darklyさん
レビュアー:
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この物語がベストセラーになった背景にはアメリカ社会の変化があるのかもしれない。
大変評判が良さそうな本なので読みたいとずっと思っていました。書評も沢山上がっていますのであらすじは簡単にします。
カイアは湿地帯の貧困家庭に生まれ、父親のDVにより母親を初めてとして兄弟も家を去り、父親と二人で暮らしていたが、やがて父親もいなくなり一人で暮らし始める。差別と偏見の中、黒人夫婦の好意により生計をたて、聡明なテイトに読み書きを習う。
やがてテイトは大学進学のため去っていき、カイアはプレイボーイのチェイスと交際するが裏切られ一人で生きていくことを決意する。そしてチェイスが不審死を遂げ、容疑者として逮捕されたカイアは死刑もあり得る殺人罪で起訴された。
この物語は単純に整理できません。ミステリでありながら、社会派小説の一面もあり、少女のサクセスストーリーとも言えます。プロット的には単純で典型的な物語のようですが、読後感がかなり独特に感じました。私が考えるその理由を二点述べたいと思います。
第一点目は、裁判に関するものです。19世紀~20世紀中盤のアメリカ社会においてはマイノリティが起訴されれば無実でも有罪は当たり前、無罪を勝ち取るのは相当困難であっただろうと推測します。だからこそドラマや小説において、どんでん返しで決定的な無罪となる証拠が出てきたり、真犯人が判明し、物語が大団円を迎え視聴者や読者はカタルシスを得るというのが定番だろうと思います。
しかし、この物語は究極のマイノリティである主人公のカイアが有罪だという決定的な証拠もない代わりに無罪だという証拠もなく、むしろ状況的にはかなり不利だと弁護士も認める中で無罪の評決がでます。この意外な展開にもしかしたらアメリカ社会の変化があるのではないかと思います。
アメリカにおける差別は人種差別だけではありません。同じ白人の間にも住む地域や経済格差による差別など様々なカテゴリーの差別があります。しかしアメリカが世界一の大国となっていく過程では差別を受けるマイノリティの割合は少なく、白人の圧倒的なマジョリティ(あるいはマジョリティ意識を持っている人々)が社会の大きな部分を占め、あまりマイノリティに光があたることはありません。
しかし、経済成長も昔ほどではなくなった現在、経済格差の拡大や移民急増により職を奪われた白人労働者等、昔は、貧乏でもアメリカンドリームを夢見てマジョリティ意識を持っていた人々も、もはや自分たちはマジョリティではない、疎外されていると意識せざるを得なくなったように思います。そこにうまくつけこんだのがトランプだったのでしょう。
この物語を昔のアメリカ人が読んだならば、これで無罪というのはおかしいと感じるか、仮に感動したとしてもそれは自分とは全く違う世界に住む可哀そうな女性に対する上から目線によるもが多いような気がします。しかし、現在のアメリカ人の中にはカイアに心から共感を持つ人が多くなっているのではないかと思います。それはマイノリティ差別に反対する社会風潮もあるでしょうが、自分たちの(マイノリティかもしれないという)境遇とオーバーラップしているということもあるのかもしれません。それが物語的にはどちらかというとオーソドックスにも関わらずアメリカで2年連続最高売り上げとなった一つの要因のような気がします。
第二点目は、作者の人間に対する冷徹な眼差しです。動物学者でもある作者は人間も動物の一種であり、種の保存本能などDNAに刷り込まれたものの影響を受けない者はいないという動物学者としての見解と同時に、絶対善の人間も絶対悪の人間もいないという人生哲学を小説に持ち込んでいます。
通常の設定では絶対悪として描かれそうな人々は、殺されたチェイス、保安官、偏見を持つ町の人々が挙げられますが、悪の部分と善の部分がないまぜとなって描かれます。その中でもチェイスに対して反感を持つ読者は圧倒的に多いと思いますし、もちろん私もそうなのですが、彼の行動は(社会的には許されないが)動物として考えれば理解できますし、カイアと恋人になるまでは辛抱強く誠意をもって接しているなど絶対悪とは言い切れません。
逆に絶対善として描かれそうな人では、まずテイトですが、彼も大学時代一旦カイアを捨ててしまいます。まるで木綿のハンカチーフのように。カイアにいたっては無罪となったが無実ではないという今までの小説ではありえないような驚愕のどんでん返しとなります。
このような人間設定は、善や悪は人間が社会的に作ったものにすぎない。自然というもはただそこにあるだけ。自然の中で生物は発生しそして自然に戻っていくだけ。人間も自然の一部である以上そのくびきを逃れることはできないのだという動物学者らしい人間観が現れているのではないかと思います。
しかし、なぜアメリカの小説とか映画を日本に紹介するときに「全米が泣いた」等アメリカを「全米」という表現を使うのか昔から不思議です。「全日本が泣いた」も「全英が泣いた」も「全仏が泣いた」も聞いたことがありません。
カイアは湿地帯の貧困家庭に生まれ、父親のDVにより母親を初めてとして兄弟も家を去り、父親と二人で暮らしていたが、やがて父親もいなくなり一人で暮らし始める。差別と偏見の中、黒人夫婦の好意により生計をたて、聡明なテイトに読み書きを習う。
やがてテイトは大学進学のため去っていき、カイアはプレイボーイのチェイスと交際するが裏切られ一人で生きていくことを決意する。そしてチェイスが不審死を遂げ、容疑者として逮捕されたカイアは死刑もあり得る殺人罪で起訴された。
この物語は単純に整理できません。ミステリでありながら、社会派小説の一面もあり、少女のサクセスストーリーとも言えます。プロット的には単純で典型的な物語のようですが、読後感がかなり独特に感じました。私が考えるその理由を二点述べたいと思います。
第一点目は、裁判に関するものです。19世紀~20世紀中盤のアメリカ社会においてはマイノリティが起訴されれば無実でも有罪は当たり前、無罪を勝ち取るのは相当困難であっただろうと推測します。だからこそドラマや小説において、どんでん返しで決定的な無罪となる証拠が出てきたり、真犯人が判明し、物語が大団円を迎え視聴者や読者はカタルシスを得るというのが定番だろうと思います。
しかし、この物語は究極のマイノリティである主人公のカイアが有罪だという決定的な証拠もない代わりに無罪だという証拠もなく、むしろ状況的にはかなり不利だと弁護士も認める中で無罪の評決がでます。この意外な展開にもしかしたらアメリカ社会の変化があるのではないかと思います。
アメリカにおける差別は人種差別だけではありません。同じ白人の間にも住む地域や経済格差による差別など様々なカテゴリーの差別があります。しかしアメリカが世界一の大国となっていく過程では差別を受けるマイノリティの割合は少なく、白人の圧倒的なマジョリティ(あるいはマジョリティ意識を持っている人々)が社会の大きな部分を占め、あまりマイノリティに光があたることはありません。
しかし、経済成長も昔ほどではなくなった現在、経済格差の拡大や移民急増により職を奪われた白人労働者等、昔は、貧乏でもアメリカンドリームを夢見てマジョリティ意識を持っていた人々も、もはや自分たちはマジョリティではない、疎外されていると意識せざるを得なくなったように思います。そこにうまくつけこんだのがトランプだったのでしょう。
この物語を昔のアメリカ人が読んだならば、これで無罪というのはおかしいと感じるか、仮に感動したとしてもそれは自分とは全く違う世界に住む可哀そうな女性に対する上から目線によるもが多いような気がします。しかし、現在のアメリカ人の中にはカイアに心から共感を持つ人が多くなっているのではないかと思います。それはマイノリティ差別に反対する社会風潮もあるでしょうが、自分たちの(マイノリティかもしれないという)境遇とオーバーラップしているということもあるのかもしれません。それが物語的にはどちらかというとオーソドックスにも関わらずアメリカで2年連続最高売り上げとなった一つの要因のような気がします。
第二点目は、作者の人間に対する冷徹な眼差しです。動物学者でもある作者は人間も動物の一種であり、種の保存本能などDNAに刷り込まれたものの影響を受けない者はいないという動物学者としての見解と同時に、絶対善の人間も絶対悪の人間もいないという人生哲学を小説に持ち込んでいます。
通常の設定では絶対悪として描かれそうな人々は、殺されたチェイス、保安官、偏見を持つ町の人々が挙げられますが、悪の部分と善の部分がないまぜとなって描かれます。その中でもチェイスに対して反感を持つ読者は圧倒的に多いと思いますし、もちろん私もそうなのですが、彼の行動は(社会的には許されないが)動物として考えれば理解できますし、カイアと恋人になるまでは辛抱強く誠意をもって接しているなど絶対悪とは言い切れません。
逆に絶対善として描かれそうな人では、まずテイトですが、彼も大学時代一旦カイアを捨ててしまいます。まるで木綿のハンカチーフのように。カイアにいたっては無罪となったが無実ではないという今までの小説ではありえないような驚愕のどんでん返しとなります。
このような人間設定は、善や悪は人間が社会的に作ったものにすぎない。自然というもはただそこにあるだけ。自然の中で生物は発生しそして自然に戻っていくだけ。人間も自然の一部である以上そのくびきを逃れることはできないのだという動物学者らしい人間観が現れているのではないかと思います。
しかし、なぜアメリカの小説とか映画を日本に紹介するときに「全米が泣いた」等アメリカを「全米」という表現を使うのか昔から不思議です。「全日本が泣いた」も「全英が泣いた」も「全仏が泣いた」も聞いたことがありません。
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昔からずっと本は読み続けてます。フィクション・ノンフィクション問わず、あまりこだわりなく読んでます。フィクションはSF・ホラー・ファンタジーが比較的多いです。あと科学・数学・思想的な本を好みます。
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- 出版社:早川書房
- ページ数:512
- ISBN:9784152099198
- 発売日:2020年03月05日
- 価格:2090円
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