三太郎さん
レビュアー:
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一般相対性理論と量子力学を統一するループ量子重力理論の啓蒙書ですが、西洋の科学の歴史を古代ギリシャのデモクリトス派の「原子論」とプラトン=アリストテレス流の「イデア論」の合流の歴史と捉えたのが面白い。
著者は量子重力理論の研究者だという。量子重力理論というのはアインシュタインの見出した一般相対性理論(重力理論)とニールス・ボーアが提唱した量子力学をドッキングでさせて、いまだ古典力学の範疇に留まっている重力理論を量子化することを目指しているらしい。そしてこの理論が上手くいくとアインシュタインの4次元の時空は消えてなくなる。つまり時間が消えてしまうという。これは別の本でも読んだことがあった。
むしろこの本が面白かったのは、古代ギリシャの哲学者であるデモクリトスの提唱した原子論(世界はこれ以上分割不可能な微細な粒子-原子-からできているという論)と、プラトン学派が提唱した数学により世界は記述されうるというプラトン主義とが現代において合体して、量子重力理論がうまれるという風に説明している点だろう。
自然に対する観察を第一にするデモクリトス学派(僕の大好きなエピクロスは彼の孫弟子だった)と、プラトン=アリストテレス流のイデアにより世界を説明するやり方とが、近代以降の西欧ではともに科学の発展に大きな役割を果たしたということが、第一章と第二章に示されている。
この両方が科学の誕生には不可欠だったと思えるのは、古代ローマでキリスト教が正教とされてから、神の存在を否定したデモクリトスの著作は一旦は完全に抹殺されてしまい、少数の彼の弟子や理解者の書作により暗黒の中世を生き延び、ルネッサンスによってデモクリトスが再発見されてから、やっとガリレオやケプラーやニュートンが現れてきたことからも明らかだろう。アリストテレス万能の中世には科学の進歩は全くなかった。
<日本人が自らの力で科学を作れなかったのは、デモクリトスのように八百万の神のいない世界を想像することができなかったからなのかな。>
なお、デモクリトスの考えた原子が実在することは20世紀の初めになってアインシュタインのランダムウォークの理論によりやっと証明された。
ニュートンの力学は、ざっくり言えば、限りなく小さな粒子(質点)が無限に広い空間に浮かんでいて、ニュートンの力学に従って運動する世界である。しかし、謎がひとつあった。2点間に重力が働く場合、ニュートン力学ではその力は空間を隔てて何物をも媒体とせずに直接2点間に作用する。それは本当だろうか?
力を媒介するものを見つけた人たちがいた。ファラデーとマクスウェルが見つけた「電場」と「磁場」から始まった「場の理論」は、アインシュタインの重力理論やファインマンの量子電磁気学でも活躍する。この場の理論が量子重力理論につながっていく。
第三章ではアインシュタインの一般相対性理論(重力場の理論)が、第四章では量子力学の誕生が語られるが、他の本で知っている方はざっと読み飛ばして第3部へ進もう。
第5章からが本題の量子重力理論の話だ。一般相対性理論では時空間は重力によって歪んでいる。量子力学においては重力の影響はクーロン力に比べて小さすぎて無視されている。しかし、ブラックホールの内部を考えようとすると、量子力学でも重力は無視できなくなる。量子力学に一般相対性理論を組み込む必要がある。
ここからの話が長い。量子重力理論の構築に関わった多くの物理学者の名前が挙がってくるが、僕には聞き覚えのない名前ばかりだ。例えば、クリス・アイシャムとかジョン・ホイーラーとか。専門家でない物理好きの読者にとって量子重力理論があまり注目される分野ではないからかもしれない。それにまだ五里霧中で何が正解か分からないし。
プランク長さという量が見つかった。量子力学のプランク定数と光の速さとニュートンの重力定数からできた量で、とてつもなく短い長さを示しているが、この長さまで時空間が小さくなると量子力学の不確定性原理によって時間も空間もこれまでの理論では表すことができなくなるという。
1980年代の終わり頃にループ理論が現れて問題解決に前進が見られた。
第6章は空間の量子化について述べられている。ループ理論によれば我々の空間は離散的なループ(輪っか)の連なりでできた、蜘蛛の巣のようなものらしい。この蜘蛛の巣の糸が交わる節が空間の体積を表し、ループの節を結ぶ「リンク」は空間の「面積」を示している。計算によると「面積」の大きさは離散的(とびとびの値)だと解った。つまり空間は量子化されている。空間が量子化されているとしたら、時間はどうなるのだろうか。
第7章は「時間」についてである。ループ理論では時間は存在しない。そもそも理論のなかに時間に関係する変数が含まれていないからだ。だとしたら時間はどこで生まれたのだろうか。著者によれば、時間という変数は観察により得られたものではなく、概念的なものだという。
<でも、ちょっと待てくださいよ。時間は物理的にきちんと定義できるはずでは。現在、時間は原子時計により定義されているはず。この辺りからちょっと強引な議論が始まる。>
読み進んでいくと、プランク長さのレベルまで微細化すると時間や空間という概念は消えて、量子場だけが存在するということらしい。プランク長さより大きなレベルでは、量子場は見えず空間と時間が見えてくるということか。「時間は存在しない」というキャッチフレーズは誇大広告みたいだ。
第9章はビッグバンについて。宇宙の始まりがビッグバンで、初めの状態では宇宙はプランク長さより小さいので、時間も空間もまだない状態だったという。ここで著者はビッグバンの前にはもう一つ別の宇宙があったはずだという。
<話としては面白いが、どうやってビッグバンより前の宇宙について知ることができるのだろうか?>
ループ理論のライバルである超ひも理論については、加速器の実験で超対称性粒子が未だに見つからないことから、ループ理論に分があると主張している。逆に見ればループ理論にはその妥当性を議論できるような裏付けがまだないらしい。ビッグバンの直後に放出された光の生き残り(宇宙背景輻射)の揺らぎが精密に計測されており、これからループ理論の妥当性が検証されるのではと期待されているとのこと。
第10章はブラックホールについて。ループ理論を用いれば、ホーキングが発見したブラックホールの「蒸発」が説明できるという。ループ理論からはブラックホールの「爆発」も予想できるという。
第11章は「無限」の終わりについて。ループ理論を使えば一般相対性理論の特異点や量子力学の無限大への発散の問題が回避されるという。自然界に無限は存在しなくなる。
第12章ではそもそも時間を変数に含まないループ理論からなぜ時間が生まれるのかを説明している。時間は熱力学に関係しているという。熱力学のエントロピー(情報量)は常に増大し、自然には減少しない。時間も常に未来へ向かって進み過去には進まない。両者はよく似ている。しかしどうやって熱力学を量子重力理論に組み込むのかはまだ分かっていない。
最終章は「科学」とは何か、について。科学とは「真理」を提示するのではなく「不確かだがいま最良の答え」を得るためのものだという。自分は既に真理を知っているという人は科学の反対側にいる人だ。だから宗教は科学とは相いれない。
最後に感想をひとこと。著者の本は日本では「時間は存在しない」というキャッチコピーで有名になっているが、原書はもっと詩的なタイトルで、日本語のタイトルの付け方に疑問を感じる。ところで、量子力学と重力理論を融合させる統一理論としては日本では「超ひも理論」の方が有名だった。超ひも理論では日本人研究者も活躍している。ループ理論については知らなかった。それにしてもどちらの理論もいまだに実験的な裏付けが見つかっていないらしい。素粒子よりも小さなサイズを対象にして「空間」そのものの正体を見つけようという試みだから、デモクリトスが知ったら何と言うだろうか。訊いてみたい気もする。
むしろこの本が面白かったのは、古代ギリシャの哲学者であるデモクリトスの提唱した原子論(世界はこれ以上分割不可能な微細な粒子-原子-からできているという論)と、プラトン学派が提唱した数学により世界は記述されうるというプラトン主義とが現代において合体して、量子重力理論がうまれるという風に説明している点だろう。
自然に対する観察を第一にするデモクリトス学派(僕の大好きなエピクロスは彼の孫弟子だった)と、プラトン=アリストテレス流のイデアにより世界を説明するやり方とが、近代以降の西欧ではともに科学の発展に大きな役割を果たしたということが、第一章と第二章に示されている。
この両方が科学の誕生には不可欠だったと思えるのは、古代ローマでキリスト教が正教とされてから、神の存在を否定したデモクリトスの著作は一旦は完全に抹殺されてしまい、少数の彼の弟子や理解者の書作により暗黒の中世を生き延び、ルネッサンスによってデモクリトスが再発見されてから、やっとガリレオやケプラーやニュートンが現れてきたことからも明らかだろう。アリストテレス万能の中世には科学の進歩は全くなかった。
<日本人が自らの力で科学を作れなかったのは、デモクリトスのように八百万の神のいない世界を想像することができなかったからなのかな。>
なお、デモクリトスの考えた原子が実在することは20世紀の初めになってアインシュタインのランダムウォークの理論によりやっと証明された。
ニュートンの力学は、ざっくり言えば、限りなく小さな粒子(質点)が無限に広い空間に浮かんでいて、ニュートンの力学に従って運動する世界である。しかし、謎がひとつあった。2点間に重力が働く場合、ニュートン力学ではその力は空間を隔てて何物をも媒体とせずに直接2点間に作用する。それは本当だろうか?
力を媒介するものを見つけた人たちがいた。ファラデーとマクスウェルが見つけた「電場」と「磁場」から始まった「場の理論」は、アインシュタインの重力理論やファインマンの量子電磁気学でも活躍する。この場の理論が量子重力理論につながっていく。
第三章ではアインシュタインの一般相対性理論(重力場の理論)が、第四章では量子力学の誕生が語られるが、他の本で知っている方はざっと読み飛ばして第3部へ進もう。
第5章からが本題の量子重力理論の話だ。一般相対性理論では時空間は重力によって歪んでいる。量子力学においては重力の影響はクーロン力に比べて小さすぎて無視されている。しかし、ブラックホールの内部を考えようとすると、量子力学でも重力は無視できなくなる。量子力学に一般相対性理論を組み込む必要がある。
ここからの話が長い。量子重力理論の構築に関わった多くの物理学者の名前が挙がってくるが、僕には聞き覚えのない名前ばかりだ。例えば、クリス・アイシャムとかジョン・ホイーラーとか。専門家でない物理好きの読者にとって量子重力理論があまり注目される分野ではないからかもしれない。それにまだ五里霧中で何が正解か分からないし。
プランク長さという量が見つかった。量子力学のプランク定数と光の速さとニュートンの重力定数からできた量で、とてつもなく短い長さを示しているが、この長さまで時空間が小さくなると量子力学の不確定性原理によって時間も空間もこれまでの理論では表すことができなくなるという。
1980年代の終わり頃にループ理論が現れて問題解決に前進が見られた。
第6章は空間の量子化について述べられている。ループ理論によれば我々の空間は離散的なループ(輪っか)の連なりでできた、蜘蛛の巣のようなものらしい。この蜘蛛の巣の糸が交わる節が空間の体積を表し、ループの節を結ぶ「リンク」は空間の「面積」を示している。計算によると「面積」の大きさは離散的(とびとびの値)だと解った。つまり空間は量子化されている。空間が量子化されているとしたら、時間はどうなるのだろうか。
第7章は「時間」についてである。ループ理論では時間は存在しない。そもそも理論のなかに時間に関係する変数が含まれていないからだ。だとしたら時間はどこで生まれたのだろうか。著者によれば、時間という変数は観察により得られたものではなく、概念的なものだという。
<でも、ちょっと待てくださいよ。時間は物理的にきちんと定義できるはずでは。現在、時間は原子時計により定義されているはず。この辺りからちょっと強引な議論が始まる。>
読み進んでいくと、プランク長さのレベルまで微細化すると時間や空間という概念は消えて、量子場だけが存在するということらしい。プランク長さより大きなレベルでは、量子場は見えず空間と時間が見えてくるということか。「時間は存在しない」というキャッチフレーズは誇大広告みたいだ。
第9章はビッグバンについて。宇宙の始まりがビッグバンで、初めの状態では宇宙はプランク長さより小さいので、時間も空間もまだない状態だったという。ここで著者はビッグバンの前にはもう一つ別の宇宙があったはずだという。
<話としては面白いが、どうやってビッグバンより前の宇宙について知ることができるのだろうか?>
ループ理論のライバルである超ひも理論については、加速器の実験で超対称性粒子が未だに見つからないことから、ループ理論に分があると主張している。逆に見ればループ理論にはその妥当性を議論できるような裏付けがまだないらしい。ビッグバンの直後に放出された光の生き残り(宇宙背景輻射)の揺らぎが精密に計測されており、これからループ理論の妥当性が検証されるのではと期待されているとのこと。
第10章はブラックホールについて。ループ理論を用いれば、ホーキングが発見したブラックホールの「蒸発」が説明できるという。ループ理論からはブラックホールの「爆発」も予想できるという。
第11章は「無限」の終わりについて。ループ理論を使えば一般相対性理論の特異点や量子力学の無限大への発散の問題が回避されるという。自然界に無限は存在しなくなる。
第12章ではそもそも時間を変数に含まないループ理論からなぜ時間が生まれるのかを説明している。時間は熱力学に関係しているという。熱力学のエントロピー(情報量)は常に増大し、自然には減少しない。時間も常に未来へ向かって進み過去には進まない。両者はよく似ている。しかしどうやって熱力学を量子重力理論に組み込むのかはまだ分かっていない。
最終章は「科学」とは何か、について。科学とは「真理」を提示するのではなく「不確かだがいま最良の答え」を得るためのものだという。自分は既に真理を知っているという人は科学の反対側にいる人だ。だから宗教は科学とは相いれない。
最後に感想をひとこと。著者の本は日本では「時間は存在しない」というキャッチコピーで有名になっているが、原書はもっと詩的なタイトルで、日本語のタイトルの付け方に疑問を感じる。ところで、量子力学と重力理論を融合させる統一理論としては日本では「超ひも理論」の方が有名だった。超ひも理論では日本人研究者も活躍している。ループ理論については知らなかった。それにしてもどちらの理論もいまだに実験的な裏付けが見つかっていないらしい。素粒子よりも小さなサイズを対象にして「空間」そのものの正体を見つけようという試みだから、デモクリトスが知ったら何と言うだろうか。訊いてみたい気もする。
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1957年、仙台に生まれ、結婚後10年間世田谷に住み、その後20余年横浜に住み、現在は仙台在住。本を読んで、思ったことあれこれを書いていきます。
長年、化学メーカーの研究者でした。2019年から滋賀県で大学の教員になりましたが、2023年3月に退職し、10月からは故郷の仙台に戻りました。プロフィールの写真は還暦前に米国ピッツバーグの岡の上で撮ったものです。
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