝性の言語協調障害、マイクロキメリズムの話を特に興味深く読んだ。
「ヒステリー」は子宮を意味するギリシャ語から採られている。古代エジプトでは子宮が身体を動き回ることが原因だと解釈されていたという。もちろん、第0号患者は不明だが、近代医学でヒステリーが注目された際の患者はわかっている。中でも医師シャルコーが取り上げた患者オーギュスティーヌは、シャルコーがその公開講座で、半ばショー的にオーギュスティーヌ本人を舞台に上げて症状を紹介したことや、2人の関係が性的なものを含んでいたため、いささか問題になった。心の葛藤が身体症状として現れることは実際あることだが、こうした男性優位な形での精神医学の取り組みは、かなりの問題を孕んでいたのは想像に難くない。

言語協調障害の話は、1人の女性に端を発する。パキスタンに生まれたウンサは健康状態に問題はなかったが、話すことがまったくできなかった。やがて彼女は結婚し、子供をもうけた。女の子3人、男の子2人のうち、末っ子の男の子以外は発話に問題があった。次世代にも発話に問題がある子とない子が出た。調べていくと発話に問題を持つものでは、第7番染色体に異常が見つかり、ここにはFOXP2遺伝子があった。この遺伝子は大脳皮質から届く情報を解読する領域で遺伝子の制御を行う働きを持っていた。言語の能力はもちろん、この遺伝子だけで決まるものではないが、重要な役割の1つを果たしていたのだ。

マイクロキメリズムとは、1つの個体の中に、遺伝的に由来の異なる少数の細胞が存在することを指す。個体は1つの受精卵から発生し、通常は身体を構成する細胞はこの受精卵の「子孫」ということになる。だが、まったく異なる由来の細胞が少数存在する例がある。本書の例では、献血をしようとした女性が血液型判定を受けると、A型とO型の混在が見られた。この事例では、女性が出産した際に、胎児から母体へ細胞が移動し、定着したことがわかった。後に、これはそれほど珍しいことではないことがわかるが、それをはっきり示した最初の事例となった。母体から胎児へのマイクロキメリズムの例もまた知られている。

さまざまな病気から人体の不思議について学ぶ、なかなか興味深い1冊である。
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ぽんきち
ぽんきち さん本が好き!免許皆伝(書評数:1827 件)

分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。

本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。

あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。

「実感」を求めて読書しているように思います。

赤柴♀(もも)は3代目。
この夏、有精卵からヒヨコ4羽を孵化させました。そろそろ大雛かな。♂x2、♀x2。ニワトリは割と人に懐くものらしいですが、今のところ、懐く気配はありませんw

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この書評へのコメント

  1. ゆうちゃん2021-07-23 18:17

    書評ありがとうございます。医学と言うととかく医者や研究者に視点が行きがちですが、患者は単なる測定対象や検査対象ではありませんから、こう言った本の意図は大切だと思います。
    ところで「癌で亡くなったが、死後、その細胞が広く研究に用いられている女性の例も取り上げられている」ですがこれは「ヒーラ細胞」のことではないでしょうか?当たっていればこれは、子宮頸がんの診察を受けた持ち主の女性から採取されたものだそうですが。たまたま僕が今読んでおります吉田保さん著の生命科学の本にヒーラ細胞の話が載っておりましたのでコメント致しました。

  2. ぽんきち2021-07-23 18:26

    ゆうちゃんさん

    コメントありがとうございます。
    そうですね、得てして病気を発見したり治療法を見つけたりした医師や研究者がクローズアップされがちですが(もちろん、業績としては大切なことですが)、やはりそもそもの出発点には「患者」がいることを忘れるべきではないと思います。

    ご指摘の通り、レビューで触れている癌細胞の話は、HeLa細胞です。
    HeLaについては、(この本でも参考文献にあげられていますが)「不死細胞ヒーラ  ヘンリエッタ・ラックスの永遠なる人生」https://www.honzuki.jp/book/179423/review/41976/ がとてもよい本だったので、もしお手に取る機会がありましたら、ぜひ。
    個人的には今まで読んだノンフィクションのうち、上位5位に入ると思います。

  3. ゆうちゃん2021-07-23 19:42

    ご紹介ありがとうございます。こちらの本の書評既読でしたが、改めて読むとなかなか興味深い本の様ですね。読んでみようと思います。

  4. No Image

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