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hackerさん
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家から(夫からではありません)の自立という『人形の家』のテーマを発展させ、道徳と規律と伝統という名前で、女性の自立の妨げとなる、社会を覆う偽善にまで糾弾の範囲を広げたイプセンの力作です。
ノルウェー生まれのヘンリック・イプセン(1828-1906)は、少なくとも現在の日本では、『人形の家』(1879年)が有名過ぎて、他の作品にあまりスポットライトが当たっていないように思われます。また、『人形の家』自体も、夫婦関係からの女性の自立を扱った作品と一般的に捉えられているような印象を持っているのですが、私の意見では、夫婦関係からだけではなく、家からの自立というのがテーマの作品です。作品中でヒロインのノラを人形扱いしていたのは、夫だけでなく、父親もそうであったことがしっかり語られていることと、第一、題名が『人形の家』となっていることからも、そう考えるが妥当だと思っています。よく唐突感があると言われる、最後のノラの家出も、家からの脱出という観点から見れば当然の結末なのでしょう。『人形の家』の次作である1881年刊の本書も、基本的には同じテーマを扱っていますが、そこから更に道徳と規律と伝統という名前で、女性の自立の妨げとなる、社会を覆う偽善にまで糾弾の範囲を広げた力作です。

そういう作者の意図は、訳者解説に引用されている、本作のノートからも見て取れます。

「現代の女性たちは、娘としても、姉妹としても、妻としても正当に扱わられず、彼女たちの才能に応じた教育もされていない。その天職に従っていくことは禁じられ、その遺産相続も取り上げられ、苦い思いをさせられている―こういう者たちが新しい世代の母親となっていくのだ。その結果は、いったい、どうなる?」

また、題名の意味は、ヒロインであるアルヴィング未亡人の劇中の台詞が説明しています。

「われわれはみんな幽霊じゃないかって、先生、わたしたち一人一人が。わたしたちには憑りついているんですよ、父親や母親から遺伝したものが。でもそれだけじゃありませんわ、あらゆる種類の滅び去った古い思想、さまざまな滅び去った古い信仰、そういうものも、わたしたちには憑りついていましてね。そういうものが、わたしたちの中には現に生きているわけではなく、ただそこにしがみついているだけなのに、私たちには追っ払えないんですもの。ちょいと新聞を取り上げても、その行間に幽霊が忍び込んでいるような気がしましてね。きっと、国中に幽霊がいるんですわ」


本劇の登場人物は、わずか5人です。ヒロインのアルヴィング未亡人は、10年前に夫を亡くしましたが、牧師のマンデルスを相談役にして、夫の名を冠した孤児院を開くことにします。彼女には、パリで画家を目指しているオスヴァルという息子がおり、孤児院の開設式に合わせて、夫の死後初めて家に戻っていました。他にアルヴィング家にはレギーネという若い召使がいます。

舞台は、アルヴィング未亡人の家で、レギーネが父親である指物師のエングストラからの一緒に酒場をやろうとの誘いをはねつける場面から始まります。その諍いが終わったところで、マンデルスが現れ、アルヴィング未亡人と孤児院関係の書類の確認を始めます。そして、次第に夫婦の過去の本当の姿が、二人の会話から浮かび上がってきます。

マンデルスはこんなことを言います。

「まったく、気が変になりますよ。あなたの結婚生活全体が、―御主人とともに過ごされた、あの年月のすべてが、見せかけ以外の何物でもなかったなんて!」

アルヴィング夫人も、こんなことを言います。

「でもわたし、もう我慢できませんのよ、そんな束縛や制約には!自分を解放するようにしませんと」

しかし、実は、聖職にあるマンデルスはとんでもない偽善者であること、アルヴィング夫人も息子のオスヴァルを「支配」していたことが、後半で明らかになっていくのでした。


本書は、結局のところ、「幽霊」の支配から逃れたつもりでも逃れられていない人間、自分が「幽霊」であることに気づいてすらいない人間、親子の血のつながりからは逃れられない人間、宗教が偽善と欺瞞の隠れみのになっている社会を描いた作品です。

現在の視点で読むと、書かれた時代ゆえ、おそらく露骨に書くわけにいかず、仄めかしにとどまっていること(例えば、牧師であるマンデルスとアルヴィング未亡人の関係、レギーネと父親のエングストラの関係)もあるのはやや不満なのですが、それでも、大胆な作品だったと思います。発表当時に社会が受けた毒気という点では、『人形の家』の上を行っていたことは間違いないでしょう。


しかし、イプセン自身は、この作品が批判を浴びることは覚悟していたようで、ヘーゲルに宛てた手紙の中で、次のように述べていますが、同時に未来での評価に対する自信を表しています。

「『幽霊』に関してはそのうちに、それもそう遠くないうちに、その真意が本国の善良なひとびとの心に浸み込んでいくでしょう。しかしこの作品に唾を吐きかけたよいよいどもは、いつか未来の文学史から彼らの頭上に鉄槌がくだされるでしょう―私の本は未来を含んでいるのです」

イプセンは『人形の家』だけの作家でないことと、その予見性の鋭さを知るためには、本書をぜひ手に取ってみてください。
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hacker
hacker さん本が好き!1級(書評数:2276 件)

「本職」は、本というより映画です。

本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。

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この書評へのコメント

  1. マーブル2021-07-11 19:49

    どこかで話題に出た『生きる』をようやく観ることができました。感動というより考えさせられる作品でした。どこのコメント欄だったのか今となっては思い出せないのでこちらで失礼いたします。

    またまた感想を書いたのでよろしければお読みください。
    https://marbletakarabako.blog.fc2.com/blog-entry-446.html

  2. hacker2021-07-12 13:56

    興味深い文章を、拝読いたしました。『菊と刀』は未読なのでコメントできないのですが、この映画は、初めて見る時の年齢によって、ずいぶん印象が変わると思います。私が最初に観たのは大学生の時でした。これを撮った時の黒澤明もまだ若く、正確には覚えていないのですが、次のような言葉を残しています。

    「時々自分の死について考えることがある。まだ死ねないと思う。まだまだやりたいことがある」

    これが、若き私が受けた感動の理由です。ですが、仮に、私が今初めてこの映画を観たとするならば、親族など当てにならないのにということをあらためて感じるでしょうし、志村喬以外の第二、第三の「ミイラ」となる中年男たちに、複雑な思いを抱くことでしょう。

    ただ、変身後の志村喬を凡人の目から描くというシナリオの見事さには、間違いなく感心すると思います。

  3. マーブル2021-07-12 20:53

    >初めて見る時の年齢によって、ずいぶん印象が変わる

     仰る通りですね。きっと若くてまだ死が現実からは遠かった頃であれば、何もなし得ていない焦燥感ばかりが先に立ったことだろうと思います。もう少し、死が近しいものになってから見ると、現実的な部分が見えてくるのでしょう。

     主人公の親子関係は、戦前であれば許されないものだったのでは、と想像します。「そんなこと家の親も言ってた」というように否定されるシーンもありますから、それが現実と描いていると思えます。親族、子ども、自分以外は誰も当てにならない。当てにしてはいけない。

     価値の転換が表現されていると考えますが、それを超えた変わらない生命の尊さについて考えさせられます。

    >凡人の目から描くというシナリオの見事さ

     まったく同感です。凡人ならばあのまま主人公の生まれ変わった様な活躍を描く方を選んでしまいそうです。いきなり葬式の場面でよい意味で裏切られ、驚かされました。

  4. No Image

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