紅い芥子粒さん
レビュアー:
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写楽の史実に迫ろうとしたわけではない。稲荷町の名もない役者だった一人の若者に、東洲斎写楽という、うたかたの夢のような名前を与えてみた。そんな物語だ。
1994年に単行本で刊行され、26年経って、ようやく文庫化された。
20年ぐらい前に図書館で借りて読んだことがある。
いつのまにか図書館でもみかけなくなったので、文庫化は、うれしい。
印象に残っているのは、遊芸の女乞食の集団に混じって、片足の不自由な女装の若者が、杖を巧みに操りながら、くるくるとあでやかに舞う姿。
さて、幻の絵師、東洲斎写楽とは……
世は、寛政の改革のまっただ中。
稲荷町(大部屋)で雑居する一人の役者が、舞台の上で、片足の甲を砕いた。
彼は、とんぼを切るのがだれよりも得意だった。
「とんぼがうまい若いの」と、市川團十郎から目をかけられていた。
それを稲荷町のなかまから、ねたまれたのかもしれない。
仕組まれたのか、彼自身の不注意か。
梯子の上で立ち回りをする団十郎の、その梯子の脚が、梯子を支える彼の足の甲を踏んだのだ。
片足の甲の骨を砕かれた彼は、稲荷町を去り、遊芸の女乞食の長屋で養生する。
深手を負った足は、傷ついたまま固まった。
七つのときから中村座で売り子をしていた彼だが、大道の砂絵師だった母の記憶がある。
てすさびに描いた役者の首絵が、たまたま蔦谷重三郎の目に留まった。
蔦谷重三郎は、地本問屋の主人。
戯作者や絵師。多くの若い才能を見出し、寄宿させ養い、育て上げてきた。
それが絵や戯作の肥やしになると思えば、金を出して吉原通いもさせてやった。
喜多川歌麿、山東京伝、滝沢馬琴、十返舎一九……
すでに名を成し人気者になった絵師や戯作者、才能はあるがまだ何者でもない絵師や戯作者の卵たち…… 教科書で名を知っているあの人この人が、蔦谷重三郎のまわりに集まっている。
松平定信の奢侈禁止令で、美人画や戯作さえご法度とされた時代だが、重三郎は、投獄されても負けない。
重三郎は、彼をよびよせ、役者絵を描かせる。
役者の性根まで知り尽くした彼の、誰にもまねできない、毒さえ含んだ役者絵を……
作者は、写楽の史実に迫ろうとしているわけではない。
稲荷町の名もない役者だった一人の若者に、東洲斎写楽という、うたかたの夢のような名を与えてみた。
そんな物語だ。
蔦谷重三郎が重い卒中に倒れ、写楽の名も水に浮かんだ泡のように消えた。
重三郎の葬列とすれ違う、遊芸の女乞食の列に、足の不自由な女姿の若者がひとり。
「お気に召したら 千両 万両」
にぎやかにはやす、はりのある男の声が、本を閉じてからも耳に残った。
20年ぐらい前に図書館で借りて読んだことがある。
いつのまにか図書館でもみかけなくなったので、文庫化は、うれしい。
印象に残っているのは、遊芸の女乞食の集団に混じって、片足の不自由な女装の若者が、杖を巧みに操りながら、くるくるとあでやかに舞う姿。
さて、幻の絵師、東洲斎写楽とは……
世は、寛政の改革のまっただ中。
稲荷町(大部屋)で雑居する一人の役者が、舞台の上で、片足の甲を砕いた。
彼は、とんぼを切るのがだれよりも得意だった。
「とんぼがうまい若いの」と、市川團十郎から目をかけられていた。
それを稲荷町のなかまから、ねたまれたのかもしれない。
仕組まれたのか、彼自身の不注意か。
梯子の上で立ち回りをする団十郎の、その梯子の脚が、梯子を支える彼の足の甲を踏んだのだ。
片足の甲の骨を砕かれた彼は、稲荷町を去り、遊芸の女乞食の長屋で養生する。
深手を負った足は、傷ついたまま固まった。
七つのときから中村座で売り子をしていた彼だが、大道の砂絵師だった母の記憶がある。
てすさびに描いた役者の首絵が、たまたま蔦谷重三郎の目に留まった。
蔦谷重三郎は、地本問屋の主人。
戯作者や絵師。多くの若い才能を見出し、寄宿させ養い、育て上げてきた。
それが絵や戯作の肥やしになると思えば、金を出して吉原通いもさせてやった。
喜多川歌麿、山東京伝、滝沢馬琴、十返舎一九……
すでに名を成し人気者になった絵師や戯作者、才能はあるがまだ何者でもない絵師や戯作者の卵たち…… 教科書で名を知っているあの人この人が、蔦谷重三郎のまわりに集まっている。
松平定信の奢侈禁止令で、美人画や戯作さえご法度とされた時代だが、重三郎は、投獄されても負けない。
重三郎は、彼をよびよせ、役者絵を描かせる。
役者の性根まで知り尽くした彼の、誰にもまねできない、毒さえ含んだ役者絵を……
作者は、写楽の史実に迫ろうとしているわけではない。
稲荷町の名もない役者だった一人の若者に、東洲斎写楽という、うたかたの夢のような名を与えてみた。
そんな物語だ。
蔦谷重三郎が重い卒中に倒れ、写楽の名も水に浮かんだ泡のように消えた。
重三郎の葬列とすれ違う、遊芸の女乞食の列に、足の不自由な女姿の若者がひとり。
「お気に召したら 千両 万両」
にぎやかにはやす、はりのある男の声が、本を閉じてからも耳に残った。
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読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。
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- 出版社:KADOKAWA
- ページ数:0
- ISBN:9784041096963
- 発売日:2020年07月16日
- 価格:924円
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