かもめ通信さん
レビュアー:
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“君の肌、君の微笑み、それが故郷”。「私はまた、ここに立ち返ってきたよ」と、新刊『時間』の発売をきっかけに二十数年ぶりに再会した本に挨拶をする。
昔読んだ本の一節を、ふとした拍子に思い出す事がある。
二十年以上前に読んだこの本の場合、よく思い浮かべるのはこんなシーン。
大抵は庭仕事をしていて、移植に適さない植物の処遇に悩んでいる時だったりする。
もちろんパニ・ヴィテズチャークが言及したのは、庭の植物のことではなく、ユダヤ人排斥世論の再燃を受けて、カナダに移住しようとしている両親に連れられ、生まれ故郷のポーランドを去ろうとしている教え子エヴァのことだった。
この本は、1945年、ポーランドのクラクフでユダヤ人の両親のもとに生まれたエヴァ・ホフマンの自伝だ。
両親と幼い妹と共に13歳でカナダに移住したエヴァは、アメリカのライス大学で英文学を学んだ後、ハーバード大学大学院で博士号を取得。
1979年から1990年まで『ニューヨーク・タイムズ』の編集者として活躍し、1989年に出版した本書“Lost in Translation: A Life in a New Language”で高い評価を得て作家活動に入った。
あるいはもしかすると、“Lost in Translation: A Life in a New Language”という原題がなぜ、『アメリカに生きる私』という邦題になるのかと、首をかしげる読者もいるかもしれない。
この本には「解説」や「訳者のあとがき」がないので、「なぜ」の部分ははっきりしないが、おそらく“Lost in Translation: A Life in a New Language”をそのまま日本語に置き換えても、言葉の持つニュアンスを言い表すことは出来なかっただろうという気はする。
ある日教室で聞きたがり屋の誰かが質問する。
「ポーランドってロシアの一部なんですか?」
その時、彼女はさとるのだ。
「私がそう興奮することはないのだ。」だと。
ヴァンクーヴァーの教室で地図を眺めるティーンエイジャー達を前に「ポーランドは幽霊の住む灰色の切れ端ではなく、世界の中心だなどと説得はするまい。」と。
地球の他の場所をポーランドのクラクフからの距離で測っていた自分に気づき、自分こそ、二重の視点を持って生きる術を学ばねばならないのだと。
「楽園」「失楽園」「新世界」と章分けされた中にぎっしりと詰め込まれているのは、思い出や郷愁だけでない。
自由とは、言葉とは、民族性とは、文化とは……「アイデンティティの確立」といった言葉だけでは、表現しきれない、他に頼らず自分自身の目で世界を見つめ、他ならぬ自分自身を言語化しようと試みた著作は、二十数年ぶりの再読にもかかわらず、全く色あせていなかった。
二十年以上前に読んだこの本の場合、よく思い浮かべるのはこんなシーン。
「あなたはミモザの花みたいに繊細なのね」パニ・ヴィテズチャークは、優しい知的な目を私に注ぎながら言った。「繊細な植物は植え替えがむずかしいわ。しばらくあなたは地面から引き抜かれた植物のように感じるでしょう。自分を守る方法を学ばないといけないわ」(p103)
大抵は庭仕事をしていて、移植に適さない植物の処遇に悩んでいる時だったりする。
もちろんパニ・ヴィテズチャークが言及したのは、庭の植物のことではなく、ユダヤ人排斥世論の再燃を受けて、カナダに移住しようとしている両親に連れられ、生まれ故郷のポーランドを去ろうとしている教え子エヴァのことだった。
この本は、1945年、ポーランドのクラクフでユダヤ人の両親のもとに生まれたエヴァ・ホフマンの自伝だ。
両親と幼い妹と共に13歳でカナダに移住したエヴァは、アメリカのライス大学で英文学を学んだ後、ハーバード大学大学院で博士号を取得。
1979年から1990年まで『ニューヨーク・タイムズ』の編集者として活躍し、1989年に出版した本書“Lost in Translation: A Life in a New Language”で高い評価を得て作家活動に入った。
あるいはもしかすると、“Lost in Translation: A Life in a New Language”という原題がなぜ、『アメリカに生きる私』という邦題になるのかと、首をかしげる読者もいるかもしれない。
この本には「解説」や「訳者のあとがき」がないので、「なぜ」の部分ははっきりしないが、おそらく“Lost in Translation: A Life in a New Language”をそのまま日本語に置き換えても、言葉の持つニュアンスを言い表すことは出来なかっただろうという気はする。
ある日教室で聞きたがり屋の誰かが質問する。
「ポーランドってロシアの一部なんですか?」
その時、彼女はさとるのだ。
「私がそう興奮することはないのだ。」だと。
ヴァンクーヴァーの教室で地図を眺めるティーンエイジャー達を前に「ポーランドは幽霊の住む灰色の切れ端ではなく、世界の中心だなどと説得はするまい。」と。
地球の他の場所をポーランドのクラクフからの距離で測っていた自分に気づき、自分こそ、二重の視点を持って生きる術を学ばねばならないのだと。
「楽園」「失楽園」「新世界」と章分けされた中にぎっしりと詰め込まれているのは、思い出や郷愁だけでない。
自由とは、言葉とは、民族性とは、文化とは……「アイデンティティの確立」といった言葉だけでは、表現しきれない、他に頼らず自分自身の目で世界を見つめ、他ならぬ自分自身を言語化しようと試みた著作は、二十数年ぶりの再読にもかかわらず、全く色あせていなかった。
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本も食べ物も後味の悪くないものが好きです。気に入ると何度でも同じ本を読みますが、読まず嫌いも多いかも。2020.10.1からサイト献本書評以外は原則★なし(超絶お気に入り本のみ5つ★を表示)で投稿しています。
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- 出版社:新宿書房
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- ISBN:9784880081618
- 発売日:1992年01月01日
- 価格:761円
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