紅い芥子粒さん
レビュアー:
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隔離の島での四十日。それは、濃密で美しい恋の物語だった。
作者のル・クレジオは、1940年にフランスのニースで生まれた。
18世紀末にフランスからインド洋西部モーリシャス島に移住し数世代重ねた移民の家系。
2008年にノーベル文学賞を受賞した作家である。
サーガというのだろうか、先祖の歴史から素材をとった三部作の二作目に「隔離の島」は位置する。
1980年の夏、レオン・アルシャンボーⅡ(作者の分身)は、父祖の地モーリシャスを訪ねる旅に出る。
彼は、医学博士でありながら医業には従事していない。
道に踏み迷っているらしく、離婚し、放浪の日々。
モーリシャスへの旅は、自分探しの旅の終着駅のようなものだろう。
彼には憧れの人物が二人いる。
放蕩無頼の詩人アルチュール・ランボーと、大叔父のレオン・アルシャンボーⅠ。
大叔父(祖父の弟)のレオンⅠは、モーリシャス島の支配階級アルシャンボー家の一員としての身分を捨て、恋人と失踪した人物。
レオンⅡのモーリシャス島への旅は、一族から消えてしまったレオンⅠの痕跡を探す旅でもあった。
レオンⅡが幼いころに、祖母のシュザンヌから、繰り返し聞いていた、およそ40日にわたる隔離の島での物語。それは、当時19歳だったレオンⅠの恋と失踪の物語でもあった。
1891年5月。レオンⅠと兄夫婦は、パリからモーリシャス島に帰省しようとしていた。
ところが、船に天然痘の患者が出たため、プラト島に上陸させられ、四十日間の隔離生活を余儀なくされる。
レオンⅠは、そこで島の娘シュルヤと出会い、恋に落ちる。
難しい小説である。
物語が、何重にも何層にもなっているので、ぼーっと読んでいると、本の中で迷子になってしまう。
語り手は途中でレオンⅡからレオンⅠに入れ替わる。
レオンⅠが語っているところは、1891年のプラト島での話と思って読んでいると、思わぬところで、さらに半世紀以上も前の、恋人シュルヤの母親の物語が挿入される。
植物学者の観察記録が、意味ありげに添えらていることもある。
移民や差別、植民地支配や戦争の歴史。セポイの反乱。
重いテーマがいくつも詰め込まれている。
島と海の美しい自然の描写が、その重苦しさを救ってくれる。
難解さに苦しみながら読んでいても、こんなに美しい自然の島に行ってみたいと思う。
しかし、美しい自然は、人間に優しくはない。
さまざまな感染症の病原菌やウィルスの温床でもある。
天然痘だけではなく、隔離の島の人々は、マラリアやコレラにも苦しめられ、命を落としていく。
主人公たちもマラリアや天然痘に苦しめられるが、それを救ってくれたのは、医者の薬ではなく、シャーマンのように薬草を扱う島の娘シュルヤだった。
天然痘で死んだ植物学者は、いみじくもノートに書き残していた。
「人間を救うのは植物だ」、と。
シュルヤの身分は賤民。隔離が解けてモーリシャス島にわたる日が来れば、レオンⅠは、恋人かアルシャンボー家の一員としての身分か、どちらかを選ばなければならない。
レオンⅠの大叔父の失踪は、その選択の結果だったのだ。
かくして、レオンⅠは、アルシャンボー家から永遠に姿を消した。
隔離の島での四十日。それは、濃密で美しい恋の物語だった。
小説は、まだ終わらない。
最終章では、レオンⅡの語りにもどり、アルシャンボー家の生き残りの女性アンナを訪ねる。
長い苦しい旅をしているような読書だった。
この難解さや、詰め込まれたテーマの重さは、嫌いじゃない。
読み応えがあり、その世界観には魅了された。
昨年の六月に、同じ作者の「海を見たことがなかった少年」という本を読んだ。少年少女を主人公にした短編集だった。
その時のレヴューを読み返してみると、わからないわからないと書いているので、可笑しくなった。
わからなくても、なぜか魅了されているのも今回と同じだった。
18世紀末にフランスからインド洋西部モーリシャス島に移住し数世代重ねた移民の家系。
2008年にノーベル文学賞を受賞した作家である。
サーガというのだろうか、先祖の歴史から素材をとった三部作の二作目に「隔離の島」は位置する。
1980年の夏、レオン・アルシャンボーⅡ(作者の分身)は、父祖の地モーリシャスを訪ねる旅に出る。
彼は、医学博士でありながら医業には従事していない。
道に踏み迷っているらしく、離婚し、放浪の日々。
モーリシャスへの旅は、自分探しの旅の終着駅のようなものだろう。
彼には憧れの人物が二人いる。
放蕩無頼の詩人アルチュール・ランボーと、大叔父のレオン・アルシャンボーⅠ。
大叔父(祖父の弟)のレオンⅠは、モーリシャス島の支配階級アルシャンボー家の一員としての身分を捨て、恋人と失踪した人物。
レオンⅡのモーリシャス島への旅は、一族から消えてしまったレオンⅠの痕跡を探す旅でもあった。
レオンⅡが幼いころに、祖母のシュザンヌから、繰り返し聞いていた、およそ40日にわたる隔離の島での物語。それは、当時19歳だったレオンⅠの恋と失踪の物語でもあった。
1891年5月。レオンⅠと兄夫婦は、パリからモーリシャス島に帰省しようとしていた。
ところが、船に天然痘の患者が出たため、プラト島に上陸させられ、四十日間の隔離生活を余儀なくされる。
レオンⅠは、そこで島の娘シュルヤと出会い、恋に落ちる。
難しい小説である。
物語が、何重にも何層にもなっているので、ぼーっと読んでいると、本の中で迷子になってしまう。
語り手は途中でレオンⅡからレオンⅠに入れ替わる。
レオンⅠが語っているところは、1891年のプラト島での話と思って読んでいると、思わぬところで、さらに半世紀以上も前の、恋人シュルヤの母親の物語が挿入される。
植物学者の観察記録が、意味ありげに添えらていることもある。
移民や差別、植民地支配や戦争の歴史。セポイの反乱。
重いテーマがいくつも詰め込まれている。
島と海の美しい自然の描写が、その重苦しさを救ってくれる。
難解さに苦しみながら読んでいても、こんなに美しい自然の島に行ってみたいと思う。
しかし、美しい自然は、人間に優しくはない。
さまざまな感染症の病原菌やウィルスの温床でもある。
天然痘だけではなく、隔離の島の人々は、マラリアやコレラにも苦しめられ、命を落としていく。
主人公たちもマラリアや天然痘に苦しめられるが、それを救ってくれたのは、医者の薬ではなく、シャーマンのように薬草を扱う島の娘シュルヤだった。
天然痘で死んだ植物学者は、いみじくもノートに書き残していた。
「人間を救うのは植物だ」、と。
シュルヤの身分は賤民。隔離が解けてモーリシャス島にわたる日が来れば、レオンⅠは、恋人かアルシャンボー家の一員としての身分か、どちらかを選ばなければならない。
レオンⅠの大叔父の失踪は、その選択の結果だったのだ。
かくして、レオンⅠは、アルシャンボー家から永遠に姿を消した。
隔離の島での四十日。それは、濃密で美しい恋の物語だった。
小説は、まだ終わらない。
最終章では、レオンⅡの語りにもどり、アルシャンボー家の生き残りの女性アンナを訪ねる。
長い苦しい旅をしているような読書だった。
この難解さや、詰め込まれたテーマの重さは、嫌いじゃない。
読み応えがあり、その世界観には魅了された。
昨年の六月に、同じ作者の「海を見たことがなかった少年」という本を読んだ。少年少女を主人公にした短編集だった。
その時のレヴューを読み返してみると、わからないわからないと書いているので、可笑しくなった。
わからなくても、なぜか魅了されているのも今回と同じだった。
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読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。
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- 出版社:筑摩書房
- ページ数:0
- ISBN:9784480436818
- 発売日:2020年06月11日
- 価格:1650円
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