darklyさん
レビュアー:
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結構真面目に書かれている文豪たちのエピソードですが、如何せんこのタイトルとジャケットはないでしょう?なんかエロいし、いかにも下世話な感じがします。
本書は文豪たちの人生における負の側面にフォーカスした一見下世話なゴシップ本かと思いきや、きちんとした資料と分析に基づく真面目な本でとても面白く読めました。
太宰治は芥川龍之介に憧れ、芥川賞を取ることを熱望しますが叶えられず、そのような状況が元々持っていた精神的負のエネルギーを加速させ、「人間失格」等の名作を生み出すことになります。仮に芥川賞を取っていれば「人間合格」となってしまい、もしかしたら凡庸な作家に終わっていた可能性もあるのかもしれません。実際芥川賞を取ったはいいがその後鳴かず飛ばずの作家はいくらでもいますから。そういう意味では尾崎豊も破滅的な人生を送り、若くして亡くなったから伝説的な存在になった部分もあるでしょう。今も生きていてドサ周りの温泉施設で「15の夜」をおばちゃん相手に熱唱するハゲの尾崎豊は見たくありません。
与謝野晶子と鉄幹の溢れ出る性エネルギーは凄まじいです。あの時代に恥も外見もなくお互いに熱烈な歌を詠み合うなど明らかに普通ではありません。不倫もここまでの熱を持って遂行すればそれはロマンスに変わります。中途半端にコソコソと多目的トイレだとかポイントカードでアパホテルなどを使っているから薄汚い不倫になるわけです。しかしそうまでして一緒になった晶子と鉄幹なのに鉄幹は元嫁との関係を断ち切らず、晶子は有島武郎に走ります。やれやれ。
ご存知石川啄木の有名な詩ですが、この詩は一生懸命働いているけれども報酬が低くて貧乏暮らしから抜け出せない、そういう意味だと私はずっと思っていました。しかしそれは違っていたようです。もともと裕福な家に生まれた啄木はお金がなくても人から金を借りまくり贅沢三昧だったのです。しかしその精神の奥底には常に不安が宿っていたことも間違いないようです。ところでサッカーの久保建英を見るたびに石川啄木を思いだすのは私だけ?
三島由紀夫は様々なコンプレックスを持っていたようです。その中で筆者は祖父の出自や自分の肉体についてのコンプレックスを論じます。「仮面の告白」では徴兵検査で米俵を胸まで持ち上げられなかったとありますが、実際は膝までも持ち上げられなかったようです。つまり「告白」と言いながらちょっと盛っているわけですね。これを筆者はコンプレックスの表れと見ています。ここからは私の邪推ですが、頭のいい彼ですから調べられれば分かってしまうことは考えに入れていたと思います。そう考えれば肉体のコンプレックスなどはそれほど彼にとって重要ではなかったのかもしれない。私たちが読むことができる、自らをさらけ出すように見える三島作品は、実は彼にとっての本当のコンプレックスではなく、人に絶対に知られたくないコンプレックスを隠すためのデコイだったのではないか。
結局、音楽も絵画も同じですが、文学のような精神活動で名を成す人というのは、精神的に過剰な部分があるがゆえに精神全体のバランスを保つのが難しいのかもしれません。肉体的に優れているアスリートのパフォーマンスは一目瞭然ですが、精神は目に見えません。見えるのは結局その行動であり、それは酒色に溺れたり、金銭感覚がおかしかったり、自殺願望や破滅的な行動をとったりという側面になります。
私はさらにここから奇妙な逆転現象があるように思えます。それは突出した精神による普通じゃない行動を起こす人が優れた文学者と評価されることが多いと、あたかも放蕩するだとか、破滅的でなければ文学者として成功しないという説に逆転します。特に昭和にはそのような雰囲気があったように思います。
必ずしもそうではないのが村上春樹を見れば分かります。彼を好きな人も嫌いな人もいるでしょうが、文学者としての成功がより多くの人に読んでもらうことにあるとするならば間違いなく彼は成功者です。ですが、彼は体を鍛え、規則正しい生活を送り、健康を維持して精力的に文学作品を生み出しています。
それはともかくとして、文豪たちは自らの精神エネルギーを持て余し、決して満足でも幸せでもない人生を送る報酬として、後世に名を遺す作品を生み出すことができたと言えるのかもしれません。
太宰治は芥川龍之介に憧れ、芥川賞を取ることを熱望しますが叶えられず、そのような状況が元々持っていた精神的負のエネルギーを加速させ、「人間失格」等の名作を生み出すことになります。仮に芥川賞を取っていれば「人間合格」となってしまい、もしかしたら凡庸な作家に終わっていた可能性もあるのかもしれません。実際芥川賞を取ったはいいがその後鳴かず飛ばずの作家はいくらでもいますから。そういう意味では尾崎豊も破滅的な人生を送り、若くして亡くなったから伝説的な存在になった部分もあるでしょう。今も生きていてドサ周りの温泉施設で「15の夜」をおばちゃん相手に熱唱するハゲの尾崎豊は見たくありません。
与謝野晶子と鉄幹の溢れ出る性エネルギーは凄まじいです。あの時代に恥も外見もなくお互いに熱烈な歌を詠み合うなど明らかに普通ではありません。不倫もここまでの熱を持って遂行すればそれはロマンスに変わります。中途半端にコソコソと多目的トイレだとかポイントカードでアパホテルなどを使っているから薄汚い不倫になるわけです。しかしそうまでして一緒になった晶子と鉄幹なのに鉄幹は元嫁との関係を断ち切らず、晶子は有島武郎に走ります。やれやれ。
はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢっと手をみる
ご存知石川啄木の有名な詩ですが、この詩は一生懸命働いているけれども報酬が低くて貧乏暮らしから抜け出せない、そういう意味だと私はずっと思っていました。しかしそれは違っていたようです。もともと裕福な家に生まれた啄木はお金がなくても人から金を借りまくり贅沢三昧だったのです。しかしその精神の奥底には常に不安が宿っていたことも間違いないようです。ところでサッカーの久保建英を見るたびに石川啄木を思いだすのは私だけ?
三島由紀夫は様々なコンプレックスを持っていたようです。その中で筆者は祖父の出自や自分の肉体についてのコンプレックスを論じます。「仮面の告白」では徴兵検査で米俵を胸まで持ち上げられなかったとありますが、実際は膝までも持ち上げられなかったようです。つまり「告白」と言いながらちょっと盛っているわけですね。これを筆者はコンプレックスの表れと見ています。ここからは私の邪推ですが、頭のいい彼ですから調べられれば分かってしまうことは考えに入れていたと思います。そう考えれば肉体のコンプレックスなどはそれほど彼にとって重要ではなかったのかもしれない。私たちが読むことができる、自らをさらけ出すように見える三島作品は、実は彼にとっての本当のコンプレックスではなく、人に絶対に知られたくないコンプレックスを隠すためのデコイだったのではないか。
結局、音楽も絵画も同じですが、文学のような精神活動で名を成す人というのは、精神的に過剰な部分があるがゆえに精神全体のバランスを保つのが難しいのかもしれません。肉体的に優れているアスリートのパフォーマンスは一目瞭然ですが、精神は目に見えません。見えるのは結局その行動であり、それは酒色に溺れたり、金銭感覚がおかしかったり、自殺願望や破滅的な行動をとったりという側面になります。
私はさらにここから奇妙な逆転現象があるように思えます。それは突出した精神による普通じゃない行動を起こす人が優れた文学者と評価されることが多いと、あたかも放蕩するだとか、破滅的でなければ文学者として成功しないという説に逆転します。特に昭和にはそのような雰囲気があったように思います。
必ずしもそうではないのが村上春樹を見れば分かります。彼を好きな人も嫌いな人もいるでしょうが、文学者としての成功がより多くの人に読んでもらうことにあるとするならば間違いなく彼は成功者です。ですが、彼は体を鍛え、規則正しい生活を送り、健康を維持して精力的に文学作品を生み出しています。
それはともかくとして、文豪たちは自らの精神エネルギーを持て余し、決して満足でも幸せでもない人生を送る報酬として、後世に名を遺す作品を生み出すことができたと言えるのかもしれません。
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昔からずっと本は読み続けてます。フィクション・ノンフィクション問わず、あまりこだわりなく読んでます。フィクションはSF・ホラー・ファンタジーが比較的多いです。あと科学・数学・思想的な本を好みます。
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- 出版社:集英社インターナショナル
- ページ数:0
- ISBN:9784797673944
- 発売日:2021年01月26日
- 価格:1760円
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