内容を少しだけ紹介します。
本書は二部に分かれており、第一部は成功した会社の重役であるピエール・レネの一人称で語られる殺人までの経緯、第二部は、彼の親友である弁護士のアベル・ジャカールの一人称で語られる法廷ドラマという構成となっています。
物語は、30代半ばのピエールが、ある日、勤めていた会社の重要係争案件を処理するために、クリス・カリエという女性と出会うところから始まります。まだ24歳の彼女は、既に一度離婚を経験していました。案件の処理がうまく行ったあとで、打ち上げという名目で、ピエールはクリスを夕食に誘います。
「(彼女は)黒いふちどりのあるブラウスを着て、黒いストッキングをはき、顔には今まで全然見たこともないほど濃いブロンド色の頬紅をさして、ぼくの前に再び姿を見せた。彼女は腿の中ほどまである黒いブーツをはき、すっかり職業婦人の服装を洗い落としていた。ほお笑むと、目元だけでなくくちもとまでが微笑し、そのせいで、えくぼが一つ、片方にだけ出来るのだった。彼女の両眼は...ぼくは思いだす、あの瞳がぼくを惹きつけていたのを...もうなんの皮肉もたたえていなかった。眼は神からの贈物にふさわしく優しげで、その時は青味がかっていた。それからふいに曇りはじめ、ぼんやりうつろになり、水色に変わった。彼女の頭は...しゃべるとき、彼女はしばしば頭を横にかしげる。そのたびにブロンドの髪束が彼女の右の耳を愛撫する。下唇をとがらすようにして息をはき、吐息がもれるたびに髪が踊る。彼女は、彼女は...」
長い引用になりましたが、この作者の特徴である、ビジュアルな描写力がよく出た文章だと思います。そして、恋に落ちてしまった男性の心理描写も見事です。
ピエールは、レストランとピアノ・バーでクリスとの時間を過ごしますが、クリスはピエールに対する拒否の姿勢を取り続けます。そして、彼女を車で送っていった後、二人は別れ際にこんな会話をします。
「じゃまた、クリス」
「いいえ、じゃまた、じゃないわ」
「近いうちにまた」
「いいえ。忘れてちょうだい」
う~ん、あからさまに自分に惚れている男に対して、何たる態度!ますます忘れられなくなってしまいますよね。実際、そうなっていき、そこから、この二人ではない人物が殺される事件へと発展するのです。
事件の詳細と背景については、あえて触れませんが、こういう男女心理のサスペンスフルな描写中心の第一部から、ジグザグ模様のように右に行ったり左に行ったり、二転三転する法廷闘争が語られる第二部が、本書のもう一つの魅力です。そして第二部にいたって、第一部の随所に、登場人物の性格描写も含め、ミステリーらしい伏線が張り巡らされていたことを、読者は知ることになるのです。
こういう風に二兎を追って、見事に成功したミステリーというのは、なかなかないものです。私自身が映画好きなもので、シムノンもそうですが、ビジュアルな描写が展開される小説が好きということもあるでしょうが、題名のつけ方といい、本書は作者にとっても自信作ではないかと思います。この作家も、日本での翻訳はこれ一冊しかないのは残念です。
おまけに、この本、もう絶版なのですが、Amazonを見ると、とんでもない値段が付いていますね。これでは、是非ご一読を、と言えないのは、さらに残念です。





「本職」は、本というより映画です。
本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。
この書評へのコメント
- マーブル2021-05-29 14:14
>とんでもなく「進んだ」映画だ
リアルさはどうでもいい、とは言いませんがそこに拘るばかりで楽しめない作品になるのは御免ですね。映画も小説も。要はバランスなんですかね。
とはいえefさんが書かれていたように、気になってどうしようもないジャンルがあるのも確かです。私の場合映画に登場するバイクの「音」の扱いが大抵アフレコで車種とあっていなくてガッカリします。『ブラックレイン』は好きで何度も見たのですが後半のバイクシーンのエンジン音が「そんな音しないって」と観る度気になります。同様の映画の多いこと。
『椿』も見直したいですし、しばらく黒澤参り続きそうです。食わず嫌いの未見も多いですし。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - マーブル2021-05-29 20:11
好きな人がスタッフにいればそんなことは絶対起きないレベルの事が起きてしまいます。
逆に今観ているアニメはホンダが監修に加わっているので音、動き、そこだけ見ても楽しいです。
実写なら映像はだまって撮れば映りますが、音を後で入れる事で無神経に仕事をしてしまうと齟齬が生じます。そこにいくとアニメはちゃんと書きこまないと絵にならないので、きちんと描けているのを見るだけでそこに気を遣っていることがわかってうれしいです。
車やバイクを乗り降りする際にサスペンションが動くこととか。
実写なら実際に乗り降りすれば何も意識しなくても画面に映っていますが、アニメだとそういうつもりで描かないとそうなりませんから。
これこそ、どうでもいい人にはどうでもいいことです。
お言葉に甘えて『用心棒』の感想を書きました。
https://marbletakarabako.blog.fc2.com/blog-entry-424.htmlクリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - hacker2021-05-30 08:59
マーブルさん、映画評拝読いたしました。私なりに感じたことを書いてみます。
まず、主人公の設定ですが、名無しだということが大きなポイントで、要するに名前=家から自由な存在なのですね。これは、時代劇伝統の股旅ものの変形の設定ではないかと、私は思います。
あと、私がこの映画を好きな大きな理由の一つは、映画好きの視点ですが、シネスコの横長の画面の中で、望遠レンズを使ったパン・フォーカスを併用した、見事な横への広がりと奥行を備えた構図と、今では誰も撮れなくなってしまったであろう、見事な白黒撮影です。例えば、主人公が腰を据えた飯屋から、道路を挟んで向かいの番屋で展開される賄賂行為の描写などがそうです。
それと、佐藤勝の、ある意味デタラメな音楽の見事なこと!映画全体のブラック・ユーモアに満ちた雰囲気にピッタリです。もちろん、お話との展開=脚本の面白さも見事です。
要するに、映画固有の良さが集約されているのです。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - マーブル2021-05-30 15:01
『椿』もそうですが、名無しに拘りがありそうですよね。
もしかすると影響を与えていると言われる『血の収穫』の探偵から来ているのかもしれませんね。
(あちらもまったく内容を覚えていない。2回も読んだはずなのに...)
テレビの小さいサイズで観るのは残念な作品ですよね。スクリーンでからっ風を感じてみたい。。。「おちゃけ」を飲むシーンですよね。最初何と言っているのかわかりませんでしたが、こういうユーモアあるシーンが実に楽しい。
仲代達也のある意味マンガチックなカッコよさは、きっとあちこちのマンガやアニメなどの登場人物の造形に影響を与えているに違いありません。
画像検索したらカラー版のポスター画像が出てきて、白黒の方がカッコいいなあ、と思った次第です。
もちろん、音楽もカッコいい!
『椿三十郎』も観たいなあ。『生きる』が先になるか否か。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - マーブル2021-05-30 16:44
あちこちで『血の収穫』から案を取ったとか、いや全然違うとか見かけたので、興味が沸いて今朝はアマゾンプライムで探しましたが残念ながらありませんでした。それでは、と『荒野の用心棒』をと思いましたが『続』しかなく。ビデオレンタル屋さんに行くなら黒澤を借りたいですしね。
と言うことで今朝はつい『シンドバッド虎の目大冒険』を観たのですが、これが前作より残念な出来で。サブスクは簡単に観られるのは良いのですが、そうそう思ったものが観られるとは限らないのがもどかしい。
『電送人間』は有料だったのでこちらも遠慮しました。
月1ペースでビデオレンタルの無料券を手に入れて細々と観ております。なかなか思うような映画ライフが送れません。家を建てる時はシアタールームにプロジェクターと妄想しておりますが、ドラマを早送りで観る家族には同意してもらえそうにありません。テレビの画面で我慢です。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - マーブル2021-05-30 19:51
レンタルショップでも同様なのですが、未見の映画のタイトルがうろ覚えで見つけられずに他のを見てしまうことがあります。特にアマゾンプライムは検索ワードでたくさんの作品が出てくるので、お目当てに届く前に諦めがちです。
もっとも良い作品は有料の場合が多くてまだ手を出していないものが多いですね。近所のレンタル屋さんに見つからないようなら、いずれ観てもいいかもしれませんが。
『アルゴ』や『七回目』『タイタン』は恐らく子どもの頃テレビで観て夢中になったものと思います。その懐かしさでたまたま見つけた『シンドバッド』の2、3作を観たわけですがレベルダウンは免れませんね。
『原子怪獣』は是非観たいと思っているのですが、まだ果たせていません。おっしゃる通り資料的価値として参考までに観ることになりそうですので、他を優先してしまっています。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - マーブル2021-06-12 11:31
今朝は『椿三十郎』を観ました。
やはり面白い。最後の決闘シーンは巻き戻して、繰り返し見てみました。
また、ちょいと感想を書きましたのでよろしければご覧ください。
https://marbletakarabako.blog.fc2.com/blog-entry-431.htmlクリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - hacker2021-06-12 11:46
『椿三十郎』も面白いですよね。『用心棒』もそうですが、私も何回観たか分かりません。
ラストの三船敏郎は、左手で刀を抜いて、仲代達也の剣をはじいた後で、右手で刀の背を押して、相手の胴をえぐるという殺陣だったと記憶しています。どこで読んだかまでは覚えていないのですが、防御と攻撃が一体化した殺陣を目指したという主旨の黒澤明の発言がありました。
あと、若侍たちを助けるために、大勢の敵方侍を斬るシーンでは、三船敏郎は息継ぎをしないで、最後まで一気に撮ったそうです。それが、終わったあとの、荒い息にあらわれています。
役者だと、名セリフをはく入江たか子もそうですが、最後の方の1シーンだけ登場する、馬面の伊藤雄之助が良かったですねぇ~。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 
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- 出版社:早川書房
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- ISBN:B088TD3S4G
- 発売日:1972年04月22日
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