darklyさん
レビュアー:
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小説を貫く利他精神。それはチャップリンが好きだった日本人のおもてなしの精神に通ずるものがあります。
一流の喜劇役者であったカルヴェロはすっかり落ちぶれ酒浸りであった。ある日、彼がアパートに帰ると下の階のテレーザ(テリー)という名前の若く美しい女性がガス自殺を図っていた。彼女を助けたカルヴェロは成り行きから一緒に住むことになる。彼女はバレエダンサーであったが学費を払うために姉が体を売っていたことを知り神経を病み脚が動かなくなり世をはかなんで自殺しようとしていたのだ。
生きることの素晴らしさ、命の尊さを教え彼女を励ますカルヴェロ、しかし彼も仕事がなく家賃を払うにも窮する状態であった。再起をかけてプライドを捨てて挑んだ公演も失敗し自暴自棄となったカルヴェロを今度はテリーが励ます日々。テリーは心身ともに健康を取り戻しバレエダンサーとしての評価を確実なものとしていく。
テリーはカルヴェロに愛を告白しプロポーズするがカルヴェロは受け入れない。もちろん彼女を愛してはいたがテリーが本当に愛しているのは作曲家のネヴィルであることに気付いていたからだ。テリーが文具店で働いていたころ無名で貧乏なネヴィルがなけなしの金をはたいて五線譜を買いに来ていた。その彼をテリーは見守っていたのだ。
そしてテリーの尽力もありカルヴェロのキャリアの集大成とも言える義援公演の開催が決定する。カルヴェロは体調を整え意地とプライドをかけて公演に望むが。
ライムライトはアメリカ時代のチャップリン最後の映画であり、素顔のチャップリンが初めて登場した作品です。映画と共に主題歌「エターナリー」の美しくはかないメロディーが強く印象に残ります。
小説は「フットライト(小説ライムライト)」とそのサイドストーリーである「カルヴェロの物語」からなります。当然ですがチャップリン自身が執筆したことから映画もほぼ小説通りです。ストーリーからしてチャップリン自身がキャリアの峠を越えてから書かれたような印象を持ちますが実際はかなり若い時期に書かれたものです。チャップリンは完璧主義者であったといいます。それは裏返せば若い頃から常に自分に対する評価の変化を恐れていた繊細な心の持ち主であったのではないかと思われます。
この小説を貫くものは利他精神です。カルヴェロとテリーはお互いが入れ替わりながら相手を励まし、時には叱責し、相手の成功を自分の成功として喜びます。テリーはカルヴェロへ愛の告白をしますが、それはテリー自身が自覚していない利他精神の表れ(つまり男性としては本当には愛していない)だろうと思います。逆に本当にテリーを愛していたにも関わらず年の差やテリーの本当の心を見抜き受け入れないカルヴェロの態度も利他精神の表れと考えられます。
また映画ではチャップリンのライバルであったバスター・キートンも出演します。映画終盤のチャップリンのバイオリンとキートンのピアノによるセリフなしの掛け合いはそれだけでも見る価値があるものだと思いますが一説によるとキートンが経済的に困窮しているということからチャップリンが出演のオファーをしたと言われています。これもチャップリン自身の利他精神の表れなのかもしれません。
映画ではなかなか読み取ることができない心の動きや端折られているエピソードが小説では当然丁寧に描かれているため小説を読んだ後の再度映画を観るとより深く作品を理解できると思います。
生きることの素晴らしさ、命の尊さを教え彼女を励ますカルヴェロ、しかし彼も仕事がなく家賃を払うにも窮する状態であった。再起をかけてプライドを捨てて挑んだ公演も失敗し自暴自棄となったカルヴェロを今度はテリーが励ます日々。テリーは心身ともに健康を取り戻しバレエダンサーとしての評価を確実なものとしていく。
テリーはカルヴェロに愛を告白しプロポーズするがカルヴェロは受け入れない。もちろん彼女を愛してはいたがテリーが本当に愛しているのは作曲家のネヴィルであることに気付いていたからだ。テリーが文具店で働いていたころ無名で貧乏なネヴィルがなけなしの金をはたいて五線譜を買いに来ていた。その彼をテリーは見守っていたのだ。
そしてテリーの尽力もありカルヴェロのキャリアの集大成とも言える義援公演の開催が決定する。カルヴェロは体調を整え意地とプライドをかけて公演に望むが。
ライムライトはアメリカ時代のチャップリン最後の映画であり、素顔のチャップリンが初めて登場した作品です。映画と共に主題歌「エターナリー」の美しくはかないメロディーが強く印象に残ります。
小説は「フットライト(小説ライムライト)」とそのサイドストーリーである「カルヴェロの物語」からなります。当然ですがチャップリン自身が執筆したことから映画もほぼ小説通りです。ストーリーからしてチャップリン自身がキャリアの峠を越えてから書かれたような印象を持ちますが実際はかなり若い時期に書かれたものです。チャップリンは完璧主義者であったといいます。それは裏返せば若い頃から常に自分に対する評価の変化を恐れていた繊細な心の持ち主であったのではないかと思われます。
この小説を貫くものは利他精神です。カルヴェロとテリーはお互いが入れ替わりながら相手を励まし、時には叱責し、相手の成功を自分の成功として喜びます。テリーはカルヴェロへ愛の告白をしますが、それはテリー自身が自覚していない利他精神の表れ(つまり男性としては本当には愛していない)だろうと思います。逆に本当にテリーを愛していたにも関わらず年の差やテリーの本当の心を見抜き受け入れないカルヴェロの態度も利他精神の表れと考えられます。
また映画ではチャップリンのライバルであったバスター・キートンも出演します。映画終盤のチャップリンのバイオリンとキートンのピアノによるセリフなしの掛け合いはそれだけでも見る価値があるものだと思いますが一説によるとキートンが経済的に困窮しているということからチャップリンが出演のオファーをしたと言われています。これもチャップリン自身の利他精神の表れなのかもしれません。
映画ではなかなか読み取ることができない心の動きや端折られているエピソードが小説では当然丁寧に描かれているため小説を読んだ後の再度映画を観るとより深く作品を理解できると思います。
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昔からずっと本は読み続けてます。フィクション・ノンフィクション問わず、あまりこだわりなく読んでます。フィクションはSF・ホラー・ファンタジーが比較的多いです。あと科学・数学・思想的な本を好みます。
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- 出版社:集英社
- ページ数:0
- ISBN:9784087710359
- 発売日:2017年01月26日
- 価格:3850円
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