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たけぞう
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村岡花子訳の世界は、世代を超えて愛される品のよさがあるのです。
「アンのゆりかご」で、どうしても花子さんの翻訳が読みたくなりました。
わが家の書棚に、この一冊があって感謝です。

赤毛のアンは著作権が切れているので、いろいろな人の翻訳があります。
花子さんの翻訳は、抄訳と言われる場合があるそうですが、
そんな言いかたをしなくてもと思いますね。
大量にカットしたわけでもあるまいし、まして花子さんの翻訳が
とても魅力的だったからこそ、こうして名作として読み継がれているのですから。

完訳をうたう作品もあり、それはそれで価値があると思うのですが、
そもそも比べること自体が変なのです。
完訳した翻訳者だって、花子さんの訳にのめり込み、
深く知りたくなったからこその仕事でしょうし。
敬意を持っているはずなんですよね。
つまり花子さんの功績がかすむことはないと思うのです。

今回、書評を書く前に調べたら、あれこれと意見されていることが
検索でヒットして情けない気持ちになりました。
違いを楽しめばいいのにと思うのですがね。

まあ、それはさておき、花子さん訳の赤毛のアンを読んで
掛け値なしに面白いと思いました。
こんな魅力的な作品を読んでいなかったなんて、もったいなかったです。
花子さん版の赤毛のアンを未読の方に、読むことをお勧めします。
すでに他の訳で読んでいる人は、もっと世界が広がるでしょうし、
初読の人はぜひという気持ちです。

赤毛のアンが出版になったのは1908年です。
いまから100年も前という、びっくりするくらい昔の作品です。
村岡花子さんは、子どもの頃に東京のカナダ人系の学校である
東洋英和女学院で寄宿生活を送り、カナダ人宣教師たちとの交流があります。
卒業後、花子さんはラジオの仕事をこなしつつ、翻訳に携わり、
女性小説家たちとの交流を重ねて文学者・編集者の道を歩みます。

第二次世界大戦直前に、帰国するカナダ人宣教師の一人から
託されたのがアン・オブ・グリンゲイブルズ。
花子さんの活躍を知っているからこそのお願いでした。

カナダでは出版されてから年数も経っており、不朽の名作として
多くの人が親しんでいる作品です。
しかし当時の日本では、カナダ人の小説どころか、児童文学さえ
芽生えていないに等しい状況でした。
だからこの一冊の価値はとても大きいのです。

この本が昭和27年に刊行されたなんて信じられません。
生命力が満ち溢れているのです。
純真で、自分の欠点を受け入れ、多くの失敗をして、友達と笑いあい、
育ての親への感謝を忘れず、想像力で多くを語ることが大好きなアン。

アンは孤児院から連れてこられた子です。
両親は中学校の先生でしたが、アンが生まれて三か月のときに
熱病で亡くなったのです。だからアンには両親の記憶がありません。
両親の出身地は遠く、生きている親戚に思い当たる人がいなかったため、
トマスのおばさんがアンを引き取りました。

アンが少し大きくなったとき、今度はトマスのおじさんが事故で亡くなり、
トマスのおばさんは実家に身を寄せることになったのですが、
残念ながらアンを連れて行けず、ハモンドさんがベビーシッター代わりに
一緒に生活することになります。
そのハモンドさんも亡くなり、孤児院に入ったというのがこれまでです。

ああ、でも、不幸をぜんぜん感じさせないのです。
クスバート家のマシュウが迎えに来て、グリンゲイブルズ(緑色の切妻の家)に
向かうときの裏表のない喜びようで、アンの素直な気立てを読者は感じ取ります。

よかった、よかったね、新しい生活だねと誰もが思います。
おしゃべりで、馬車に乗っている間じゅう無口なマシュウに
ずっと話し続けるアン。
しかし、クスバート家がお願いしていたのは男の子だったのです。

グリンゲイブルズでは、マシュウと妹のマリラの二人暮らしです。
家に着き、マリラに引き合わせると、ついにそのことが分かってしまうのです。
その時のアンの嘆きようと、こころの持っていきかたで、
マシュウも、マリラも、読者だって、だんだんアンのとりこになっていくのです。

モンゴメリは、赤毛のアンがデビュー作です。
カナダの出版社はどこも無名の新人の作品を受け入れなかったため、
初版はアメリカの出版社からとなりました。
カナダ人ですが、アメリカンドリーム的な人生です。

デビュー作だからなのか、風景描写は平凡な感じがしますし、
はらはら感みたいな演出もありません。
終盤は時間の流れが一気に早くなり、書ききれていない感じすらあります。
でも、補って余りある生命力が、この作品を支えているのです。
それを最大限に引き出したのが、村岡花子さんであることは
間違いないでしょう。

作品全体を包む品のよさは、花子さんの育った寄宿生活での
良家の子女たちとの交流があったからこそです。

「いま、曲がり角にきたのよ。曲がり角を曲がったさきになにがあるのかは、
わからないの。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの。」


あまりにも有名なアンのセリフがこころに沁みました。

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たけぞう
たけぞう さん本が好き!免許皆伝(書評数:1468 件)

ふとしたことで始めた書評書き。読んだ感覚が違うことを知るのは、とても大事だと思うようになりました。本が好き! の場と、参加している皆さんのおかげです。
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