darklyさん
レビュアー:
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半沢直樹の新作はオーソドックスな倍返しもの。半沢直樹があまりにもビッグネームになり、池井戸さんとしても作品の自由度が失われているのかもしれない。
東京中央銀行大阪西支店の取引先である仙波工藝社への買収案件が、大阪営業本部から半沢直樹にもたらされる。仙波工藝社は芸術専門の出版社であり、現在は三代目の仙波友之が社長を務めている。出版不況の中、資金繰り等は楽ではない。買い手は今をときめくIT企業ジャッカルだ。
経営が楽ではないとはいえ身売りなど考えたこともない友之は即座に断ったが、ある出来事が起こり赤字へ転落し資金が必要となる。半沢は救済すべく融資稟議を上げるが審査部に難癖をつけられて窮地に陥る。半沢の仇敵である業務統括部の宝田がジャッカルの社長田沼と結託し買収を実現するために大阪西支店長の浅野匡も巻き込んで融資を妨害していたからだ。
しかしIT企業のジャッカルはなぜ芸術出版社である仙波工藝社の買収に固執するのか?しかも資産価値を大幅に上回るのれん代をつけて。それは田沼が現代アートの仁科譲作品コレクターとして有名であり、自分の会社に芸術出版社を取り込みたいという一見納得できる理由の裏に重大な秘密があったのだ。仁科譲の代表作が「アルルカンとピエロ」である。
果たして半沢と仙波工藝社は窮地を脱することができるのか、そして半沢の倍返しは。
本書は「おれたちバブル入行組」の前日譚との触れ込みですが、前日譚と言えば主人公がそのようなキャラクターになった経緯等が描かれるのが一般的だと思われます。しかしこの物語は「おれたちバブル入行組」の舞台と同じ大阪西支店において浅野支店長らを敵役とする単なる一つのエピソードに過ぎません。
それならばいっそ時系列に「銀翼のイカロス」の後の話、課長島耕作ばりに出世した半沢を描けばいいとも思えます。なぜ池井戸さんは、言い方は悪いですが、二番煎じとも思える物語を書いたのでしょうか?
半沢直樹はバブル入行組ですので1990年代前後の入行であり、課長ということは大体10年選手と考えれば2000年初頭の話だと想定できます。バブル崩壊後の金融緩和による金余りにも関わらず日本中がリスクオフ状態となり資金需要が低迷する時代が続く中、そもそも池井戸さんが描く高度成長期に銀行員として育った層にありがちな、顧客に対して上から目線の銀行員象というのはまだ生息はしていても時代と共に少数派となっていきます。銀行はどこも運用に困っているわけで、そのような態度であればすぐ他行にとって代わられます。
このような傾向は昨今ますます加速し、他業態からの銀行業への参入の要因も相俟って、運用に困った銀行は個人の住宅ローンにさえ1%を切る金利で奪い合い、顧客に対しては平身低頭、貸さなければ貸し渋りと非難され、またコンプライアンスやハラスメント、働き方改革などで雁字搦め、とても池井戸作品の敵役のような優越的地位の濫用とパワハラ全開の銀行員はほとんどいません。
そのような中で超売れっ子作家であり、ドラマ化すれば20%超え確実とあっては、何かと出版社からの催促と言いますか、執筆のお願いは苛烈を極めるのではないでしょうか?しかし前述の通り、銀行は池井戸さんが銀行員であった時期と比べて様変わりし、敵役のような銀行員はもはやリアリティを持たないと言えます。(ここで言うリアリティというのはあくまで物語上のリアリティであり、現実の銀行員では、あのような人間はいてもごく少数です。念のため)
本書のテーマであるM&Aや「水曜日は定時退行」などで今どき感を出していますが、結局「半沢直樹」らしい、読者が求める新作を書くとなるとやはり従来の敵役のような銀行員が存在していた時代に遡って書く必要があったのではないかと推測します。それは私の考え過ぎで単に水戸黄門のように日本人はワンパターンが好きだろうということで書かれただけかもしれませんが。
確かに読めば痛快で面白いこと間違いなし。しかし逆に言えばそれだけかも。
経営が楽ではないとはいえ身売りなど考えたこともない友之は即座に断ったが、ある出来事が起こり赤字へ転落し資金が必要となる。半沢は救済すべく融資稟議を上げるが審査部に難癖をつけられて窮地に陥る。半沢の仇敵である業務統括部の宝田がジャッカルの社長田沼と結託し買収を実現するために大阪西支店長の浅野匡も巻き込んで融資を妨害していたからだ。
しかしIT企業のジャッカルはなぜ芸術出版社である仙波工藝社の買収に固執するのか?しかも資産価値を大幅に上回るのれん代をつけて。それは田沼が現代アートの仁科譲作品コレクターとして有名であり、自分の会社に芸術出版社を取り込みたいという一見納得できる理由の裏に重大な秘密があったのだ。仁科譲の代表作が「アルルカンとピエロ」である。
果たして半沢と仙波工藝社は窮地を脱することができるのか、そして半沢の倍返しは。
本書は「おれたちバブル入行組」の前日譚との触れ込みですが、前日譚と言えば主人公がそのようなキャラクターになった経緯等が描かれるのが一般的だと思われます。しかしこの物語は「おれたちバブル入行組」の舞台と同じ大阪西支店において浅野支店長らを敵役とする単なる一つのエピソードに過ぎません。
それならばいっそ時系列に「銀翼のイカロス」の後の話、課長島耕作ばりに出世した半沢を描けばいいとも思えます。なぜ池井戸さんは、言い方は悪いですが、二番煎じとも思える物語を書いたのでしょうか?
半沢直樹はバブル入行組ですので1990年代前後の入行であり、課長ということは大体10年選手と考えれば2000年初頭の話だと想定できます。バブル崩壊後の金融緩和による金余りにも関わらず日本中がリスクオフ状態となり資金需要が低迷する時代が続く中、そもそも池井戸さんが描く高度成長期に銀行員として育った層にありがちな、顧客に対して上から目線の銀行員象というのはまだ生息はしていても時代と共に少数派となっていきます。銀行はどこも運用に困っているわけで、そのような態度であればすぐ他行にとって代わられます。
このような傾向は昨今ますます加速し、他業態からの銀行業への参入の要因も相俟って、運用に困った銀行は個人の住宅ローンにさえ1%を切る金利で奪い合い、顧客に対しては平身低頭、貸さなければ貸し渋りと非難され、またコンプライアンスやハラスメント、働き方改革などで雁字搦め、とても池井戸作品の敵役のような優越的地位の濫用とパワハラ全開の銀行員はほとんどいません。
そのような中で超売れっ子作家であり、ドラマ化すれば20%超え確実とあっては、何かと出版社からの催促と言いますか、執筆のお願いは苛烈を極めるのではないでしょうか?しかし前述の通り、銀行は池井戸さんが銀行員であった時期と比べて様変わりし、敵役のような銀行員はもはやリアリティを持たないと言えます。(ここで言うリアリティというのはあくまで物語上のリアリティであり、現実の銀行員では、あのような人間はいてもごく少数です。念のため)
本書のテーマであるM&Aや「水曜日は定時退行」などで今どき感を出していますが、結局「半沢直樹」らしい、読者が求める新作を書くとなるとやはり従来の敵役のような銀行員が存在していた時代に遡って書く必要があったのではないかと推測します。それは私の考え過ぎで単に水戸黄門のように日本人はワンパターンが好きだろうということで書かれただけかもしれませんが。
確かに読めば痛快で面白いこと間違いなし。しかし逆に言えばそれだけかも。
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昔からずっと本は読み続けてます。フィクション・ノンフィクション問わず、あまりこだわりなく読んでます。フィクションはSF・ホラー・ファンタジーが比較的多いです。あと科学・数学・思想的な本を好みます。
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- 出版社:講談社
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- ISBN:9784065190166
- 発売日:2020年09月17日
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