休蔵さん
レビュアー:
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庭園は日本文化を語る際に外せない存在。それは現代にはじまったことではなく、鎌倉時代にはすでに作庭理論を綴った文書があったとか。本書はその文書を議題としたシンポジウムの記録集。
日本最古の作庭理論書と評価される『作庭記』。
その成立年代は平安時代末期あるいは鎌倉時代初期とみられている。
この『作庭記』を軸としたシンポジウム「日本庭園と作庭記(日本庭園のあの世とこの世)」が2012年12月に開催された。
本書はそのシンポジウムの記録で、序文を含めて14本の論考からなる。
本書が追い求めるのは日本庭園の造形そのものの美ではなく、そこに込められた真意であるという。
キーワードは「あの世」と「この世」で、時代により庭園に込められた想いは大きく転換するようだ。
本書は、まず日本庭園の誕生と変遷を序文に取り上げ、東アジアの中の日本庭園の位置づけに議論は進む。
それから『作庭記』の探求へと進むが、その議論は相当に細かいところにまで及ぶ。
例えば、錦仁の「名所を読む庭園は存在したか-川ラインと前栽歌合を中心に-」では、「国々の名所をおもひめぐらして、おもしろき所々を、わがもとになして、おほすがたを、そのところになずらへて、やハらげたつべき也」という一文を取り上げた議論である。
「「国々の名所」を思い浮かべ、その風景を「やハらげ」て優美に再現すること」(180頁)を説いた文章であるが、論者は「国々の名所」の実情に迫る。
そして、『伊勢物語』にある左大臣源融が造らせたという河原院を素材にする。
この邸宅に新王たちが参集して催された雅宴で、邸宅を詠み讃える歌合において、
「塩釜に いつか来にけむ 朝なぎに
釣する舟は ここにおらなむ」
という歌が披露された。
この「塩釜」は陸奥の浜辺の風景と解釈されるが、果たしてその解釈はいいのか。
論者は結論として、実際の庭園に『作庭記』がいうような「国々の名所」ができあがっていたわけではなく、州浜を中心に据えた歌合で名所がたくさん詠まれることがあった、としている。
『作庭記』は造園書であるため、造園家は「国々の名所」を写すことはあるが、それが和歌に示された実際の「名所」とリンクするとは必ずしも言い切れないということのようだ。
日本庭園にはさまざまな種類がある。
広大な大名庭園は観光地となり、金沢市の兼六園などは非常に有名だ。
また、多くの寺院に庭園があり、やはり観光名所となっている事例が数多くある。
私たちにとって庭園とは美を堪能するものという印象が強く、そこに込められた意味を抽出することは難しい。
それはそれでいいのかもしれない。
しかし、造園家や依頼者が庭園に込めた意味を知ること、あるいは自分ながらに解釈することができれば、庭園の楽しみは大幅に拡がるのではないか。
『作庭記』は、そんな楽しみ方を手助けしてくれる良書ではなるが、なかなか読み込むことは難しいだろう。
本書はその手助けになると思う。
その成立年代は平安時代末期あるいは鎌倉時代初期とみられている。
この『作庭記』を軸としたシンポジウム「日本庭園と作庭記(日本庭園のあの世とこの世)」が2012年12月に開催された。
本書はそのシンポジウムの記録で、序文を含めて14本の論考からなる。
本書が追い求めるのは日本庭園の造形そのものの美ではなく、そこに込められた真意であるという。
キーワードは「あの世」と「この世」で、時代により庭園に込められた想いは大きく転換するようだ。
本書は、まず日本庭園の誕生と変遷を序文に取り上げ、東アジアの中の日本庭園の位置づけに議論は進む。
それから『作庭記』の探求へと進むが、その議論は相当に細かいところにまで及ぶ。
例えば、錦仁の「名所を読む庭園は存在したか-川ラインと前栽歌合を中心に-」では、「国々の名所をおもひめぐらして、おもしろき所々を、わがもとになして、おほすがたを、そのところになずらへて、やハらげたつべき也」という一文を取り上げた議論である。
「「国々の名所」を思い浮かべ、その風景を「やハらげ」て優美に再現すること」(180頁)を説いた文章であるが、論者は「国々の名所」の実情に迫る。
そして、『伊勢物語』にある左大臣源融が造らせたという河原院を素材にする。
この邸宅に新王たちが参集して催された雅宴で、邸宅を詠み讃える歌合において、
「塩釜に いつか来にけむ 朝なぎに
釣する舟は ここにおらなむ」
という歌が披露された。
この「塩釜」は陸奥の浜辺の風景と解釈されるが、果たしてその解釈はいいのか。
論者は結論として、実際の庭園に『作庭記』がいうような「国々の名所」ができあがっていたわけではなく、州浜を中心に据えた歌合で名所がたくさん詠まれることがあった、としている。
『作庭記』は造園書であるため、造園家は「国々の名所」を写すことはあるが、それが和歌に示された実際の「名所」とリンクするとは必ずしも言い切れないということのようだ。
日本庭園にはさまざまな種類がある。
広大な大名庭園は観光地となり、金沢市の兼六園などは非常に有名だ。
また、多くの寺院に庭園があり、やはり観光名所となっている事例が数多くある。
私たちにとって庭園とは美を堪能するものという印象が強く、そこに込められた意味を抽出することは難しい。
それはそれでいいのかもしれない。
しかし、造園家や依頼者が庭園に込めた意味を知ること、あるいは自分ながらに解釈することができれば、庭園の楽しみは大幅に拡がるのではないか。
『作庭記』は、そんな楽しみ方を手助けしてくれる良書ではなるが、なかなか読み込むことは難しいだろう。
本書はその手助けになると思う。
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ここに参加するようになって、読書の幅が広がったように思います。
それでも、まだ偏り気味。
いろんな人の書評を参考に、もっと幅広い読書を楽しみたい!
この書評へのコメント
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- 出版社:思文閣出版
- ページ数:0
- ISBN:9784784217465
- 発売日:2014年05月01日
- 価格:12718円
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