かもめ通信さん
レビュアー:
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ああそうか、この作品自体がコラージュなんだ。
そういう意味じゃない、と母が言う。あたしはもう、ニュースに疲れた。大したこともない出来事を派手に伝えるニュースに疲れた。本当に恐ろしいとをすごく単純に伝えるニュースにも疲れた。皮肉な言葉にも疲れた。怒りにも疲れた。意地悪な人にも疲れた。自分勝手な人たちにも疲れた。それを止めるために何もしないあたしたちにもうんざり。むしろそれを促しているあたしたちにもうんざり。今ある暴力にも、もうすぐやって来る暴力にも、まだ起きていない暴力にもうんざり。嘘つきにもうんざり。嘘をついて偉くなった人にもうんざり。そんな嘘つきのせいでこんな世の中になったことにもうんざり。彼らが馬鹿だったからこんなことになったのか、それともわざとこんな世の中を作ったのか、どっちなんだろうと考えることにもうんざり。嘘をつく政府にもうんざり。もう嘘をつかれてもどうでもよくなっている国民にもうんざり。その恐ろしさを日々突きつけられることにもうんざり。敵意にもうんざり。臆病風を吹かす人にもうんざり。
臆病風には吹かれるんだと思うけど、とエリザベスが言う。
正しい言葉遣いにこだわることにもうんざり、と母が言う。
たとえば、物語の中のワンシーン、1頁にも満たないその場面に釘付けになって、そこだけで何度も何度も繰り返し読む。
そんな読み方がしたくなるような本。
舞台はEU離脱問題で揺れる2016年のイギリス。
32歳のエリサベスは、療養施設で眠り続けるダニエルの元に通い、本を読み聞かせている。
ダニエルは101歳、かつて…そう、あれはエリザベスが8歳の時のことだ、二人は隣人同士として知り合った。
エリザベスは、学校の宿題で隣人について作文を書かなければならなかったのだ。
もっとも彼女はその作文を、ダニエルとひと言も言葉を交わすことなく書き上げたのではあったのだけれど……。
物語は、エリザベスの記憶に、エリザベス自身はとうに忘れてしまった出来事が加えられ、さらにエリザベスの母や、ダニエルや周囲の人びとの織りなす大小様々な断片が、幾層にも重ねられて語りあげられていて、ところどころかなり厚みをおびてくっきりと、また別の箇所はぼんやりとした記憶のかけらでうっすらと引かれた線によって構成されている。
それはまるで、ダニエルが11歳のエリザベスに語って聞かせた、質感の異なる様々な素材と様々な色合いが生み出すポーリーン・ボディのコラージュのよう。
大きな事件が起きるわけでもなく、少なくても読者の目にはっきりと見える形で、どこかに向かっているわけでもない。
それでも、読み終えてみれば、そのコラージュは、間違いなく一つの物語を形作っていて、その物語ときたら、とても静かなのに、ちょっとやそっとでは忘れられそうにないインパクトをもっているのだ。
ダニエルは11歳のエリサベスに、「いつでも何かを読んでいなくちゃ駄目だ」という。「読むというのは不断の行為だ」と。
その言葉どおり、エリサベスはいつも本を読んでいる。
だが、彼女が読んでいるのは決して本だけではない。
もちろんエリザベスだけでなく、ダニエルも、そしておそらく私もあなたも、本を読みながら、社会を、時代を、世界を読み続けているのだと、そんな風に思える1冊だ。
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本も食べ物も後味の悪くないものが好きです。気に入ると何度でも同じ本を読みますが、読まず嫌いも多いかも。2020.10.1からサイト献本書評以外は原則★なし(超絶お気に入り本のみ5つ★を表示)で投稿しています。
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- 出版社:新潮社
- ページ数:256
- ISBN:9784105901646
- 発売日:2020年03月25日
- 価格:2200円
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