古い建物を取り壊した後の空き地や、シャッターが閉まったままの店舗が
年々目立つようになってきた商店街の中にある小さなお店だ。
近所にあった文房具店が閉店してからというもの、
売り場に占める文房具の割合がだんだんと増えてきている。
教科書販売も手がけていて、辞書や参考書のコーナーもあるので
一般書籍の売り場面積は決して大きくはない。
新刊をならべた平台もあるけれど積まれているのは大抵2、3冊、
1冊だけということも少なくない。
歩道に面したショーウィンドウにはその時々、
季節の行事や話題のスポーツなど関連本が数冊並べられているのだが、
お正月特集が終わったそのコーナーに、
おそらく人気の本という括りなのだろう
『反日種族主義』と『82年生まれ、キム・ジヨン』が隣り合わせに並べられていた。
ちょっと複雑な気もしたけれど、
これが今の日本の現状なのだろうなあとも思う。
かつては「小さな本屋が好きだった」という永江さんが、
もしこの本屋を訪れたならどんな感想を持つのだろう?
そんなことを考えながら店内をぐるっと見回してみる。
もしかすると永江さんが書かれているような「小さな本屋」というのは
私の通う本屋よりももっと「大きな本屋」のことなのかもしれない。
きっと同じ本を何冊も積み上げることができる「恵まれた本屋」なのだろう。
そんなことを思い巡らしながら読み始めたこの本のテーマは、
「本屋にとってヘイト本とはなにか」ということ。
「出版界にとって」でも「社会にとって」でもなくあくまでも「本屋にとって」。
本屋が、とりわけ「完結したひとつの世界が表現されている」小さな本屋が、
「雑誌と漫画と文庫ばっかり」だと思いながらも、
文庫の並べ方や僅かな書籍の選び方などに店主の個性が感じられる本屋が、
好きだったという永江さん。
けれども数年前から店頭にならぶヘイト本に辟易するようになり、
本屋を覗くのが苦痛になったという。
もちろん本屋によって本の並べ方はいろいろで
積極的に展開しない本屋もありはするが……と、
出版社から本屋に本が届けられるまでの仕組みを含めて、
<ヘイト本が読者に届くまで>を、実例をあげながら紹介していく。
取材をはじめたのが2015年、出版まで丸4年もかかったという。
それだけ重いテーマなのかもしれないが
いかんせん時事問題を扱うには時間がかかりすぎていてネタの古さは否めない。
もちろん数年前のインタビュー記事や座談会などには、
現在の状況を補足して展開はしてはいるのだが……。
それでもそこここに興味深い話題が盛り込まれてはいる。
「ヘイト本ブーム」が小康状態にあった2015年秋の書店経営者の座談会の
いわゆるヘイト本の購入者層は比較的年齢が高く
ビジネス書という感じでもないので時代小説コーナーにおいてみたという話や、
嫌韓反中本のあと日本自賛本に流れてきた購買者の年齢層は60代ぐらいが多い。
日本の優位性を主張することによって、
日本に住んでいる自分も優越感に浸る
日本も捨てたもんじゃないという「ファンタジー」や
「癒やし」を求めているのではないかとか、
東京のようにいろんな書店がある都会ならそれぞれの店が「偏って」いてもいいけれど
町の本屋は間口を広くとってお客さんを選ばないのが前提なのでは……
といった話が印象に残る。
実際にヘイト本を手がける編集者やライターへのインタビューもあって、
主な購買層は40~60代ぐらい。若くても30代以上の男性。
20代はほとんどいない。意外と知識層が多い。
と客層を分析していたりする。
作り手の方だって本気で書いているわけではない。
売り手だって同様だろう。
一種の夢を売っているようなものだという口ぶりに嫌悪をおぼえた。
その一方でこの本を読んでいると、
巷にはタイトルだけみても思わず顔をしかめたくなるような
ヘイト本が溢れていても
並んでいる数から思い浮かべるほどには
売れているわけではないようにも思えてくる。
もちろん本の作り手や売り手は売ってなんぼではあろうが、
そもそもインパクトのあるタイトルや広告で人目を惹くだけでも
ヘイト本を流通させる意味があると考える人もいるのかもしれない。
などと思ってしまうのは「陰謀論」的なうがった見方だろうか。
実際のところどうなのだろう。
私は客観的な資料を持ち合わせてはいないけれど
2015年前後の状況と今とでは
読者層もその意識も変わってきてはいないのだろうか。
かつての「ファンタジー」は今や
国家規模の後ろ盾を得て「真実」に変化を遂げたりはしていないだろうか。
心にざわつきをおぼえながらも
ヘイト本についてあれこれ知識を仕入れたところで
いよいよ後半<ヘイト本の現場を読み解く>に移るのだが
この本の刊行以来、
本屋界隈で物議を醸している「出版界はアイヒマンか」という
打ち出しで始まることに、改めて驚く。
インパクトのあるタイトルで人目を惹く
それってまさにヘイト本の手法なのでは……と、思ってしまったりもする。
書店にも取次にも出版社にも、
ナチ高官アドルフ・アイヒマンのように、
自ら思考することを放棄し、
与えられた課題を唯々諾々とこなすだけの「作業員」となってしまった人たちがいる、
と永江さんは指摘する。
こうした人たちの「悪意なき」作業が結果として
書店の店頭にヘイト本が日常的に並ぶ風景を生み出しているのだと。
出版社たるもの、編集者たるもの、取次たるもの……という
それぞれあるべき姿があるはずで、
それぞれが自覚的に自分の仕事に責任を持つべきだ。
そしてまた本屋たるもの、店頭には
取次から配本された本をただ漫然と並べるのではなく
こだわりをもち、頭を使って並べる本を選ぶべき、
そうすればヘイト本が積み上げられているような本屋は
減るはずだということなのだろう。
総ての責任を本屋に押しつけているわけではないし
読者を含め、本に関わる総ての人たちが自ら考えて行動すべきだという
この本のそういった結論自体は真っ当に思え、
途中の過激さは議論を巻き起こすためあえて放たれた投石なのかもしれないとも思う。
そう思いはするけれど、その結論に行き着くまでの過程は
いささか乱暴で、雑だという印象を受けるし、
たとえ多くの人が自ら考えて行動したとしてもそれだけでは、
店頭からヘイト本がなくなることはないだろうなあとも思うし、
一緒に考えていこうと呼びかけるべき相手にナチよばわりはマズイのでは…
というのも正直なところ。
本屋という仕事は、ただそこにあるだけで、
まわりの社会に影響を与えることができるものなのだ
これは永江さんが本屋を取材するようになってまもなくのころ、
ヴィレッジヴァンガード創業者の菊地敬一さんからきいたという言葉だ。
確かに本屋は、地域社会の中で、
知の泉としての役割を一定度担ってきたし、今も担っているのだろう。
けれども、だからこそ本屋は
社会の様々な動向と無関係ではいられなないのだ。
ヘイトが蔓延しているのは出版界だけに止まらないし、
書店員だけがその影響を受けないということもありえない。
永江さんが問題にするあの本、この本になんの疑問ももたずに、
なかなか良い本だと思って店頭に並べている書店員だっているはずなのだ。
そう、ことは出版業界にとどまらない。
永江さんの言葉を借りてあえて言うならば、
この国のそこここに「アイヒマン」がいるではないか。
そしてまた、実際に唯々諾々と行動しないまでも
見て見ぬふりをして黙っていることだって「共犯」になりえるのだ。
あるいはもしかすると永江さんは
そうした「共犯」にだけはなりたくないと思っているのかもしれない。



本も食べ物も後味の悪くないものが好きです。気に入ると何度でも同じ本を読みますが、読まず嫌いも多いかも。2020.10.1からサイト献本書評以外は原則★なし(超絶お気に入り本のみ5つ★を表示)で投稿しています。
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この書評へのコメント
- 三太郎2020-01-24 06:40
かもめ通信様
この本を読んでいないので「ヘイト本」の定義がよくは分からないのですが、韓国関係のことだと想像して、「嫌韓本」で検索してみると、いろんなタイプの本がありそうです。文大統領が頑張っている間は売れるのでしょうか。
僕の見知っている韓国の人は真面目そうな人ばかりだから、本を読んで影響されることはなさそうですが。
本もジャーナリズムの一種だとみれば、ヘイト本の存在を(あからさまな差別は別にして)はなから否定もできないのではないでしょうか。
この際だからどんなものか一冊くらいは読んでみようかな。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - かもめ通信2020-01-24 07:18
三太郎さん、私もこの本における、ヘイト本の定義についても触れるべきだとは思ったのですが、とにかく長くなりすぎてしまったので……(いいわけ)
韓国を例にあげていただいたので、それにのって若干説明させていただくと、
この本におけるヘイト本の定義は、
「差別を助長し、少数者への攻撃を扇動する、憎悪に満ちた本」のことで、
政府や政権や政策、個々を政治家を批判する本のことではなく、
「その人の意思では変えられない属性--性別・民族・国籍・身体的特徴・疾病・障害・性的指向など--を攻撃する」本。
例えば「一見すると韓国政府の政策を批判したり、韓国社会を批判しているかのように装いながら、「韓国人だからダメなのだ(そして韓国にルーツをもつ人もダメなのだ)」と思わせるように書かれている」本だとしています。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - oldman2020-01-25 10:44
横から失礼します。
本書を読んでしばらく時間が経ちました。
かなり考える時間もあったのですが、嫌韓・嫌中という思想がどこから生まれるのか、それがとても不思議でなりません。
本屋が街に有るということはとっても大事な事です。例えそれが小さな本屋でも必要です。
本は文化であり、本屋はその発信地なんです。
確かに本を買うのは賭けです。
賭けで良いのです。賭けだからこそ当たった時の喜びはこの上ないのです。
読書というのは一種の賭けだと思っています。
また、当たりを探して本を読みます。当たった時の歓びを期待して本を読みます。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - かもめ通信2020-01-25 14:17
そうですね。自分にとっての当たりの本を引き当てるためにも,これからも皆様のレビューを参考にさせていただきます。
ちなみにこの本は,Twitterで話題になっていたのをうけて,こちら↓の掲示板で紹介させていただいたところ,本が好き!編集部が版元さんに交渉して下さって献本提供していただいた本でもあります。
最近出た本、これから出る本 ここに注目!話題の本!!
https://www.honzuki.jp/bookclub/theme/no375/index.html?latest=20
編集部のお骨折りのおかげで,嬉しいことにこの掲示板をきっかけに,既に何冊もの献本が実現しました。
皆様もぜひ,気になる新刊本をご紹介下さいね!クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - 脳裏雪2020-01-26 13:45
「ヘイト本」であるか否か、「良書」なのか「悪書」なのかは読み手によるとおもいます、本屋に並べる前から決まっているハズはない、
事前に本の峻別をしてはならない、それは危険な行為だとおもいます、本は読み手が選ぶのです、ブーム本は必ず消え去ります、感冒みたいなもんです、時代に淘汰されるでしょう、
所謂アイヒマンはいつの時代も居る、状況によって現れてくるんだとおもう、
そうです、悪意も善意も無い実行者が一番危険だよね、
本屋さんのあるべき姿というは妄想ですね、本屋は現実なのだ、今ある本屋は今社会を反映しているのです、
勝手を云いましたが、他意はありません、
ナンちゃら不自由展の経緯顛末と似てるかも、クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 - かもめ通信2020-01-26 18:40
誤解があるといけないので、説明させていただくと
この本は「本は読み手が選ぶもの」であることを否定している訳ではなく
「これこれこういう本を売ってはいけない」と言っている訳でもないのです。
普通、読者は、なかなか本の流通の仕組みまでは知らないので、
店頭に高く積まれている本を見て、
「今売れ筋はこういう本なんだな」とか「この本屋が売りたい&売れると思って
仕入れた本なんだな」と思ってしまうこともあると思うんですよね。
だからそういう仕組みを説明した上で
店頭の平台に高く積み上げている本を、本屋はちゃんと吟味していないのではないか、
ただ取次を通してドンと送りつけられてきたままに積み上げて、
売れなければそのまま返品して……それを単純に繰り返すことで
結果としてヘイトに荷担しているのではないかと言っているのです。クリックすると、GOOD!と言っているユーザーの一覧を表示します。 コメントするには、ログインしてください。
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