紅い芥子粒さん
レビュアー:
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ある日とつぜん、目が見えなくなる。その病気は伝染するらしい。患者は隔離収容された。医者も看護人もいない。まっ白な闇の中で、見えなくなった人たちの、生き延びるための闘いが始まる……
物語は、信号の色から始まる。黄色。ドライバーは、加速する。そして赤、停止。
歩行者信号が青になる。歩き出す歩行者たち。
赤信号が青に変わり、車がいっせいに動き出す。
その中で一台だけ、動かない、いや動けない車があった。
ドライバーの目が、とつぜん見えなくなったのだ。
彼は、まっ白なミルクの海のような闇に閉じ込められていた。
とつぜん目が見えなくなる。この病気は、どうやら伝染するらしかった。
前代未聞の病の感染をくいとめるため、国は動き出した。
感染者は逮捕され、空っぽの精神病院に隔離収容された。
患者たちが逃げ出さないよう、兵士たちが見張りについた。
医者も看護人もいない。
食料だけは、病棟の玄関に置いてやるから、あとは患者たちでよろしくやるように。
とつぜん視力を失った人々の生き抜くための闘いが始まる。
それはもう、凄惨な戦いである。
急に見えなくなった人たちは、しかるべき場所に排泄することさえままならず、汚物にまみれて生きていくことになる。配給される食糧はあまりにも少なく、奪い合いで死者さえも出る。自分のベッドに戻るときは手探りで、誰かが間違えて寝ていることもある。
食べる、出す、寝る。人生の九割は、この三つのためにあるのだと、つくづく思う。
やがて、世界中の人々が失明し、隔離収容は意味がなくなる。
外界に出ても、周りは白い闇で、過酷な生存のための闘いは続く。
物語の主人公は、一人ではない。グループだ。老若男女七人。
最初に失明した男が受診したクリニックの関係者、といえばいいだろうか。
地獄のような白い闇の中だが、七人のグループの中で愛が芽生えた。
娘と老人。健常な視力があるときなら、考えられない男女の組み合わせだ。
娘は、見えないからこそ、彼の本質を見ることができて、好きになったのだ。
たとえ視力を取り戻しても、娘の老人への愛が変わりませんようにと、祈らずにはいられない。
じつは、七人の中で眼科医の妻だけ、目が見えた。彼女は他のメンバーの目であり、導き手でもあった。生きるためのたたかいの中で、彼女は気づくのだ。見えている自分が、いちばん見えていないのではないか、と。
目が見えるからこそ見えないこともある。見えているから見えなくなるものもある。見えないからこそ見えることもある。
見ることとは、見えることとは何であろう。
哲学的な問いを残して、物語は終わる。
病気の正体は、結局わからないままだ。
感染症であったかどうかも、定かではない。
信仰の篤い人は、神の意思というかもしれない。
神を信じていない人は、科学的に解明できるはずだと思うかもしれない。
物語は、独特の文体でつづられている。
会話が「」で区切られておらず、地の文にとけこんでいる。改行もない。視覚的には、ページ全体から文字があふれる出る感じだ。ああ、こんな感じか、ミルクの海に溺れるって、と思う。
登場人物に名前がつけられていない。
長編小説でこんなことがあるのかと思ったが、最初から最後までついに全員が名無しだった。
読み難くはなかった。会話が多く、話し言葉に近いからだ。ただ、ときどき誰が話しているのかわからなくなるから、立ち止まって考えなければならない。あれ?これ、だれが話してるの?、と。見えない人が、声から話し手を探ろうと耳を傾けるように。
歩行者信号が青になる。歩き出す歩行者たち。
赤信号が青に変わり、車がいっせいに動き出す。
その中で一台だけ、動かない、いや動けない車があった。
ドライバーの目が、とつぜん見えなくなったのだ。
彼は、まっ白なミルクの海のような闇に閉じ込められていた。
とつぜん目が見えなくなる。この病気は、どうやら伝染するらしかった。
前代未聞の病の感染をくいとめるため、国は動き出した。
感染者は逮捕され、空っぽの精神病院に隔離収容された。
患者たちが逃げ出さないよう、兵士たちが見張りについた。
医者も看護人もいない。
食料だけは、病棟の玄関に置いてやるから、あとは患者たちでよろしくやるように。
とつぜん視力を失った人々の生き抜くための闘いが始まる。
それはもう、凄惨な戦いである。
急に見えなくなった人たちは、しかるべき場所に排泄することさえままならず、汚物にまみれて生きていくことになる。配給される食糧はあまりにも少なく、奪い合いで死者さえも出る。自分のベッドに戻るときは手探りで、誰かが間違えて寝ていることもある。
食べる、出す、寝る。人生の九割は、この三つのためにあるのだと、つくづく思う。
やがて、世界中の人々が失明し、隔離収容は意味がなくなる。
外界に出ても、周りは白い闇で、過酷な生存のための闘いは続く。
物語の主人公は、一人ではない。グループだ。老若男女七人。
最初に失明した男が受診したクリニックの関係者、といえばいいだろうか。
地獄のような白い闇の中だが、七人のグループの中で愛が芽生えた。
娘と老人。健常な視力があるときなら、考えられない男女の組み合わせだ。
娘は、見えないからこそ、彼の本質を見ることができて、好きになったのだ。
たとえ視力を取り戻しても、娘の老人への愛が変わりませんようにと、祈らずにはいられない。
じつは、七人の中で眼科医の妻だけ、目が見えた。彼女は他のメンバーの目であり、導き手でもあった。生きるためのたたかいの中で、彼女は気づくのだ。見えている自分が、いちばん見えていないのではないか、と。
目が見えるからこそ見えないこともある。見えているから見えなくなるものもある。見えないからこそ見えることもある。
見ることとは、見えることとは何であろう。
哲学的な問いを残して、物語は終わる。
病気の正体は、結局わからないままだ。
感染症であったかどうかも、定かではない。
信仰の篤い人は、神の意思というかもしれない。
神を信じていない人は、科学的に解明できるはずだと思うかもしれない。
物語は、独特の文体でつづられている。
会話が「」で区切られておらず、地の文にとけこんでいる。改行もない。視覚的には、ページ全体から文字があふれる出る感じだ。ああ、こんな感じか、ミルクの海に溺れるって、と思う。
登場人物に名前がつけられていない。
長編小説でこんなことがあるのかと思ったが、最初から最後までついに全員が名無しだった。
読み難くはなかった。会話が多く、話し言葉に近いからだ。ただ、ときどき誰が話しているのかわからなくなるから、立ち止まって考えなければならない。あれ?これ、だれが話してるの?、と。見えない人が、声から話し手を探ろうと耳を傾けるように。
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読書は、登山のようなものだと思っています。読み終わるまでが上り、考えて感想や書評を書き終えるまでが下り。頂上からどんな景色が見られるか、ワクワクしながら読書という登山を楽しんでいます。
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この書評へのコメント
- noel2021-02-24 16:06
>食べる、出す、寝る。人生の九割は、この三つのためにあるのだと、つくづく思う。
>見えている自分が、いちばん見えていないのではないか、と。
>ときどき誰が話しているのかわからなくなるから、立ち止まって考えなければならない。あれ?これ、だれが話してるの?、と。
この3点だけでも読めば、紅い芥子粒さんの伝えたいことがわかってくる。核心を突く紅い芥子粒さんの書評にはいつも脱帽させられます。感動しました。ありがとうございます。いい眼福となりました!
それにしても、『白の闇』とはよくぞ名付けたりな、ですね。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 コメントするには、ログインしてください。
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- 出版社:日本放送出版協会
- ページ数:372
- ISBN:9784140055434
- 発売日:2008年05月30日
- 価格:1890円
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