三太郎さん
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量子力学の創始者であるニールス・ボーアとアインシュタインとの「物理的実在とな何か」をめぐる論争が後半の主題だ。二人は「ルビコン川」を渡った人と渡れなかった人のように対比されるが、本当のところは・・・
先週物理学を変えた二人の男――ファラデー,マクスウェル,場の発見 をレビューしたので、その勢いで今週はボーアとアインシュタインの対決を描いたこの本を取り挙げます。
でも正直に言えば、量子力学の発展に貢献したのは主にボーアの方で、アインシュタインは脇役に過ぎません。アインシュタインの名前が先に出るのは、彼が超有名人だったからかな。とはいえアインシュタインはマックスウェルが亡くなった年に生まれて、ニートン力学に引導を渡した人物で、ニールス・ボーアの起こした量子革命にはなくてはならない人ではありました。
本書の前半は量子力学誕生の物語、後半はボーアとアインシュタインとの「物理的実在とな何か」をめぐる戦いが主題です。因みに冒頭の「ルビコン川」云々は、カエサルの名セリフ「賽は投げられた」をアインシュタインの口癖だった「神は賽を振らない」にかけたもので他意はありません・・・
前半の量子力学誕生の物語では沢山の物理学者が登場し、彼らの複雑に絡み合う人間模様が見所です。
まずはドイツ物理学会の重鎮、マックス・プランクです。彼は「黒体輻射」の理論を作る過程で、自然界にエネルギーの最小単位(プランク定数)があるのを発見します。続いてアインシュタインが登場し、「光子」が粒子でありその一個の光子のエネルギーはプランク定数に光の周波数を掛けた値であることを明らかにします。ここで、エネルギーに最小単位があること、つまり自然界の連続性が否定され、さらにマックスウェルが示した電磁気学の、光は波であるという常識が否定されるという事態が生じました。でも当時はまだ事の重大さに多くの物理学者は気が付いていませんでした。
そこにニールス・ボーアが登場し、水素原子の飛び飛びの輝線スペクトルは水素原子の中で電子が飛び飛びの不連続なエネルギーしか持てないからだと主張し、ここに量子力学が幕を開けました。
続いてフランスの貴族のドブロイが水素原子の定在波モデルを提唱します。つまり電子は原子の中では粒子ではなくて波だと主張したのです。この電子の波のエネルギーを計算する方法としてまだ学生だったハイゼンベルクが行列式を用いたマトリックス力学を提唱します。一方、シュレディンガーは後にシュレディンガー方程式と呼ばれる電子の存在確率を示す複素関数の方程式を見出します。
ここからハイゼンベルクの行列式とシュレディンガーの波動方程式の優劣争いが生じます。ハイゼンベルクは(一説によればマッハの影響で)測定可能な量のみで理論を組み立てようとした結果、シュディンガー方程式のように原子中の電子の波の様子を計算することができず、多くの物理学者はシュレディンガー方程式を使うようになります。
しかし興味深いのは、当のシュレディンガーは波動方程式が電子の確率分布を示すというボーアらの(これはコペンハーゲン解釈と後に呼ばれる)解釈を拒絶し、電子は波動関数に従って実在すると主張しました。
この時から、量子力学において物理的な「実在」とは何かという論争が生じます。ニールス・ボーアの主張は、物理的な実在とは「測定」という行為と不可分であり、波の特性(例えば干渉縞)を測定する実験を行うから光は波に見え、粒子の特性(例えば光電効果)を測定する実験を行うから光が粒子に見えるのであって、測定していないときの光の実在など物理学では扱えないと主張します。物理学とは何が測定可能かを示す科学だからです。
一方、シュレディンガーとアインシュタインは測定するかしないかに関わらず、物理的な実在はあると主張します。当時は実験で検証することもできないので、なんとなくボーアが優勢という状況でした。
有名な思考実験に二重スリットの実験があります(下図参照)。光が二重スリットを通ると後ろのスクリーンに干渉縞が生じます。干渉縞が生じるのは波の特性です。ボーアの解釈ではスリットを置くから波の性質が現れるのですが、光の量を絞っていき、ぽつりぽつりと一個ずつ光がスリットを通過するようにしておいて、どちらのスリットを光が通過したかを測定すれば、光の経路が分かるはずです。つまりどちらか一方のスリットを通るということは光が粒子だということです。粒子の光がスリットを通ってもスクリーンに干渉縞が現れるなら、測定によって光は粒子か波かどちらかの姿を取るというボーアの解釈(相補性の仮説)は破綻します。
しかし後年、実際にこれを実験で確かめると、一方のスリットで光の通過を検出しようとすると、干渉縞は消えてしまうことが判明しました。つまり粒子を測定しようとした結果、波の性質は消えてしまったのです。ボーアが予想した通りだったのでした。
しかしそれでも諦めないアンシュタインは若い二人の研究者と共同で、相関のある二個の量子がどんなに離れていても、一方の量子の特性を測定すると、他方の量子の特性が自動的に定まるという、長距離相関のパラドクスをボーアらに突き付けます。いわゆるEPRパラドクスです。論文ではこれは情報が光より早く伝わることはないという特殊相対性原理に反していると指摘しています。
これはボーアにとっても難問で、回答は曖昧なものでした。しかしアインシュタインもボーアも亡くなった後、1997年に長距離相関が実際にあることが実験で確かめられました。これは現在では「量子もつれ」と呼ばれ、もつれた二個の量子(光子)を用いた量子テレポーションが確認され、量子コンピュータや絶対解読できない暗号に利用されようとしています。
(二重スリットの問題、EPR問題についてはこちら量子力学入門―現代科学のミステリーを参照してください)
実験結果から見るとボーアの完勝のように見えるが、最近はアインシュタインの主張も見直されてきているらしい。杉尾一氏の物理的“実在”についての哲学的試論によれば、アインシュタインとボーアの主張にはどちらもカントの認識論という共通の哲学的な基盤があるという。それと現在コペンハーゲン解釈と呼ばれるものはボーア自身の思想とは少し違っているようなのだ。アインシュタインが夢見たように、重力理論と量子力学を統一する理論が見つかれば、両者の違いはそう大きくないということになるのかも。
でも一般相対性理論以降のアインシュタインの仕事はぱっとしないという印象は否めないなあ。
でも正直に言えば、量子力学の発展に貢献したのは主にボーアの方で、アインシュタインは脇役に過ぎません。アインシュタインの名前が先に出るのは、彼が超有名人だったからかな。とはいえアインシュタインはマックスウェルが亡くなった年に生まれて、ニートン力学に引導を渡した人物で、ニールス・ボーアの起こした量子革命にはなくてはならない人ではありました。
本書の前半は量子力学誕生の物語、後半はボーアとアインシュタインとの「物理的実在とな何か」をめぐる戦いが主題です。因みに冒頭の「ルビコン川」云々は、カエサルの名セリフ「賽は投げられた」をアインシュタインの口癖だった「神は賽を振らない」にかけたもので他意はありません・・・
前半の量子力学誕生の物語では沢山の物理学者が登場し、彼らの複雑に絡み合う人間模様が見所です。
まずはドイツ物理学会の重鎮、マックス・プランクです。彼は「黒体輻射」の理論を作る過程で、自然界にエネルギーの最小単位(プランク定数)があるのを発見します。続いてアインシュタインが登場し、「光子」が粒子でありその一個の光子のエネルギーはプランク定数に光の周波数を掛けた値であることを明らかにします。ここで、エネルギーに最小単位があること、つまり自然界の連続性が否定され、さらにマックスウェルが示した電磁気学の、光は波であるという常識が否定されるという事態が生じました。でも当時はまだ事の重大さに多くの物理学者は気が付いていませんでした。
そこにニールス・ボーアが登場し、水素原子の飛び飛びの輝線スペクトルは水素原子の中で電子が飛び飛びの不連続なエネルギーしか持てないからだと主張し、ここに量子力学が幕を開けました。
続いてフランスの貴族のドブロイが水素原子の定在波モデルを提唱します。つまり電子は原子の中では粒子ではなくて波だと主張したのです。この電子の波のエネルギーを計算する方法としてまだ学生だったハイゼンベルクが行列式を用いたマトリックス力学を提唱します。一方、シュレディンガーは後にシュレディンガー方程式と呼ばれる電子の存在確率を示す複素関数の方程式を見出します。
ここからハイゼンベルクの行列式とシュレディンガーの波動方程式の優劣争いが生じます。ハイゼンベルクは(一説によればマッハの影響で)測定可能な量のみで理論を組み立てようとした結果、シュディンガー方程式のように原子中の電子の波の様子を計算することができず、多くの物理学者はシュレディンガー方程式を使うようになります。
しかし興味深いのは、当のシュレディンガーは波動方程式が電子の確率分布を示すというボーアらの(これはコペンハーゲン解釈と後に呼ばれる)解釈を拒絶し、電子は波動関数に従って実在すると主張しました。
この時から、量子力学において物理的な「実在」とは何かという論争が生じます。ニールス・ボーアの主張は、物理的な実在とは「測定」という行為と不可分であり、波の特性(例えば干渉縞)を測定する実験を行うから光は波に見え、粒子の特性(例えば光電効果)を測定する実験を行うから光が粒子に見えるのであって、測定していないときの光の実在など物理学では扱えないと主張します。物理学とは何が測定可能かを示す科学だからです。
一方、シュレディンガーとアインシュタインは測定するかしないかに関わらず、物理的な実在はあると主張します。当時は実験で検証することもできないので、なんとなくボーアが優勢という状況でした。
有名な思考実験に二重スリットの実験があります(下図参照)。光が二重スリットを通ると後ろのスクリーンに干渉縞が生じます。干渉縞が生じるのは波の特性です。ボーアの解釈ではスリットを置くから波の性質が現れるのですが、光の量を絞っていき、ぽつりぽつりと一個ずつ光がスリットを通過するようにしておいて、どちらのスリットを光が通過したかを測定すれば、光の経路が分かるはずです。つまりどちらか一方のスリットを通るということは光が粒子だということです。粒子の光がスリットを通ってもスクリーンに干渉縞が現れるなら、測定によって光は粒子か波かどちらかの姿を取るというボーアの解釈(相補性の仮説)は破綻します。
しかし後年、実際にこれを実験で確かめると、一方のスリットで光の通過を検出しようとすると、干渉縞は消えてしまうことが判明しました。つまり粒子を測定しようとした結果、波の性質は消えてしまったのです。ボーアが予想した通りだったのでした。
しかしそれでも諦めないアンシュタインは若い二人の研究者と共同で、相関のある二個の量子がどんなに離れていても、一方の量子の特性を測定すると、他方の量子の特性が自動的に定まるという、長距離相関のパラドクスをボーアらに突き付けます。いわゆるEPRパラドクスです。論文ではこれは情報が光より早く伝わることはないという特殊相対性原理に反していると指摘しています。
これはボーアにとっても難問で、回答は曖昧なものでした。しかしアインシュタインもボーアも亡くなった後、1997年に長距離相関が実際にあることが実験で確かめられました。これは現在では「量子もつれ」と呼ばれ、もつれた二個の量子(光子)を用いた量子テレポーションが確認され、量子コンピュータや絶対解読できない暗号に利用されようとしています。
(二重スリットの問題、EPR問題についてはこちら量子力学入門―現代科学のミステリーを参照してください)
実験結果から見るとボーアの完勝のように見えるが、最近はアインシュタインの主張も見直されてきているらしい。杉尾一氏の物理的“実在”についての哲学的試論によれば、アインシュタインとボーアの主張にはどちらもカントの認識論という共通の哲学的な基盤があるという。それと現在コペンハーゲン解釈と呼ばれるものはボーア自身の思想とは少し違っているようなのだ。アインシュタインが夢見たように、重力理論と量子力学を統一する理論が見つかれば、両者の違いはそう大きくないということになるのかも。
でも一般相対性理論以降のアインシュタインの仕事はぱっとしないという印象は否めないなあ。
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1957年、仙台に生まれ、結婚後10年間世田谷に住み、その後20余年横浜に住み、現在は仙台在住。本を読んで、思ったことあれこれを書いていきます。
長年、化学メーカーの研究者でした。2019年から滋賀県で大学の教員になりましたが、2023年3月に退職し、10月からは故郷の仙台に戻りました。プロフィールの写真は還暦前に米国ピッツバーグの岡の上で撮ったものです。
この書評へのコメント
- 三太郎2021-01-11 10:01
noelさん、脳裏雪さんこんにちは。
ボーアとアインシュタインの論争はいろんな本で取り挙げられていますが、本によってニュアンスが異なるようです。
この本の著者は「量子などというものはない。量子力学があるだけ」だというボーアの言葉を取り挙げていることから、二人の物理学における「実在」とは何かという認識の違いに焦点を絞っているようです。
もう一つの焦点は「神は賽を振らない」というアインシュタインの言葉にあるように、実在を確率過程に置き換えてしまう量子力学は不完全な理論だというアインシュタインの認識です。一方のボーアは量子力学を閉じた完全な理論だと主張しました。
現時点では、素粒子の世界を記述するのは確率過程だとする認識が主流かなと僕は思っています。その奥にもっと深い理論がもしかしたら隠れているのかも知れませんが・・・クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 コメントするには、ログインしてください。
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