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紅い芥子粒
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クララはAF(人工親友)として作られた人造人間です。容姿はフランス人の少女のようで、高い知能の持ち主。物語は、クララの一人称で語られます。
物語の世界では、AFを専門に売る店があり、クララたちは、ある日はウィンドウに、またある日は店央に飾られて、買ってくれる人を待つのです。それは、ペットショップで子犬や子猫が、飼い主となる人を待つ光景に似ています。

クララを買い求めたのは、ジョジ―という名の女の子でした。ジョジ―がクララを気に入っただけではありません。クララもまたジョジ―のものになることを望み、いわば相思相愛でふたりは結ばれたのです。

ジョジ―は、体の弱い少女でした。その原因は病気ではなく、”向上措置”といわれる施術の副作用であることが、読んでいくうちにわかります。
高度な知能を持つロボットを、子どもの親友にあてがうような社会です。
人間は、ロボットを使う側と、ロボットに使われる側にわかれます。
”向上措置”というのは、我が子がロボットを使う側にまわれるよう、幼いうちに遺伝子をいじる措置らしいのです。それは、ハイリターン、ハイリスクで、ジョジ―の姉はその措置のせいで死んでしまいました。それでも母親は、妹のジョジ―にも”向上措置”を受けさせたのです。”向上措置”を受けさせなければ、社会の下層に沈んで人生を送ることになる。それでは生る意味がないと、母親は考えたのでしょう。
ジョジ―と「将来を誓い合った」少年リックは、”向上措置”を受けていなくても優秀です。どんなに優秀でも”措置”を受けていなければ、将来進む道は限られてしまう。リックの母親は、”措置”を受けさせなかったことを、後悔しています。受けさせても受けさせなくても、親の決断は重く、子の人生がうまくいかなければ、自分を責めることになるのです。

ジョジ―の家には、メラニアという名の家政婦がいます。メラニアが、クララに何度もいう場面があります。「わたしたちは同じ側」、と。
クララがどんなにジョジ―のお気に入りであろうと、ロボットのおまえと家政婦の自分は、主人に使われる身なのだと、いいきかせているのでしょう。
それは、自分は人間であんたはロボット、まちがってもあたしはあんたの下には立たないよ、というせいいっぱいの自己主張のようにも聞こえます。

クララは頭のいいAFですから、自分に求められる役割を自分で考えます。
ジョジ―を見守り、ジョジ―の慰めになり、ジョジ―の役に立つこと。
しかし、出しゃばらずけっしてジョジ―の邪魔をしない。
封建時代の殿さまの小姓か、お姫様の侍女のようです。

クララは、太陽光エネルギーで動いているのかもしれません。
お日さまの光のことを、栄養といいます。
お日さまの光には、死んだ人を生き返らせる力もあると、信じています。
ジョジ―の健康が悪化していのちが危うくなったとき、クララは、お日さまに助けを求めます。人間に作られたロボットなのに、人間の医学ではなくお日さまに、人知を超えた力に祈るのです。


気もちよく最後まで読めたのは、クララが語る物語に、自慢や自己顕示がないからでしょう。明らかに人の心をもったクララの一生は、滅私奉公する奉公人の鑑のようで、なんだかせつないものでした。

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紅い芥子粒
紅い芥子粒 さん本が好き!1級(書評数:560 件)

読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。

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