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hackerさん
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「われらの国家がより多くの領土を必要としている時に、土地を善意で供給する国があると思うか。殺し合い(戦争)に反対するのは、最大の国益に逆らうのと同じだ」(本書登場人物の台詞)
チェコの作家カレル・チャペック(1890-1938)が、1937年に発表した、予言に満ちた傑作です。先にレビューを書いたスウェーデンのディストピア小説『カロカイン』(1940年)も、作者ボイエの死の前年に発表されているのは、単なる偶然ですが、共に全体主義と個人と戦争というテーマを扱っているのは偶然ではないでしょう。

当時のチェコは、第一次世界大戦後に成立したチェコスロバキア共和国でしたが、工業地帯ズデーデンに多くいたドイツ系住民の独立を求める運動が活発化しており、英国に仲裁によるミュンヘン会談(1938年)で、ズデーデン地方をドイツに譲渡することにより、一時的には戦争を回避したものの、結局翌年ドイツに併合されることになりました。チャペックは、このことを自分の目でみたわけではありませんが、ミュンヘン会談前に発表された本書を読むと、こういう可能性を十分意識していたことがうかがえます。


三幕の戯曲である本書の内容について、簡単に触れます。

舞台は某軍事大国です。冒頭に登場する3人の患者の会話から、「白い病」と呼ばれる不治の伝染病が流行っていることが語られます。まず、体のどこかに白い斑点ができ、そのうちそれが体内を侵し始め、耐えがたい匂い(腐臭)を放つようになって、死に至るという病気です。罹る人間は40代後半から50歳前後の、いわば働き盛りの人間ばかりというのも特徴です。

そんな時、リリエンタール大学病院を預かるジーゲリウス教授―この病気は中国発(!)ではないかと考えているのですがーの元に、正式にはチェン氏病という名のこの病気の治療薬を発見したという貧民相手の町医者ガレーン博士が訪ねてきます。最初は相手にしなかった教授ですが、話しているうちに、ガレーン博士は、病院の名前を冠しているリリエンタール博士が一番評価していた弟子であったことが分かり、この治療薬の有効性に興味を抱きます。そして、ガレーン博士は、この大学病院の患者を対象に特効薬の臨床試験を行いたいと申し出たのです。ただし、特効薬の内容については、他の医師には話さないという条件でした。ジーゲリウス教授は腹を立てますが、13号室の患者に限って、ガレーン博士単独による臨床実験を認めます。部屋の番号から推測するに、そこには見放した患者ばかりだったのでしょう。

そして、臨床実験は大成功を収めます。教授は大喜びで、この特効薬の内容を開示するように求めます。大学病院、ひいては自身の功績になると考えたからです。ところがガレーン博士は、そのための条件を出してきます。それは、二度と戦争を起こさないというものでした。彼は新聞記者たちにも、そのことを告げます。彼らとは、こんなやり取りをします。

「記者―誰に伝えてほしいのですか?
博士―誰?世界中の国王や統治者にです。(中略)私は戦争に行ったことがあります、従軍医師として...。二度と戦争を起こしてほしくない、とそう書いてください。わかりますか?そう書いてください!
記者ー耳を傾けるとお思いですか?
博士―ええ...お伝えください、さもなければ、この病気で命を落とすことになると...チェン氏病の薬は、私の発明品なのです、いいですか?もう人殺しをしないと約束するまで...私は薬を渡しません(中略)国を統治している人物は皆、十分に年をとっている...つまり、生きたまま腐っていくことになると...(中略)この病はありとあらゆる人が罹る...例外なく、すべての人が...
別の記者―あなたは、人がなくなるのを放っておくのですか?
博士―では、人々が殺し合いをするのを、あなたは放っておくのか?なぜだ?...鉛の玉やガスで人を殺してもいいとしたら...私たち医者は、何のために人の命を扱うのか?子どもの命を救ったり、骨痬(こつよう)を治療したりすることが...どんなにたいへんなことか...わかってほしい...にもかかわらず、すぐに戦争だという!医師として...銃やイベリットガスから人々を守らなければならない。こういうものがいかに人間をだめにするかわかっています。いいですか、私はただ医師としてのべているのです...私は政治家ではありません、ただ医師としての義務があるのです...あらゆる人間の命を救う義務が。そうではないですか?これは医師としての務めなのです、戦争を防ぐことが!
記者―ですが、どうやって防ぐんですか?
博士―どうやって、ただ...彼らが戦争から手を引けばいいのです。そうすれば、<白い病>の薬を提供します。(中略)皆さんが新聞で書いてくだされば...こう書いてください...この薬を入手できるのは...二度と、二度と、二度と戦争をしないと誓う民族だけだと」

もちろん、ガレーン博士は、ジーゲリウス教授に大学病院から追い出されます。教授は、こう言います。

「哀れにも、(ガーレン博士は)心を患っているのです。今日、永遠の平和を夢見るとは―かれは精神病院で診療を受けたほうがよいと、私は医師として思いますね」

ガーレン博士は自分の病院に戻り、新聞記事を見たり、噂を聞いてやってくるチェン氏病患者の治療にあたります。しかし、薬を投与するのは、治療費も払えないような貧しい者ばかりでした。裕福な人間は、いくら金を積まれても門前払いです。例外的に、自分の病気が治らないと貧しい人々がパンを買えなくなると訴えたパン屋は治療したりしました。その間にも、チェン氏病は、全世界に拡大し、国内だけでなく外国からも、ガーレン博士の要求を検討すべきだという声が高まってくるのでした。


そして、本書の中で、一番興味深い会話は、ガレーン博士と、軍全体を統括する元帥との会話です。

「元帥―戦争や平和は、私の意志次第だと思っているのか?我が国民の利益に叶うかどうかを考え、私は国の舵取りをしているのだ。我が国民が戦争に突入したら、あとは...その戦いを最後まで貫き通すのが私の務めだ。
博士―ですが...あなたがいなければ...あなたの国民は、侵略戦争を始めないでしょう。
元帥―そうかもしれない。これほど準備万端ではなかっただろう...自分たちのチャンスも。今日、幸いにも皆がそのことを知っている。私はただその意志に従っているだけ。
博士―...その意志は閣下自ら呼び込んだものです。
元帥―そう。国民の中の意志を目覚めさせたのだ。君は平和が戦争戦争より優れていると考えている。私は、戦争に勝利することが平和より好ましいものだと思っている。我が国民から勝利を奪うことは、私にはできない。
博士―戦没者もいます。
元帥―戦没者もだ。戦没者の血こそが、祖国の大地を作りあげるのだ。戦争のみが、人々を国民とし、男たちを英雄にするのだ...
博士―そして、死者にも。戦争で、多くの死者を目にしました...
元帥―それが、君の仕事だ、博士。私は自分の現場で、大勢の英雄を目にした。
博士―ええ、そういう人たちは後方にいました、閣下。塹壕にいたわたしたちはそれほど勇敢ではありませんでした。
(中略)
元帥―天命が必要だ...高次の意志が私たちを操るのだ...
博士―誰の意志です?
元帥―神だ。私は神に託されたのだ。そうでなければ、こんなことはできない。
博士―それで...戦争を指揮する?
元帥―そうだ。国民の名において...
博士―その子どもたちが戦場で斃れることになっても...
元帥―...そして勝利を収める。国民の名において...」

引用が長くなりましたが、この部分は本書の肝だと思います。執筆当時には、明らかにヒトラーを反映していた元帥ですが、今読むと、プーチンを連想させます。実は、この後に、数週間で勝利するとして隣国に攻め入るのですが、思わぬ抵抗に遭って、とてもそんな期間では戦争は終わらないという描写があり、まるでウクライナに侵攻したロシアのようだということもあります。ただ、独裁者、国粋主義者、全体主義者の発想は、いつの時代も変わらないということなのでしょう。


そして、本書での重要なポイントの一つは、ガレーン博士の採った手段は、テロリズムの一種だということです。それは、博士と、軍需産業の主であるがゆえに、診察を拒否される患者の次の会話からも分かります。

「患者―たった一人で、あなただけで、平和を実現できるとお思いですか?
博士―いえ、独りではありません。私には...強力な仲間がいますからね。
患者―そう、<白い病>という仲間が。それに恐怖。おっしゃる通り、私には恐怖心がある...そう、怖いんです!」

第二次大戦中のドイツ占領軍に対する、フランスのレジスタンスのモットーの一つは「恐怖には恐怖を」でした。ですから、レジスタンス側は、自分たちの活動がテロリズムであることをしっかり意識していたはずです。ガレーン博士の行動は「戦争の恐怖には病気の恐怖を」であり、これもテロリズムなのです。日本の赤穂浪士や新撰組の例もそうですが、世界中に民衆から支持されているテロリストは珍しくありません。本書でのガレーン博士の行動も、それ故に、決して称賛するものではありませんが、テロリズムには単純に悪とは決めつけられない面があることを、本書は語っています。


というわけで、今読むと、怖しいほどの予言に満ち溢れた、チャペックの中でも傑作の一つでしょう。それと同時に、人間の発想と行動は、昔も今も同じことに、啞然とさせられます。いつの日か、昔の人はこんなことを考えていたんだ、という視点で本書が読めるようになり、本書を傑作と思わない未来が来ることを祈ります。
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hacker
hacker さん本が好き!1級(書評数:2281 件)

「本職」は、本というより映画です。

本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。

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この書評へのコメント

  1. p-mama2024-01-08 08:14

    すごい!
    あまりにも内容がすごくて、まるで90年後を予言したようで怖くなってしまいました。
    1937年にこの小説が書かれるという事は、著者はもうすでに1937年の段階で戦争は無くならない、と諦めていたのでしょうか。
    亡くなる前の年に出版されている。
    未来に絶望されていたのでしょうか、著者は。
    あまりに悲しい。
    読んでみたい!のですが、今、正月休み用にたっぷり借りた図書館の本を返却期限までに読むのに追われていて。
    読みたいリストに入れておきます!
    著者はこの物語をどう終わらせるのかなぁ…

  2. hacker2024-01-08 09:46

    たしかに、予言にみちあふれた本でした。おそらく、チャペックは、その気になればいくらでも避けられるはずの戦争が避けられないことを予期していたのではないでしょうか。第二次大戦も、ウクライナ侵略も、侵略する側に戦争を避ける気がなければ、避けられないことの証明になっているように思います。

    レビューでは書きませんでしたけど、侵略する気になっている相手に、ミュンヘン会議のように一時的に戦争を回避しても、結局もっと大きな戦争になるという経験をヨーロッパはしているので、現在のウクライナ侵略も安易に妥協はできないのだろうと思います。

    いろんな意味で考えさせられる本です。ぜひ、ご一読ください。書評を楽しみにしています。

  3. No Image

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