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ぽんきち
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神は民を守ってはくれなかった
日ソ戦争の終結後、取り残され、シベリアに抑留された日本人の人々に焦点を当てた著作。
こうした著作として、珍しいのは、著者がアメリカ人であることだろう。著者はカリフォルニア大学バークレー校の歴史学教授である。シベリア抑留に特に個人的な関係や思い入れがあったというわけではなく、その分、一歩引いた、客観的な視点になっている印象を受ける。

原題は"The Gods Left First: The Captivity and Repatriation of Japanese POWs in Northeast Asia, 1945-1956"。
原題に比較して、邦題の方が憤りが強い印象を受ける(少なくともleftには「逃げ帰った」ニュアンスはないだろう)。これは訳者の思いが混じっているのだろうか。訳者はソ連政治史、日ソ関係史、シベリア抑留を専門とする研究者で、著者とは友人関係にある。本書の邦訳が出たのは、訳者の力添えによるところも大きいようである。

タイトルの神々("The Gods")とは、「国体」に連なる官僚や高級将校を指す。
植民地で神のような存在であった彼らは、敗戦となるやさっさと去り、あとには下級の兵士や文民が残された。残された者は、厳しい逃避行、そして場合によって長期の抑留を強いられた。
こうした人々がどういった「精神世界」にあったのか、実際、それを経験した人々の記録から、その世界に迫っていく試みである。

取り上げられているのは画家の香月泰男、評論家の高杉一郎、詩人の石原吉郎である(さらに引揚者として藤原てい(『流れる星は生きている』著者)にも触れている)。
この抑留者3人が選ばれたのは、代表的な知識人であったのに加え、それぞれ抑留期間や帰国時期がずれており、抑留者がどのような経験をしたのかが流れとして見えやすいためである。
香月に代表される第一群(帰還は1947年半ば-1948年半ば)は、食料や労働力が不足して過酷であったが、イデオロギー化されなかった世代である。
高杉の第二群(帰還は1948年終盤-1950年)は、ソ連全体のさまざまな条件が改善され、捕虜の待遇も前よりはよくなった時期である。だが、再教育キャンペーンが始まり、捕虜の間でも思想的対立が高まるという別の意味の緊張があった。
石原の第三群は、「戦犯」に指定され、自由剥奪25年の判決を受けた人々である。憲兵や諜報機関員、外交官やロシア語話者なども含まれた。だがこの群の人々はかなり多様で、一部は権力を持っていたが、多くはさほどの権力もないまま戦犯とされていた。長期の拘留により、祖国から捨てられた思いを抱いていた者もある。

本書では、それぞれの著作からの引用を元に、彼らがどういった抑留生活を送り、どのような思想を深めたかを探っていく。
三者三様であるが、また三者の経験を追うことで、抑留全体の変遷も浮かんでくる。

正直なところ、門外漢には少々難しかったのだが、労作である。
文献リストは訳者により欧文・邦文で分けられて巻末にまとめられており、次の読書につながりやすくなっている。
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ぽんきち
ぽんきち さん本が好き!免許皆伝(書評数:1826 件)

分子生物学・生化学周辺の実務翻訳をしています。

本の大海を漂流中。
日々是好日。どんな本との出会いも素敵だ。

あちらこちらとつまみ食いの読書ですが、点が線に、線が面になっていくといいなと思っています。

「実感」を求めて読書しているように思います。

赤柴♀(もも)は3代目。
この夏、有精卵からヒヨコ4羽を孵化させました。そろそろ大雛かな。♂x2、♀x2。ニワトリは割と人に懐くものらしいですが、今のところ、懐く気配はありませんw

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