ゆうちゃんさん
レビュアー:
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両性愛者ティムの恋の顛末。物語の大半を彼の手記で辿る。彼と恋愛関係にあったイヴォーは何かの悲劇に襲われ、その秘密はティムも知っている。だが再会を約束したイザベルの住所を彼は失い、知ることが出来ない。
バーバラ・ヴァン名義の第七作。
本書の9割は、ティム・コーニッシュと言う青年の手記が占める。残りは、彼の恋愛対象であるイザベルの手紙、更に別の人物の手記と言う構成である。
ティムは大学院の創作文学課程に籍を置く両性愛者だった。最初は同じ寄宿舎に住むエミリーと恋愛関係にあったが、結婚を迫る彼女にすぐ飽きて、指導教官のマルチン・ツァインドラーの家に下宿する古生物学者イヴォー・ステッドマンと恋愛関係になった。彼は毎年夏、講師としてアラスカのクルーズに乗船し、古生物を講義する。イヴォーと付き合った一年目の夏は、ツアーが満員で同行できなかった。しかし、待ちに待った二年目の夏、イヴォーの手配でこのツアーに同行できることとなったが、その前にパブでイヴォーに「愛している」と言われ、ティムは少し興ざめしていた。おまけに2週間のクルーズは2回あり、イヴォーは2回とも講師として乗り込まねばならない。イヴォーの手配忘れで最初の1回のクルーズにはティムの席はなかった。イヴォーは最初のクルーズの間も自分を思い出すようにとジャケットを貸してくれたが、ティムは、アラスカのジュノーまで連れて来られ、2週間も見知らぬ場所で過ごす気にはならなかった。しかしロンドンに帰ろうにも、帰国便は日時指定で改めてチケットを買う金がないティムに帰る手段はない。ロンドンにどうやって帰ろうかと思っていたところ、同宿のホテルでイザベルと言う魅力的な女性に会う。彼女は、友人のリネッテが病気で死期が近く、ジュノーに見舞いに来ていると言う。ふたりで楽しく2週間を過ごし、イザベルはシアトルに帰っていった。彼女から半ば強引にもらった名刺はイヴォーから借りたジャケットの内ポケットに大切に仕舞った。その後は1年前だったら楽しみのはずのクルーズにイヴォーと一緒に乗り込む。ティムはイヴォーにどの様に別れを切り出そうかと悩みながら航海は進んでゆく。楽しみの筈のクルーズ旅行に一向に気が乗らないティムにイヴォーは次第に腹立たしくなってゆく。喧嘩の最中にティムは思わずイザベルの名前を口にしてしまう。イヴォーはなぜか彼女の姓を言い当てた。そして古代生物の足跡の見学をするためにふたりを含むツアーの一行がチェチン島に上陸したとき、思いがけないことが起きた。
本書も過去と現在の行き来と言うヴァイン名義の典型的なスタイルとなっている。語り手は事件の当事者ではなく周辺人物であるのがこれまでの作品の特徴だった、しかし本書では手記の執筆者のティムは当事者である点が従来との大きな違いである。また舞台も一部はイギリス、一部はアラスカとなっている。ティムは回想録を書きながら、大航海時代から近代まで、離島で遭難した人の顛末を記した文書を匿名の差出人から受け取る。誰がそんなことをするのか?そしてイザベルの住所は?これらは語り手のティムにもわからない。だが、イヴォーがどうなったのかは、ティムは知っている。
結末は、意外なものではあるが、最後の最後で端役を登場させていて、あっけない結末はちょっと強引な感じがする。そういう意味でプロット自身は見事とは言えない。過去と現在の行き来については、マンネリ化を脱するために前記のような工夫はしているし、詳細描写に執拗に拘るヴァインの流儀は維持されるのだが、本書はヴァイン名義の作品でこれまでよくあった家族の歴史ではない。そうであるが故にヴァイン色は薄くなってしまった。脱マンネリズムと特徴の維持はどの作家にも悩ましい所だ。とは言え、語り手ティムの精神的な成長が読み取れるのがこの作品のもうひとつの特徴である。ティムの恋愛の顛末はヴァイン名義では、ほぼ初めてな点も新しいかもしれない。僕は、このような恋愛結果を「悲しきギャロウグラス」で期待していた。
本書の9割は、ティム・コーニッシュと言う青年の手記が占める。残りは、彼の恋愛対象であるイザベルの手紙、更に別の人物の手記と言う構成である。
ティムは大学院の創作文学課程に籍を置く両性愛者だった。最初は同じ寄宿舎に住むエミリーと恋愛関係にあったが、結婚を迫る彼女にすぐ飽きて、指導教官のマルチン・ツァインドラーの家に下宿する古生物学者イヴォー・ステッドマンと恋愛関係になった。彼は毎年夏、講師としてアラスカのクルーズに乗船し、古生物を講義する。イヴォーと付き合った一年目の夏は、ツアーが満員で同行できなかった。しかし、待ちに待った二年目の夏、イヴォーの手配でこのツアーに同行できることとなったが、その前にパブでイヴォーに「愛している」と言われ、ティムは少し興ざめしていた。おまけに2週間のクルーズは2回あり、イヴォーは2回とも講師として乗り込まねばならない。イヴォーの手配忘れで最初の1回のクルーズにはティムの席はなかった。イヴォーは最初のクルーズの間も自分を思い出すようにとジャケットを貸してくれたが、ティムは、アラスカのジュノーまで連れて来られ、2週間も見知らぬ場所で過ごす気にはならなかった。しかしロンドンに帰ろうにも、帰国便は日時指定で改めてチケットを買う金がないティムに帰る手段はない。ロンドンにどうやって帰ろうかと思っていたところ、同宿のホテルでイザベルと言う魅力的な女性に会う。彼女は、友人のリネッテが病気で死期が近く、ジュノーに見舞いに来ていると言う。ふたりで楽しく2週間を過ごし、イザベルはシアトルに帰っていった。彼女から半ば強引にもらった名刺はイヴォーから借りたジャケットの内ポケットに大切に仕舞った。その後は1年前だったら楽しみのはずのクルーズにイヴォーと一緒に乗り込む。ティムはイヴォーにどの様に別れを切り出そうかと悩みながら航海は進んでゆく。楽しみの筈のクルーズ旅行に一向に気が乗らないティムにイヴォーは次第に腹立たしくなってゆく。喧嘩の最中にティムは思わずイザベルの名前を口にしてしまう。イヴォーはなぜか彼女の姓を言い当てた。そして古代生物の足跡の見学をするためにふたりを含むツアーの一行がチェチン島に上陸したとき、思いがけないことが起きた。
本書も過去と現在の行き来と言うヴァイン名義の典型的なスタイルとなっている。語り手は事件の当事者ではなく周辺人物であるのがこれまでの作品の特徴だった、しかし本書では手記の執筆者のティムは当事者である点が従来との大きな違いである。また舞台も一部はイギリス、一部はアラスカとなっている。ティムは回想録を書きながら、大航海時代から近代まで、離島で遭難した人の顛末を記した文書を匿名の差出人から受け取る。誰がそんなことをするのか?そしてイザベルの住所は?これらは語り手のティムにもわからない。だが、イヴォーがどうなったのかは、ティムは知っている。
結末は、意外なものではあるが、最後の最後で端役を登場させていて、あっけない結末はちょっと強引な感じがする。そういう意味でプロット自身は見事とは言えない。過去と現在の行き来については、マンネリ化を脱するために前記のような工夫はしているし、詳細描写に執拗に拘るヴァインの流儀は維持されるのだが、本書はヴァイン名義の作品でこれまでよくあった家族の歴史ではない。そうであるが故にヴァイン色は薄くなってしまった。脱マンネリズムと特徴の維持はどの作家にも悩ましい所だ。とは言え、語り手ティムの精神的な成長が読み取れるのがこの作品のもうひとつの特徴である。ティムの恋愛の顛末はヴァイン名義では、ほぼ初めてな点も新しいかもしれない。僕は、このような恋愛結果を「悲しきギャロウグラス」で期待していた。
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神奈川県に住むサラリーマン(技術者)でしたが24年2月に会社を退職して今は無職です。
読書歴は大学の頃に遡ります。粗筋や感想をメモするようになりましたのはここ10年程ですので、若い頃に読んだ作品を再読した投稿が多いです。元々海外純文学と推理小説、そして海外の歴史小説が自分の好きな分野でした。しかし、最近は、文明論、科学ノンフィクション、音楽などにも興味が広がってきました。投稿するからには評価出来ない作品もきっちりと読もうと心掛けています。どうかよろしくお願い致します。
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- 出版社:扶桑社
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- ISBN:9784594024468
- 発売日:1998年03月01日
- 価格:467円
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