というのもご存知の通り村上春樹の小説は海外で、特にアジアで人気があるのですが、文化の違う外国人がなぜ村上作品に熱狂するのかその訳を知りたいと常々思っていまして、その一助になるかと思ったのです。
しかし本書は主に村上春樹の半生についての伝記やその哲学のような内容がほとんどであり、作品はずっと好きであったけれども特に村上春樹と言う人物自体にそれほど関心がない私にとっては少し肩透かしな内容でした。
こう書くと村上春樹のことが嫌いなのかと思われそうですが決してそうではなく、あのようなある意味ハードボイルドな人生を送るのはヘタレサラリーマンの私には無理ですし、あまり彼の人生の経験や発言が私の人生に役に立つとは思えないという意味で関心がないということです。
私は以前から、村上春樹自身のみならず彼の小説の主人公もハードボイルドの主人公のようだと思っています。決して自分の主義やスタイルを曲げない、権力には媚びない屈しない、ただ違うところは殺人事件がないというところ。村上春樹自身で言えば本書にも触れられている日本の文壇との確執はその象徴のような気がします。
小説の優劣はKOで決着したボクシングのように明確ではありません。その中で小説家たちは常に評価への不安を抱えながら執筆しているのだろうと想像します。そのストレスを回避するためには群れを作りその中でお互いを評価しあうシステムを作ればよい。そしてその中で年功序列的に権威を譲っていくことで安定した作家生活を送ることができる。それが文壇なのでしょう。文壇仲間に入らずかつ売れっ子作家になってしまった村上春樹が異常なまでに文壇から敵視されたのは単なる嫉妬だけではなくそのシステムの安定を乱す攪乱分子と見做されたからなのでしょう。
先日騒動となった日本学術会議のメンバー選考に関する菅総理への反応も同じ構図のような気がします。もっと寄り道を許していただければお笑い芸人の中には一旦売れると、スベって評価を落とすリスクがある本職を続けるよりも大御所と言われテレビの司会等、楽に安定的に稼げる(楽ではないのかもしれませんが少なくともネタを作る必要はない)方向にいく人がいるのもシステムの中での安定を求めるという同じ心理のような気がします。
村上春樹は常に読者に直接向き合い作品自体で勝負するというリスクのある道を歩む孤高でハードボイルドな作家だと思います。
作者の村上春樹愛が一番感じられるところは筆者による仮想インタビューです。過去の村上春樹の言動からきっとこの質問にはこう答えるだろうと想像して書いたものですが、もはや想像を通り越して妄想に近い。著者は所謂ハルキストと呼ばれる人なのだろうと思います。
前述の通り、私は外国人がなぜ村上春樹に熱中するのかを知りたいわけですが、本書の内容ではなく訳者のあとがきにヒントがあるように思いました。それは村上春樹が作家として日本で評価を上げてきた時期というのは、韓国において民主化し経済成長が進んだ時期と一致します。韓国が貧しく余裕がなかったり軍事独裁政権下で自由がなかった時代から「個」を意識する時代に入ったところに、村上春樹が描くキャラクターや物語が上手くマッチしたのではないかと思います。決して強いわけではないが、周りや社会に流されるのではなく、しっかりと自分という「個」をもって生きていくキャラクターたちに。
同じように第二次世界大戦後、植民地支配からの独立、そして民主化という道を進む国がアジアを中心に沢山あり、そこで芽生える人権意識と共に「個」という概念を大衆が持つに至りました。そのような観点からすれば、村上春樹が作家としてスタートした時代、アジアの中では民主化こそ一歩先に進んでいるが経済・社会の全体主義的空気が濃い日本においては「個」という概念が外国に比べてそれほど意識されていたとは思えず、その中でよく村上春樹が評価されてきたなという感じがします。多分村上春樹はその人格からしても作品内容からしてみても日本人に生まれるよりは欧米人として生まれた方が小説家として成功しやすかったのではないかと思います。
本書はハルキストの方にはお薦めできません。なぜなら本書の内容が基本的に作品を含めて公表されていることだけで構成されているのでハルキストの方ならほとんど知っていることだけだろうと思うからです。最近村上春樹作品を読み始めた方で彼自身に興味がある方にお薦めの本です。構成がとてもよくまとまっており、この本一冊で村上春樹の人となりや哲学、ヒストリーがかなり掴めると思います。



昔からずっと本は読み続けてます。フィクション・ノンフィクション問わず、あまりこだわりなく読んでます。フィクションはSF・ホラー・ファンタジーが比較的多いです。あと科学・数学・思想的な本を好みます。
この書評へのコメント
- noel2020-12-25 16:31
>村上春樹は常に読者に直接向き合い作品自体で勝負するというリスクのある道を歩む孤高でハードボイルドな作家だと思います。
同感です。やはり、この作家はその生きざまで評価されるのではなく、作品で評価され、感化する媒体としての小説のなかで生きる作家だと思います。
その点では、おっしゃるところとは若干異なると思いますが、孤高に生きるハードボイルトであるという一点においては同断ではないかと思います。
そしてそんな感覚で彼を捉える読者であるdarklyさんは、ヘタレと自らを僭称しつつも心性においてはアウトサイダー的観察眼をもって世界を眺めているひとなのではないでしょうか。
そんなところに、この書評の「ひとのよさ」が現れており、わたしは好きです。自らを「世界化」できるひとが羨ましいです。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - noel2021-02-03 20:32
わたしはハルキストでもなんでもなく、ただ単に京都出身の同い年の彼がどんな考えをしているのか知りたくて、ここ数年で初めて彼の作品に触れた人間です。つまり、この歳になるまで、彼や彼のファンたちを奇異にとらえていた人間の一人です。
今回、なにか彼の作品について、これまでに読んだものの書評を書こうかと思い、darklyさんの書評を憶い出し、それを参考にしたくて、もう一度読んでみました。
やはり、darklyさんは凄いです。改めて、その凄さに脱帽の感があります。わたしのように本から得た文を引用または援用せずに自分のことばで語っておられるからです。
と、まあ、そんなわけで、村上作品のどれを感想文にすればいいかと、現在、模索中です。彼の作品で文庫化されているものはすべて読んでいますが、darklyさんならどの作品がいいと思いますか。ご推薦のものがあれば、それを書いてみたいと思います。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - noel2021-02-04 11:23
いずれも長い小説ですね。わたしは、そこかしこで言っているようにまとめることができないのと、粗筋を描くことが苦手なひとなのです。
ですから、一番最後の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』にしてみようかと思うのですが、いかんせん、いま書棚から取り出してみると、その字の小さいこと!
パソコンばかりを見ていると、文庫本の文字がダブって見え、焦点が合いません。
なので、もうしばらくお時間をいただいたうえで、書くことにします。書くからにはもう一度読まなければなりませんが、遅筆なのはもとより、遅読も最たる人間でもあるのです。ま、ゆっくり他の方の書評を読みながら、気長にお待ちください。
じっくり考えてから、駄文を弄してみますから。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 コメントするには、ログインしてください。
- 出版社:季節社
- ページ数:0
- ISBN:9784873691039
- 発売日:2020年10月22日
- 価格:1980円
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