紅い芥子粒さん
レビュアー:
▼
もし一人の人間が、まっぷたつに断ち割られ、「良い心」だけの半分と、「悪い心」だけの半分になってしまったら? そんなもしもの物語である。
いつの話とは書かれていない。昔の話である。
メダルト子爵は、トルコとの戦争に従軍し、砲弾に当たって、体を縦にまっぷたつに断ち割られてしまった。 子爵はまだ若い。初めての従軍だった。
心臓はどうなったのかと思うが、右半身だけ助かって、故郷の領地に帰ってきた。
フード付きのまっ黒なマントに身を包んで。
輿に乗って帰還した半身だけの領主を見て、領民たちは、どれほど驚いたことか!
しかも、半分だけになった体には、「悪い心」しか宿っていなかった。
息子に爵位を譲って従軍させた父は、悲しみのあまりか後悔のあまりか、愛する小鳥たちと鳥小屋に閉じこもって死んでしまった。
「悪い子爵」のいちばんの犠牲者は、なんといっても領民だった。
ささいな罪で、吊るし首の刑に処せられた。
悪法や重税に物申した者は、家に火をかけられた。
メダルト子爵の悪意は、物語の語り手である「ぼく」にも向けられた。
「ぼく」は、子爵の甥で、当時まだ7,8歳の子どもだった。
「悪い子爵」は、あるときは毒キノコで、あるときは谷川の丸木橋に細工して、幼い「ぼく」を殺そうとした。
子爵の悪意は、彼を赤ん坊のころから育ててくれた乳母にも向けられた。
乳母は、子爵の冷酷非情で粗暴なふるまいを恐れず非難した。
むかついたのだろう、子爵は、彼女の寝ている召使いの棟に火をつけ、焼き殺そうとした。
焼殺に失敗すると、乳母をらい病者たちの村に追放してしまった。
彼女がらい病ではないことはあきらかだったのに。
村にたった一人の医者は、子爵を恐れて、彼女をかばうことさえしなかった。
そんな「悪い子爵」を恐れないのは、ジェルビードの丘のユグノー教徒の人々だけだった。フランスから逃げてきて、不毛の土地を開墾した人々。彼らは、強い団結力で、子爵に対抗する。その気になれば、子爵を殺すことだってできるのに、そうしないのは、彼らがまともだからだろう。
さて、「悪い子爵」にも、人を恋する気持ちはあった。
見染められたのは、牧場の娘パメーラ。
彼女の行く先々には、半分に切り取られた花や、羽が半分ちぎられた昆虫の死骸が散らばっている。
子爵の恐ろしいプロポーズを振り切り、パメーラは逃げる。お気に入りのカモとヤギをつれて。もっと恐ろしいのは、彼女の両親が金に目がくらんで、悪い子爵に娘を売ろうとしたことだ。
このまま「悪い子爵」が死ぬまで、おぞましい話が続くのかと思いきや、そうはならなかった。
粉々になったはずの、左半分の「良い子爵」が帰ってきたのだ。
「良い子爵」は、とにかく優しくて善良で……
「良い子爵」の施す善行に、人々は涙して喜んだ……かというと、そうでもない。
ある人にとってありがたいことが、別の人には迷惑だったりするからだ。
「良い子爵」が良いと信じて押し付けることが、人々には有難迷惑だったりするからだ。
おもしろいのは、「良い子爵」も「悪い子爵」と同じ女性を好きになったこと。
そりゃそうだ、正反対でも、同じ人だものね。
半分の子爵たちは、落ち着くところに落ち着いて、まあ、めでたしめでたしで終わるんだけど……
気になるのは、語り手の「ぼく」のことだ。
子爵の駆け落ちした姉の子で、みなしごの「ぼく」。
「悪い子爵」が帰還した時、7,8歳だったぼくは、物語の終わりごろは 青春の入り口 に来ていた。キャプテン・クックの船で海に出ていくのが望みだったが、かなわなかった。
船が出て行ったとき、「ぼく」は知らずに森の木の根元で、おとぎ話を作っていたのだ。
「まっぷたつの子爵」は、きっと大人になった「ぼく」が作った物語なのだ。
メダルト子爵は、トルコとの戦争に従軍し、砲弾に当たって、体を縦にまっぷたつに断ち割られてしまった。 子爵はまだ若い。初めての従軍だった。
心臓はどうなったのかと思うが、右半身だけ助かって、故郷の領地に帰ってきた。
フード付きのまっ黒なマントに身を包んで。
輿に乗って帰還した半身だけの領主を見て、領民たちは、どれほど驚いたことか!
しかも、半分だけになった体には、「悪い心」しか宿っていなかった。
息子に爵位を譲って従軍させた父は、悲しみのあまりか後悔のあまりか、愛する小鳥たちと鳥小屋に閉じこもって死んでしまった。
「悪い子爵」のいちばんの犠牲者は、なんといっても領民だった。
ささいな罪で、吊るし首の刑に処せられた。
悪法や重税に物申した者は、家に火をかけられた。
メダルト子爵の悪意は、物語の語り手である「ぼく」にも向けられた。
「ぼく」は、子爵の甥で、当時まだ7,8歳の子どもだった。
「悪い子爵」は、あるときは毒キノコで、あるときは谷川の丸木橋に細工して、幼い「ぼく」を殺そうとした。
子爵の悪意は、彼を赤ん坊のころから育ててくれた乳母にも向けられた。
乳母は、子爵の冷酷非情で粗暴なふるまいを恐れず非難した。
むかついたのだろう、子爵は、彼女の寝ている召使いの棟に火をつけ、焼き殺そうとした。
焼殺に失敗すると、乳母をらい病者たちの村に追放してしまった。
彼女がらい病ではないことはあきらかだったのに。
村にたった一人の医者は、子爵を恐れて、彼女をかばうことさえしなかった。
そんな「悪い子爵」を恐れないのは、ジェルビードの丘のユグノー教徒の人々だけだった。フランスから逃げてきて、不毛の土地を開墾した人々。彼らは、強い団結力で、子爵に対抗する。その気になれば、子爵を殺すことだってできるのに、そうしないのは、彼らがまともだからだろう。
さて、「悪い子爵」にも、人を恋する気持ちはあった。
見染められたのは、牧場の娘パメーラ。
彼女の行く先々には、半分に切り取られた花や、羽が半分ちぎられた昆虫の死骸が散らばっている。
子爵の恐ろしいプロポーズを振り切り、パメーラは逃げる。お気に入りのカモとヤギをつれて。もっと恐ろしいのは、彼女の両親が金に目がくらんで、悪い子爵に娘を売ろうとしたことだ。
このまま「悪い子爵」が死ぬまで、おぞましい話が続くのかと思いきや、そうはならなかった。
粉々になったはずの、左半分の「良い子爵」が帰ってきたのだ。
「良い子爵」は、とにかく優しくて善良で……
「良い子爵」の施す善行に、人々は涙して喜んだ……かというと、そうでもない。
ある人にとってありがたいことが、別の人には迷惑だったりするからだ。
「良い子爵」が良いと信じて押し付けることが、人々には有難迷惑だったりするからだ。
おもしろいのは、「良い子爵」も「悪い子爵」と同じ女性を好きになったこと。
そりゃそうだ、正反対でも、同じ人だものね。
半分の子爵たちは、落ち着くところに落ち着いて、まあ、めでたしめでたしで終わるんだけど……
気になるのは、語り手の「ぼく」のことだ。
子爵の駆け落ちした姉の子で、みなしごの「ぼく」。
空気のように自由だったとぼくはいうが、それは、ひとりぼっちだったということ。
「悪い子爵」が帰還した時、7,8歳だったぼくは、物語の終わりごろは 青春の入り口 に来ていた。キャプテン・クックの船で海に出ていくのが望みだったが、かなわなかった。
船が出て行ったとき、「ぼく」は知らずに森の木の根元で、おとぎ話を作っていたのだ。
「まっぷたつの子爵」は、きっと大人になった「ぼく」が作った物語なのだ。
投票する
投票するには、ログインしてください。
読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。
- この書評の得票合計:
- 34票
読んで楽しい: | 11票 | |
---|---|---|
参考になる: | 23票 |
あなたの感想は?
投票するには、ログインしてください。
この書評へのコメント
コメントするには、ログインしてください。
書評一覧を取得中。。。
- 出版社:白水社
- ページ数:0
- ISBN:9784560072127
- 発売日:2020年10月29日
- 価格:1760円
- Amazonで買う
- カーリルで図書館の蔵書を調べる
- あなた
- この書籍の平均
- この書評
※ログインすると、あなたとこの書評の位置関係がわかります。