そうきゅうどうさん
レビュアー:
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文庫本ラスト5ページのどんでん返しにより、三文エロ小説のような話になっている理由も、『鏡よ、鏡』(原題は『Mirror Mirror on the Wall』)というタイトルの意味も一気に氷解する。
スタンリイ・エリンはエラリー・クイーンに見出されたミステリ巧者だが、今、アンソロジーなどを除いてその著作で辛うじて入手可能なのは、早川の異色作家短篇集『特別料理』くらいか。そんな彼の手になる超絶技巧を凝らした1作『鏡よ、鏡』を再読してみた。
初読は多分、大学生の頃だったと思う。読んだ当時は「空前絶後の大傑作」だと感じた。それからおよそ40年が過ぎ、以前、別の本のレビューで書いたように、図書館から古い本がどんどん姿を消している中、ふと思い立って蔵書検索したら見つかり、もしかしたら今が再読できる最後の機会かもしれないと、読むことにしたのである。
『鏡よ、鏡』は、硝煙の匂い漂う浴室の中、「わたし」の目の前に大柄で豊満な肉体の女が撃たれて息絶えている、というシーンで幕を開ける。ところが次の章からは、同じ浴室と思われる場所で、「わたし」の知人たちが集まって、「わたし」を被告とする、この事件についての陪審裁判が始まるのだ。もちろん話の流れから、この裁判は現実に行われているものではなく、浴室での異常な状況を前にした「わたし」の心象風景であることがわかるのだが、その内なる裁判の果てに予想外の真実が明らかになる。
約40年ぶりに読んだ『鏡よ、鏡』は、以前のような熱狂を覚えるどころか、正直、とても色あせて見えた。出された当時、『鏡よ、鏡』のような物語構造はとても斬新だったが、その後、ミステリのトレンドの変化や新たな方法論が開発される中、このような作品はむしろ陳腐なものになってしまったからだ。それにタブロイド紙に載っている俗悪な三文エロ小説のような物語内容も、今読むと実に古くさい。
とはいえ、文庫本ラスト5ページのどんでん返しによって、そんな三文エロ小説のような話になっている理由も、『鏡よ、鏡』(原題は『Mirror Mirror on the Wall』)というタイトルの意味も一気に氷解する、というその仕掛けはやはり見事と言うほかない。
そういう意味で、この作品をどう評価するかは難しい問題だ。書かれた時代を考慮するなら★4つ以上、今読むことを考えるなら★2つ以下だろうか。いずれにせよフェアな評価とは言い難い。結局、日和って★3つとするが、この星の数に特に意味はない。
せっかくなので『鏡よ、鏡』について更に述べさせてもらうと、この作品の物語構造は(古い)フランス・ミステリを思わせるところがある。ボアロー、ナルスジャックやセバスチャン・ジャプリゾらが切り開いてきた(古い)フランス・ミステリの型は、悪夢のような異常な状況を提示し、どのような条件の下でならこうした状況が日常の中で矛盾なく成立するか、を描くものだった。不可解な事件が起こり、探偵役がそれを解決する、という英米の(本格謎解き)ミステリとの根本的な違いがそこにある。
エリンが『鏡よ、鏡』でやろうとしたことは、この(古い)フランス・ミステリと実は同じなのだ。そして『鏡よ、鏡』が色あせてしまったように、そうした(古い)フランス・ミステリにも色あせてしまった作品は少なくない。例えば映画化もされたボアロー、ナルスジャックの『悪魔のような女』。殺したはずの夫の死体が消え、その時から夫が生きているかのような痕跡が次々と現れる、という話をあなたは書かれた当時の人と同じような恐怖とサスペンスを持って読むことができるだろうか?(そうした(古い)フランス・ミステリが書かれなくなった理由も、まさにそこにある)。
なお個人的に、この作品とチョン・ユジョンの『種の起源』を読み比べてみるとちょっと面白いかも、と思う。
初読は多分、大学生の頃だったと思う。読んだ当時は「空前絶後の大傑作」だと感じた。それからおよそ40年が過ぎ、以前、別の本のレビューで書いたように、図書館から古い本がどんどん姿を消している中、ふと思い立って蔵書検索したら見つかり、もしかしたら今が再読できる最後の機会かもしれないと、読むことにしたのである。
『鏡よ、鏡』は、硝煙の匂い漂う浴室の中、「わたし」の目の前に大柄で豊満な肉体の女が撃たれて息絶えている、というシーンで幕を開ける。ところが次の章からは、同じ浴室と思われる場所で、「わたし」の知人たちが集まって、「わたし」を被告とする、この事件についての陪審裁判が始まるのだ。もちろん話の流れから、この裁判は現実に行われているものではなく、浴室での異常な状況を前にした「わたし」の心象風景であることがわかるのだが、その内なる裁判の果てに予想外の真実が明らかになる。
約40年ぶりに読んだ『鏡よ、鏡』は、以前のような熱狂を覚えるどころか、正直、とても色あせて見えた。出された当時、『鏡よ、鏡』のような物語構造はとても斬新だったが、その後、ミステリのトレンドの変化や新たな方法論が開発される中、このような作品はむしろ陳腐なものになってしまったからだ。それにタブロイド紙に載っている俗悪な三文エロ小説のような物語内容も、今読むと実に古くさい。
とはいえ、文庫本ラスト5ページのどんでん返しによって、そんな三文エロ小説のような話になっている理由も、『鏡よ、鏡』(原題は『Mirror Mirror on the Wall』)というタイトルの意味も一気に氷解する、というその仕掛けはやはり見事と言うほかない。
そういう意味で、この作品をどう評価するかは難しい問題だ。書かれた時代を考慮するなら★4つ以上、今読むことを考えるなら★2つ以下だろうか。いずれにせよフェアな評価とは言い難い。結局、日和って★3つとするが、この星の数に特に意味はない。
せっかくなので『鏡よ、鏡』について更に述べさせてもらうと、この作品の物語構造は(古い)フランス・ミステリを思わせるところがある。ボアロー、ナルスジャックやセバスチャン・ジャプリゾらが切り開いてきた(古い)フランス・ミステリの型は、悪夢のような異常な状況を提示し、どのような条件の下でならこうした状況が日常の中で矛盾なく成立するか、を描くものだった。不可解な事件が起こり、探偵役がそれを解決する、という英米の(本格謎解き)ミステリとの根本的な違いがそこにある。
エリンが『鏡よ、鏡』でやろうとしたことは、この(古い)フランス・ミステリと実は同じなのだ。そして『鏡よ、鏡』が色あせてしまったように、そうした(古い)フランス・ミステリにも色あせてしまった作品は少なくない。例えば映画化もされたボアロー、ナルスジャックの『悪魔のような女』。殺したはずの夫の死体が消え、その時から夫が生きているかのような痕跡が次々と現れる、という話をあなたは書かれた当時の人と同じような恐怖とサスペンスを持って読むことができるだろうか?(そうした(古い)フランス・ミステリが書かれなくなった理由も、まさにそこにある)。
なお個人的に、この作品とチョン・ユジョンの『種の起源』を読み比べてみるとちょっと面白いかも、と思う。
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「ブクレコ」からの漂流者。「ブクレコ」ではMasahiroTakazawaという名でレビューを書いていた。今後は新しい本を次々に読む、というより、過去に読んだ本の再読、精読にシフトしていきたいと思っている。
職業はキネシオロジー、クラニオ、鍼灸などを行う治療家で、そちらのHPは→https://sokyudo.sakura.ne.jp
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- 出版社:早川書房
- ページ数:0
- ISBN:9784150719531
- 発売日:1979年12月01日
- 価格:2720円
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