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紅い芥子粒
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1665年、ロンドンでペストが大流行した。当時のロンドン市の人口は推定46万人。うち7万5千人が疫病のためにいのちを落としたという。
作者のダニエル・デフォーは、1660年にロンドンに生まれた。
ペスト大流行の年は、まだ5歳。家族に連れられて田舎に疎開していたのか、あるいは、家族に守られて屋敷に閉じこもっていたのか。いずれにしてもペストを生きのびて、59歳で「ロビンソン・クルーソー」の作者となった。
「ペスト」を出版したのは、1722年、作者62歳のときである。

「ペスト」は、作者の分身と思われるH.F.という人物を語り手にした、限りなくノンフィクションに近い小説である。
H.F.は、ロンドン在住の富裕な馬具商人。独り身だが、男女数人の召使を抱え屋敷を構えている。
ペストが流行しはじめたころ、ロンドンの中産階級の多くの市民は、郊外の別荘や知人の家に、家族や使用人ごと逃げ出した。H.F.も兄に疎開をすすめられたが、ロンドンに残ることを選んだ。商売のことが心配だったから。

疫病から逃れるには家に閉じこもっていることがいちばん。わかってはいても、H.F.なる人物は好奇心旺盛。召使たちの制止をふりきって、ペスト渦中のロンドン市中を歩きまわる……

H.F.が市中で見聞きしたことを読んでいると、カミユの「ペスト」で読んだ光景としばしば重なる。
カミユはこの書を読み、1665年のロンドンを194X年のオランに置き換えて「ペスト」を書いたにちがいない。

ロンドンに残っているのは無産階級の貧しい人々がほとんどだった。消費者である中産階級がいなくなり、生産者である貧しい人々は、生活苦と疫病の二重苦に苦しめられることになる。

街には、ペストの腫脹の痛みと高熱によるせん妄で、ベッドにじっとしておられず、さまよい出て倒れて死ぬ人が相次いだ。
痛みに耐えかね、高所から飛び降りて死んでしまう人もいた。
外見からは病気の兆候が見られず、本人にも病気の自覚はなく、外出中に突然倒れて数時間のうちに死んでしまう病者もいた。
死体運搬車に死体を山積みにして埋葬地に運んでいる最中に、御者台で死んでしまう死体運搬人もいた。

避病院もあるにはあったが病床が足りず、ほんの一部の患者しか入院できなかった。
運よく避病院に入院できた人の死亡率は、うんと低かったという。
特効薬はなくとも、衛生的な環境で治療を受ければ、患者自身の力で治癒できたのだ。

ペスト菌の発見には、あと200年も待たなければならない時代だった。
ノミが病気を媒介するということにも人々は気づいていなかった。
疫病は邪気というか悪気というか、とにかく「気」に乗って運ばれるので、それを追い払うには香気がいちばんと、香草や硫黄を焚くことが消毒だと思っていた。

H.F.は敬虔なクリスチャンだから、疫病は神が人間に下された罰とか試練のようなものと、とらえていた。感染を拡げないためにやれるだけのことはやって、あとは神の御心のままにということか。

それにしても、疫病の真っただ中を歩きまわって、H.F.は、よくペストに感染しなかったものだ。それも神の思し召しということなのだろうが、実は、よく効く予防薬を服用していたのだという。
その名も、ヴェニス毒消丸。いったいどんな薬なのだろう!
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紅い芥子粒
紅い芥子粒 さん本が好き!1級(書評数:560 件)

読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。

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