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紅い芥子粒
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少女は、体を売って老いた父を養っていた。ある夜、基督に似た男が現れて……
大正九年、作者27歳の作品。

舞台は南京の娼館の一間。一人の娼婦の身に起きた、奇跡の物語である。

主人公は、15歳の少女。名を宋金花という。

金花は、貧しい家計を支えるために娼婦になった。
老いて、腰も立たなくなった父親を、体を売ったお金で養っている。
父親は、娘の実入りがいいときには、好きな酒をいつもより余計に飲めるのである。

ある時、物好きな日本人の旅行客が、金花の部屋にあそびにきた。
彼は、客をとるための殺風景な部屋に、不似合いなものを見つける。
壁紙のはがれた壁に、銀の十字架。
死んだ母親が耶蘇基督教の信者で、金花も五つの時に洗礼を受けたのだという。

それなのに、こんな商売をしているのかい?天国に行けないぜ
日本人客が意地悪く問うと、金花は、答えた。
自分と父親が餓死せずに生きていくには、これしか道はないのです、そのことは、きっと基督様もわかってくださいます。
おさない娼婦をいじらしく思ったのだろう。日本人客は、彼女の耳に翡翠の耳輪を下げてくれたのだった。

やがて、金花に梅毒の症状があらわれる。
そんなものは客にうつしておやり、そうすればあんたは治るからと、先輩の娼婦はいう。
金花は、この身ひとつが汚れるのはしょうがない。しかし、客にはうつしてはならないと思う。
なじみの客が来ても、害のない遊びをするだけで、病気のことを話して追い返すようになった。
お金が無くなって、父親ともども餓死することになってもしょうがないと覚悟して。

ある夜、西洋人とも東洋人ともつかぬ外国人の客が、金花の部屋に、押し入るように
やってきた。
酒臭い息を吐いていた。三十五、六歳に見える男だった。
もちろん言葉は通じない。
見覚えがあるような気がするが、どこで見かけた人か、どうしても思い出せない。
言葉の通じない酔っ払いでも、金花は、相手をするのは慣れていた。
お互い相手にはわからない冗談を身振り手振りでいいあって、夜は更けていった。

やがて、男はのけぞって、片手の指を二本立てた。
二ドルでやらないかというのだ。
金花は、どんな客とも寝ないつもりなので、首を横にふった。
三本、五本……
客は、金花が値を釣り上げているのだと思い、指を多くしていく。
金花は、首を振り続ける。
ついに客は、十本の指を立てた。

そのとき、金花はハッとした。
どこかで見たことがあると思ったら、この人は、十字架の基督様に似ている。
いや、もしかしたら、基督様その人が、わたしを憐れんで天から降りてきてくださったのではあるまいか……

金花は、たちまち恋に落ちた。酒臭い息を吐く男に。
生まれて初めての恋だった。
誰とも寝ないと誓ったはずなのに、熱く激しく狂おしい一夜を過ごした。

朝になると、男の姿は消えていた。
約束の十ドルを、金花はまだもらっていなかった。
しかし、自分の身体を見て驚いた。あの忌まわしい病気の徴が、あとかたもなく消えている。
あの人は、やはり基督様だったのだ……
金花は、熱心に祈りを捧げた。

翌年の春、あの日本人旅行者が、ふたたび金花の部屋を訪れた。
金花は、基督様との奇跡の一夜のことを語った。
話を聞いた日本人客は、おれはその男を知っている、と思った。
そいつの名前まで知っている……

それで、おまえの病気は、その後すっかりいいのかい?
日本人客は、何気ないふりをして問うた。
金花は、晴れ晴れと顔を輝かせて返事をした。
ええ、すっかり

日本人の客が15歳の娼婦に、自分の知っている真実を、話したかどうか……



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紅い芥子粒
紅い芥子粒 さん本が好き!1級(書評数:559 件)

読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。

読んで楽しい:5票
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この書評へのコメント

  1. noel2021-03-29 21:57

    不思議な物語ですねぇ。その奇跡はどうやって起こしたのでしょう。

  2. noel2021-03-29 22:09

    そういえば、その昔、芥川は自分が梅毒にかかっていると思っていたという話を聞いたか、読んだかした覚えがあります。つまりは、それが怖くて自殺したのだと……。

  3. 紅い芥子粒2021-03-29 22:35

    noelさん、わたしも、その話、読んだ覚えがあります。でも、早期の梅毒は、自然治癒することもあるみたいですよ。

  4. noel2021-03-29 22:59

    ふうむ。この前、読ませてもらった太宰治の『晩年』と絡めて「酒臭い息」が共通項(記号)として機能しており、そこのところがわたしの食指を刺激するのですが、なかなかアタマの中がまとまりません。前者は悲しいまでの真摯さがあり、後者である『南京の基督』は神を揶揄するほどの韜晦さがあります。もしわたしが書いた「書評」があるとすれば、紅い芥子粒さんはどちらが読みたいですか。

  5. 紅い芥子粒2021-03-30 08:56

    両方読みたいです。

  6. noel2021-03-30 11:46

    あっちゃあ~。そう来ましたか! どちらかひとつだけで誤魔化そうと思っていたのですが……。ムズかしいなあ~。

  7. noel2021-04-09 07:47


    とりあえず、『晩年』(魚服記)のほうだけはなんとか済ませました。
    https://www.honzuki.jp/book/25642/review/259896/

  8. noel2021-04-09 07:37

    書きましたぁ~。今回は手こずりました。特にオチを思いつかず、それに時間を盗られました。それで、文体(語り口の面白さ)に重点を置いて、その妙味を味わってもらう構成にしました。お愉しみいただけたら幸甚です。
    https://www.honzuki.jp/book/296898/review/260064/

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