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紅い芥子粒
レビュアー:
高名な初老の作家が、ヴェニスでギリシャ彫刻のように美しい少年に出会った。作家は、たちまち魂を奪われ、恋に落ちた……
1912年、トーマス・マン38歳のときの作品である。
短い小説だが、第一章から五章まである。

主人公は、ドイツの初老の作家。
人生を芸術に捧げ、功成り名を遂げ、富を築き、貴族にも列せられた。
あまりにも自分を厳しく律して、生きてきたせいだろうか。
五十歳を迎えたころ、ふと息抜きに旅行がしたくなった。
彼は、若いころに妻を亡くした。娘がいるが、すでに人の妻となっている。
気楽な独り身で、お金はふんだんにある。

ここまでが、第一章と第二章である。
まわりくどくもったいぶった文章で難解だが、よく読むと、おもしろいことが書いてある。

第三章で、作家は、やっと旅に出る。五月の終わりごろのこと。
行先定まらずうろうろしたあと、ヴェニス行きの船に乗った。
その船で、思いっきり若作りした老人が、若者に混じってはしゃいでいる姿を見て、醜いと思う。

第四章からが本番だ。
ヴェニスのホテルで、作家は、ギリシャ彫刻のように美しい少年に出会う。
少年の名は、タッジオ。
母親と三人の姉たちと、ヴェニスに滞留している。ポーランド貴族だ。

作家は、タッジオの美しさに魂を奪われる。来る日も来る日も、タッジオのあとを付け回し、物陰からこっそりその優美な姿をながめる。
声をかけようとしたこともあるが、胸がどきどきして果たせなかった。
あの子はきっと病弱で、長生きはできないにちがいない――そんな妄想にふけって、うっとりしたりする。
少年も、初老の作家の目を意識している。
ちらっと振り向いて、微笑んだりするから、美少年は罪深い。

第五章で、話が急展開する。
警察官が、ヴェニスの街をやたらに消毒している。
作家が尋ねても、ホテルの人間も街の人間も、理由を教えてくれない。
ドイツ語の新聞を見ると、ヨーロッパで疫病による死者が出ているらしい。
その病気がコレラであることを知ったのは、多くの観光客が去り、ホテルがガラガラになってからだった。
観光客減による損失を恐れて、かん口令が敷かれていたのだった。
ヴェニスは、感染拡大によって、都市封鎖直前になっていた。

しかし、タッジオは、まだ残っている。自分も残っている。
そのことが作家はうれしい。
コレラがなんだ。美少年と運命をともにできるなら、むしろしあわせ――そう思ったのかもしれない。
作家は、理容師のもとへ行き、髪を染め、顔に化粧を施し、洋服を飾り立て、思いっきり若作りした。われながらあさましいと思うが、どうしても自制できなかった。
恋は、盲目なのだ。

いよいよタッジオと母親たちがホテルを去る日がきた。
作家は、海に別れを告げるように遊ぶタッジオに、テラスのソファーに身を横たえ、見とれている。
昨日から体調が良くない。露店で買ったイチゴを、歩きながら食べたせいか。
作家の意識は、次第に薄れていく。
コレラには、突然の意識障害のあと昏睡状態のまま死んでいくという「しあわせな死」があることを、彼は知っていた……

美と恋と破滅――哲学的な小説なのかもしれないが、いい年をした高名な作家が、若作りをして美少年を追い回す様はこっけいで、文章が重々しいからなおのこと、おかしくておかしくて、たまらなかった。


ユーチューブで、1971年制作の映画の断片を見た。タッジオは、たしかに美少年だった。

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紅い芥子粒
紅い芥子粒 さん本が好き!1級(書評数:561 件)

読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。

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この書評へのコメント

  1. Yasuhiro2020-03-09 19:43

    こんばんは、美少年を演じたのはビョルン・アンドレセンですね、当時大変な話題になりました。美少年好きだった淀川長治さんの入れ込みぶりがすごかったのを覚えています。

  2. 紅い芥子粒2020-03-09 21:32

    Yasuhiroさん、コメントありがとうございます。わたしも、美少年は大好きです。ユーチューブのタッジオにすっかりハマってしまいました(笑

  3. ゆうちゃん2020-03-11 00:21

    新聞では、世相を反映してかカミュのペストの売れ行きが良いようです。紅い芥子粒さんがそういう意図で読まれた訳ではないとは思いますが、本書も疫病がテーマの一部でしたね。懐かしい作品ですが、生々しくも思い出しました。
    僕は、ヴィスコンティのフィルムは映画館で観ました。ヴィスコンティは主人公を小説家から作曲家に戻していますね。マーラーの交響曲がこの作品で大流行しました。

  4. 紅い芥子粒2020-03-11 13:03

    ゆうちゃんさん、コメントありがとうございます。実は、そういう意図で読んだのです(笑 でも、それを超えたおもしろさがありました。トーマス・マンは、マーラーの死に触発されてこの作品を書いたそうですね。

  5. noel2021-03-06 23:03

    へぇー、そんな話だったのですか。意外ですね。トーマス・マンと言えば、若いころにちらっと読んで、自分のペンネームを「都増 満((みつる)」なんちゃって粋がっていたことがあります。まことに恥ずかしい思い出です。北杜夫は彼の作品『トニオ・クレーゲル』からトニオ→杜二夫→杜夫として筆名にしたんですねぇ。
    それにしても、コロナは同じ3月になってもまだ猛威を奮い続けているのですね。

  6. 紅い芥子粒2021-03-06 17:08

    美少年大好きなので、ムズムズしながら読みました。

    北杜夫の筆名の由来、初めて知りました。たんに北の森(杜)の男子だと思ってましたww 
    恥ずかしい。

  7. 脳裏雪2021-03-07 09:13

    シネマ みています、何で之が話題作なのか、追っかけする程の美しさが少年のドコにあるのか、私には理解出来なかったのですが、紅芥子さんのレヴュと皆さんのコメを読んいて、わかりました、
    美を獲得した一途な老人の理想的に幸福な死を表していたんですね、傍からどう見られようと関係ない、著名であっても況や凡人をや、ですね、幸福な死だった、
    ギリシャ彫刻、私には美しくないです、

  8. No Image

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