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hackerさん
hacker
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青春の無駄な時間ほど、人生で貴重なものはありません。
本書は、1840年代のパリに暮らす、芸術や学問で身を立てようとする、野心はあるものの、貧乏な若者たちの自由闊達でメチャクチャな青春時代を描いた、連作短編集でもあり、長編小説でもある作品です。

「悪口や嘲笑より陽気で気の利いたお喋りを好むこと、若者らしいまっすぐな心、美しいものに触れれば否応なくときめく心の持ち主である」四人のボヘミアン(ボエーム)が、パリの街中で出会い、その日のうちに親友になって「ボエーム芸術集団」を結成するところから、本書は始まります。メンバーは次の通りです。

「横から見ると鷲鼻で、前から見ると獅子鼻という変わった鼻」で「外国人に借金を申し込まなければならないときのために世界中の言葉で5フラン貸してくれと言える」音楽家のアレクサンドル・ショナール、家具を描いた絵を持って引っ越しをする画家のマルセル、「晩飯抜きで眠る術、もしくは眠らずに晩飯を得る術を体得せんと、弛まぬ努力を続けて」いる詩人のロドルフ、「一生かかっても読めるはずのないほどの本」を蔵書にしていることで、セーヌ河の露店古本商の間では知らぬものがいない、哲学者のギュスターヴ・コリーヌです。

この四人の、赤貧にあえぐ普段の姿と、一度金が手に入れば呑めや歌えの大騒ぎを演じて、すぐ使い果たしてしまう様が、とてもおかしい本です。次の文章が端的に、彼らの日常を表現しています。

「ひと月のうちに、手袋なしでは表にも出ないほどきちんとした日があり、朝から夜までご馳走に舌鼓を打つ愉快な日があるかと思えば、靴も履かずに中庭に下りるようなだんらしない日もあり、みなで昼飯を抜いた後であらに寄り集まって晩飯を我慢する(中略)<お皿も食器もお休み>の日もあった」

念のためですが、アパートの家賃より、呑めや歌えの方が彼らにとっては重要なのでした。彼らは、こんな発言もします。

「倹約ってのは、金が足りてるからできるんだぜ。おれたち、そんな経験一度もないぞ」

「今夜の晩飯はどうするんだ」「そんなこと明日考えようぜ」

訳者辻村永樹による本書の解説を読むと、本書には、登場人物もそうですが、作者アンリ・ミュルジェール(1822年-1861年)の実体験が相当反映しているようです。作者は20歳前に家を出て、<水呑み仲間>というグループを結成し、詩作に励みましたが、雑誌に本書収録の短編が最初に収録されたのは1845年からで、それが舞台化されて大成功を収めたのは1849年のことで、それまでは本書の内容がけっして拡張でない生活をおくっていたようです。それだけでなく、長年の不摂生もたたって、健康も害しており、38歳の若さで世を去りました。36歳の時に、フランス最高の名誉とされるレジオン・ド・ヌール勲章を受け、国葬に付されたということが、当時の彼の人気を物語っています。

ただ、本書は、若者たちの馬鹿騒ぎばかりを面白おかしく語っているだけではありません。作者自身を最も反映していると思われるロドルフは、作中で恋人だったミミに病で先立たれるのですが、作者も恋人を結核で亡くした経験があるそうです。本書の中では、『フランシーヌのマフ』と題された、フランシーヌという恋人を結核で亡くし、彼女を模した天使像を彫り終えないうちに自らも病に倒れてしまうジャックを描いた話などは、涙なしには読めないような話です。

ただ、私が一番好きな個所は、本書の最後です。四人とも功成り遂げて、赤貧生活とはおさらばするのですが、マルセルとロドルフがこんな会話をするのです。

「おまえの理性は心と格闘しているんだな。理性が心を殺しちまわないように気をつけろよ」
「それはもう済んだ。おれたちは終わったんだ。な、死んで埋葬されたんだ。青春は斯くも儚し、か。晩飯はどうする?」
「フール通りのあの馴染みの店で12スーの晩飯を喰わないか。あの田舎風の陶器の皿の店でさ。でもあそこ、喰い終わってもちっとも腹が膨らまなかったなあ」
「過去を懐かしむのは大いに賛成だが、それは座り心地のいい肘掛け椅子から、本物の葡萄酒の瓶を通して見るものだ。仕方ないさ。おれは堕落したね。もう上等のものしか愛せなくなっちまった」

この「汚れちまった悲しみ」、歳をとって「世間」と「金」に取り込まれた苦さ、というのは多少なりとも若いころにボエームの生活を経験した、あるいは共感を持った人間ならば、理解できるのではないでしょうか。


最後ですが、「ラ・ボエーム」という言葉から何を連想するかですが、私は、やはりシャルル・アズナヴールが歌ったシャンソンです。紹介させてください。翻訳は、以下のurlからの引用がベースです。本書の雰囲気にもよく合っています。

https://lyricstranslate.com/ja/la-boheme-%E3%83%A9%E3%80%80%E3%83%9C%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%A0.html

「君たちに昔のことを話そう
20歳前の人には
わからない話だろう
モンマルトルでは、そのころ
ラィラックの枝の先が
ぼくらの住んでいたアパートの窓まで届いていた
家具付きの安アパートだった
そこがぼくらの愛の巣だった
見かけはオンボロだった
そこでぼくらは知り合った
ぼくは空腹をうったえ
そして、君はヌードでポーズをとっていた

ラ ボエーム、 ラ ボエーム
ぼくらは幸せだったってことだ
ラ ボエーム、 ラ ボエーム
ぼくらは、二日に一日は食べられなかった

近くのカフェでは
ぼくらは特別な人のようだった
有名になるつもりで
そして貧乏で
腹をすかしていて
ぼくらは夢を信じつづけていた
あるビストロでは
一枚の絵と引き換えに
温かくて美味しい食事を出してくれた
ぼくらは詩を声に出して読み
ぼくらはストーブのそばによりそい
冬の寒さは忘れてしまっていた

ラ ボエーム、 ラ ボエーム
それは君がきれいだってことだ
ラ ボエーム、 ラ ボエーム
そして、ぼくらは才能であふれていた

よく、描いていたものだ
画架の前で
夜が明けるまで
胸のラインや
お尻のふくらみの
デッサンをなおし
朝になって
ぼくらは、やっと終わって
カフェオレを飲んだ
疲れていたけど、満ちたりていた
ぼくらは愛し合い
ぼくらは生きていることを愛してした

ラ ボエーム、 ラ ボエーム
それはぼくらが20歳だったってことだ
ラ ボエーム、 ラ ボエーム
そして、ぼくらは無一文でくらしていた

ある日、たまたま
ぼくは、散歩に行ってみた
昔、いたところへ
ぼくの青春を見おろしていた街や壁は、もう分からなくなっていた
階段をのぼった上に
ぼくは昔のアトリエをさがした
面影は何も残っていなかった
新しい装いの中で
モンマルトルは悲しそうだった
木の葉は枯れていた

ラ ボエーム、 ラ ボエーム
ぼくらは若かった。ぼくらはまともじゃなかった
ラ ボエーム、 ラ ボエーム
もう、それは何の意味もない」
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hacker
hacker さん本が好き!1級(書評数:2276 件)

「本職」は、本というより映画です。

本を読んでいても、映画好きの視点から、内容を見ていることが多いようです。

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