休蔵さん
レビュアー:
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本書は日本列島広域の発掘調査成果を対象として、弥生時代の実像を追求した1冊である。ステレオタイプの弥生時代像を大きく覆す試みで、興味深い事例が数多く示されていた。
 弥生時代は、水田で稲作を行い、銅鐸や銅鉾といった金属器を使用し、邪馬台国をはじめとしたクニが形成された社会で、集団がクニを形成したことにより争いも派生していた。
そして、明確なリーダーが誕生した時代でもある。
このような社会転換の萌芽は、中国大陸や朝鮮半島からの文物の流入だった。
列島外からの最新の文物を、西日本を中心とした地域の人々は、こぞって求めた。
未開の縄文は弥生へスムーズに転換していく。
これが広く古されている弥生時代像ではないだろうか。
少なくとも私の場合、そんなイメージを抱いていた。
本書はこの単純なイメージに再考を促してくれた。
本書は弥生時代の遺跡の発掘調査データを丹念に紐解くことで、東日本を中心に展開していた縄文文化の影響が弥生時代の西日本でも認められることを抽出していく。
それは縄文文化の文物だけではなく、文様やそれに込められた思想の影響も含む。
モノの分析をしっかりとしないと見いだせない思想面の影響は、従来の研究ではあまり注目されてこなかったようだ。
 
そして、著者は階層性が進展していく北部九州と平等性を貫こうとする近畿地方という興味深い文化圏の存在を指摘した。
それは祭器のあり方にも見出せるということで、北部九州では銅剣や銅鉾を相当絞り込まれたごくごく一部の階層の個人墓に副葬するのに対して、近畿地方に広まった銅鐸は個人墓に副葬されることはない。
銅鐸は個人に属さず、集団の共有財産として集落外れに埋蔵されていた。
ただ、近畿地方でも武器を個人墓に副葬する事例はあるそうだが、それは安山岩を素材として作った打製石剣。
打製石剣の副葬は、ごくごく限られた特定個人の墓に副葬されるわけではなく、墓地の半数程度を占めることがあるという。
それは多くの人物が持つことのできる武器を個人墓に副葬するということで、北部九州の銅剣・銅鉾副葬とは異なる事情が垣間見ることができる。
長らく教科書にまとめられてきた弥生時代像が大きく変換することは、おそらくないだろう。
弥生時代について教科書が取り扱う余裕はほとんどなく次代への流れを示す一部の事象を取り扱わざるを得ない。
概説書もあまり変わらないかもしれない。
概説書は学説から大きく逸脱することはなく、最新のデータを重ねて、従来のイメージを補強する場合が多いように思う。
では、専門書の場合はどうか。
専門書は、取り扱う対象が絞られているため、時代像の議論に紙幅が割く事例はほどんど見ない。
概説書としての本書は、西からの影響を強く押し出す弥生時代像の流布に待ったをかけるチャレンジングな取り組みと言えよう。
もっとも本書で教科書が大きく書き換わることはない。
ただ、各遺跡で見つかったモノの解釈には大きく影響を及ぼすと考える。
その積み重ねが、やがては教科書に反映していくものと考える。
単純な弥生時代像からの逸脱と、複雑な弥生時代像の構築を試みた本書が果す役割は大きいと考える。
そして、明確なリーダーが誕生した時代でもある。
このような社会転換の萌芽は、中国大陸や朝鮮半島からの文物の流入だった。
列島外からの最新の文物を、西日本を中心とした地域の人々は、こぞって求めた。
未開の縄文は弥生へスムーズに転換していく。
これが広く古されている弥生時代像ではないだろうか。
少なくとも私の場合、そんなイメージを抱いていた。
本書はこの単純なイメージに再考を促してくれた。
本書は弥生時代の遺跡の発掘調査データを丹念に紐解くことで、東日本を中心に展開していた縄文文化の影響が弥生時代の西日本でも認められることを抽出していく。
それは縄文文化の文物だけではなく、文様やそれに込められた思想の影響も含む。
モノの分析をしっかりとしないと見いだせない思想面の影響は、従来の研究ではあまり注目されてこなかったようだ。
そして、著者は階層性が進展していく北部九州と平等性を貫こうとする近畿地方という興味深い文化圏の存在を指摘した。
それは祭器のあり方にも見出せるということで、北部九州では銅剣や銅鉾を相当絞り込まれたごくごく一部の階層の個人墓に副葬するのに対して、近畿地方に広まった銅鐸は個人墓に副葬されることはない。
銅鐸は個人に属さず、集団の共有財産として集落外れに埋蔵されていた。
ただ、近畿地方でも武器を個人墓に副葬する事例はあるそうだが、それは安山岩を素材として作った打製石剣。
打製石剣の副葬は、ごくごく限られた特定個人の墓に副葬されるわけではなく、墓地の半数程度を占めることがあるという。
それは多くの人物が持つことのできる武器を個人墓に副葬するということで、北部九州の銅剣・銅鉾副葬とは異なる事情が垣間見ることができる。
長らく教科書にまとめられてきた弥生時代像が大きく変換することは、おそらくないだろう。
弥生時代について教科書が取り扱う余裕はほとんどなく次代への流れを示す一部の事象を取り扱わざるを得ない。
概説書もあまり変わらないかもしれない。
概説書は学説から大きく逸脱することはなく、最新のデータを重ねて、従来のイメージを補強する場合が多いように思う。
では、専門書の場合はどうか。
専門書は、取り扱う対象が絞られているため、時代像の議論に紙幅が割く事例はほどんど見ない。
概説書としての本書は、西からの影響を強く押し出す弥生時代像の流布に待ったをかけるチャレンジングな取り組みと言えよう。
もっとも本書で教科書が大きく書き換わることはない。
ただ、各遺跡で見つかったモノの解釈には大きく影響を及ぼすと考える。
その積み重ねが、やがては教科書に反映していくものと考える。
単純な弥生時代像からの逸脱と、複雑な弥生時代像の構築を試みた本書が果す役割は大きいと考える。
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 ここに参加するようになって、読書の幅が広がったように思います。
 それでも、まだ偏り気味。
 いろんな人の書評を参考に、もっと幅広い読書を楽しみたい! 
この書評へのコメント
- ゆうちゃん2024-05-07 10:19休蔵さん、こんにちは。 
 先日読んだ「万物の黎明」でも平等な狩猟採集社会から、階層制の農耕社会と言う社会進化のモデルが批判のやり玉に挙がっていました。要するに単なる想像の産物だろうと。その内容に僕はおおいに共感したのですが、本書の書評を拝読してもその思いは強くなりました。先日のNHKの地球ドラマチックでもアマゾンにあった文明が、やはり階層制を取らなかったと言っていました。逆に狩猟採集の縄文時代でも三内丸山遺跡のような文明的な事例もあります。お書きの通り教科書が一夜にして変わる訳ではないと思いますが、今後の学説の変化は注目していきたいと思います。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。
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- 出版社:吉川弘文館
- ページ数:0
- ISBN:9784642058490
- 発売日:2017年06月30日
- 価格:1980円
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