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休蔵さん
休蔵
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幕末から近代の中国山地で行われていた家畜預託慣行について追跡した専門書。現代社会の人間関係が、必ずしも絶対善とは言い切れないことも教えてくれる1冊である。
 現代社会における“牛”は食肉用であったり、乳製品のイメージだったり、食との関係性が強く意識されることだろう。
 その飼育については、専門家が広大な牧場で数多くを育てる印象が強い。
 しかしながら、戦前の日本では農家が牛馬を飼育することは珍しいわけではなく、むしろ農作業を行う上で必然とも言える行為だったようだ。
 役牛という。
 文字通り“役に立つ”牛ということだけど、飼育には深い愛情を伴うものだったらしい。
 さらに地域社会のなかでは、家畜はある種の〔威信財〕としての意味を持っていたとのこと。
 ただ、すべての農家が家畜を飼育していたわけではなく、場合によっては牛馬を預託、賃貸借、共有する行為もあった。
 本書で家畜預託慣行と総称しているこのあり方は、近代における家畜飼育のあり方を追求するうえで重要と言える。
 
 牛を所有するためには、それなりの資本を要する。
 そのため全ての農家が牛を所有することはできず、資本力を持つ「牛持」が存在することになったようだ。
 多くの牛を所有する資本家ということだ。
 そんな牛持の流れをくむ著者は、親族の家に伝わる古文書をもとに「牛持」の実態を解明に乗り出した。
 その分析は精緻で、さらに地域事情にも詳しいという裏事情も手伝って、本書は江戸時代の牛預託制度について詳細に明らかにしてくれる。

 さて、牛持は多くの牛を所有する。
 それを零細農民に貸与して農作業に供させるという仕組みが中国山地の広域で実施されていたという。
 牛持はこの循環システムから富を得るというわけではなく、どちらかというと慈恵的性格の強いものだったそうだ。
 地域の人々が生活を送れるようにするため、必要な条件を整える役割を担ったということのようだ。
 富める者の社会的責務としての生業だったようで、富める者の矜持とでも言えようか。
 富を得ることを何よりの是とする現代社会では、おおよそ考えにくい発想とシステムである。
 さらに牛を介した人間関係には経済的紐帯も形成されることがあったようで、ここにも単なる金融制度ではなく、慈恵的性格が介在していたようだ。

 現代社会では、なにもかもが自己責任と言われるようになった。
 バブル崩壊のあおりを受けて就職氷河期にぶちあたった世代に対しても、努力不足と一蹴する気配すらあった。
 最近、自治体によっては救済措置的な採用試験を行うようになったが、それなら年齢制限を解除すればいいだけなのにと思ってしまう。
 就職氷河期に就職戦線に立った新卒者たちは、バブル崩壊に何かしら悪影響を及ぼしたのであろうか。
 何が自己責任かと思う・・・
 近代の中国山地には牛を媒体として慈恵的な仕組みが成立していたようだ。
 牛を役牛として利用して時代にだけ有効な仕組みであるが、それでも富める者の社会的責務を富める者もそうでない者も感じていたのだろう。
 交通網が整備され、農機具が発達すると、役牛を介しての人間関係はもろくも崩れ去ることに。
 便利さ、総中流さを追求した結果、失われてしまった良い習俗も多くあったに違いない。
 本書をそんなことすら教えてくれた。
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休蔵
休蔵 さん本が好き!1級(書評数:450 件)

 ここに参加するようになって、読書の幅が広がったように思います。
 それでも、まだ偏り気味。
 いろんな人の書評を参考に、もっと幅広い読書を楽しみたい! 

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