darklyさん
レビュアー:
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現在のリアルなフランスの社会状況を描く問題作。最もリアルなのはどのような社会になるのが理想的なのか提示できないところである。
主人公フロラン=クロード・ラブルストは46歳で抗うつ剤が必要な状況だ。貴族階級の出であり親の遺産により現在のところ金に困っていない。現在交際中の日本人女性ユズにも仕事にもうんざりし、社会に別れを告げホテルにひきこもる。過去の女性遍歴を回想したり、実際に過去に交際した女性と会って幻滅したり。
学生時代唯一の友人であり同じく貴族の出であるエムリックに会うために彼の城を訪れたが彼は夢破れ家庭が崩壊し酒におぼれていた。妻はピアニストと駆け落ちし農場の経営はEUの自由化の波にのまれ風前の灯火。農業食糧省で働いていたフロランは誰よりもフランス農業の行く末を知っており何も言えない。そしてエムリックは悲劇的な最期を迎える。
フロランは過去付き合った女性の中で別れたことを後悔し、彼女とならばもう一度人生をやり直せるのではないかと夢想するカミーユという女性の居所を突き止めた。彼女はシングルマザーで幼い息子がいた。フロランは息子がいなければ自分とやり直せるのではないかと考えるが、彼はそれが捨てきれない希望に過ぎないことを知っていた。
確かにフロランという主人公に共感する同じような苦しみを抱えている人たちは現在フランスに沢山いるのでしょう。フランスとは文化が違えども日本においてもひきこもり問題を含め本質的に同じ現象が起こっています。それは自由であるがゆえに他者との関係を上手く構築できず世の中の変化に対応できない人たちが感じる孤独は耐えがたいものとなり精神的に袋小路に追い詰められていく現象です。例えば家柄が重要であった時代においてはオートマティックに他者との関係が定められ配偶者も親が決める場合もあったでしょう。その時代ではある程度自動的に自分の人生の軌道が決まっていました。自由な時代というのは意思決定の責任も自分が負わなければなりません。それは人によってはしんどいことだろうと思います。
フロランはすべてに絶望し自分の人生の幕を閉じようと考えます。しかしそのような状況においても頭では分かっていてもどうしても希望を捨てることができない人間と言う存在に対して何とも言えない愛おしさを感じてしまいます。
もう少しマクロ的な話にすれば第二次世界大戦後、先進国においては自国が戦場になる戦争は起こっていません。自分の命を守る、飯を食うことに必死だった苦しい時代を繰り返したくないという願いが今日の平和を築いていることは間違いありません。平和になり民主主義、人権第一、グローバル化が進んでいく世の中というのは誰でも成功のチャンスがあり誰でも希望を持てる世の中であるに違いないと我々が希求してきたものではなかったのか。結果起こったことは一部の者だけが富むだけの格差と既得権益の崩壊。誰もが希望を持っていたからこそ失望に変わったときの反動が大きい。その結果が今日のトランプのアメリカを始めとする自国中心主義や移民排斥の動きにつながっているのではないか。
ウェルベックは「服従」でフランスにおいて無気力で無関心な民衆は目の前の利益に誘導され穏健で気前の良いイスラム政権が誕生するという近未来を描きました。この小説ではフロラン個人の結末を別にしてもフランス社会が今後どのようになっていくかについては何も触れられていません。ウェルベックにもそれは分からないのかもしれません。
今の我々が属する政治体制は過去と比較すれば良いものだとおもっていましたがもしかするとそうではないのかもしれません。人類は民主主義と独裁、自由と束縛や規制、戦争と平和を宿命的に繰り返さざるを得ない悲しい存在かもしれません。
細かいことかもしれませんが、フロランの彼女であった日本人女性ユズの倫理観の書かれ方が酷いです。そしてまるでこれが一般的な日本人女性の特徴であるかのように書かれています。それに対して中国人のことを「当たり障りなく、礼儀正しいに違いなかった」と言っています。ウェルベックは挑発的で偽悪的な人物のようなので、得てして日本文化や日本人に好意的だと思われるフランス人を揶揄する意図があったのかと思いましたが、解説を読むとなんとウェルベックは中国人女性と結婚したということです。嫁さんへのリップサービスなのか本当にそのようなイメージを持っているのか気になるところです。
学生時代唯一の友人であり同じく貴族の出であるエムリックに会うために彼の城を訪れたが彼は夢破れ家庭が崩壊し酒におぼれていた。妻はピアニストと駆け落ちし農場の経営はEUの自由化の波にのまれ風前の灯火。農業食糧省で働いていたフロランは誰よりもフランス農業の行く末を知っており何も言えない。そしてエムリックは悲劇的な最期を迎える。
フロランは過去付き合った女性の中で別れたことを後悔し、彼女とならばもう一度人生をやり直せるのではないかと夢想するカミーユという女性の居所を突き止めた。彼女はシングルマザーで幼い息子がいた。フロランは息子がいなければ自分とやり直せるのではないかと考えるが、彼はそれが捨てきれない希望に過ぎないことを知っていた。
確かにフロランという主人公に共感する同じような苦しみを抱えている人たちは現在フランスに沢山いるのでしょう。フランスとは文化が違えども日本においてもひきこもり問題を含め本質的に同じ現象が起こっています。それは自由であるがゆえに他者との関係を上手く構築できず世の中の変化に対応できない人たちが感じる孤独は耐えがたいものとなり精神的に袋小路に追い詰められていく現象です。例えば家柄が重要であった時代においてはオートマティックに他者との関係が定められ配偶者も親が決める場合もあったでしょう。その時代ではある程度自動的に自分の人生の軌道が決まっていました。自由な時代というのは意思決定の責任も自分が負わなければなりません。それは人によってはしんどいことだろうと思います。
フロランはすべてに絶望し自分の人生の幕を閉じようと考えます。しかしそのような状況においても頭では分かっていてもどうしても希望を捨てることができない人間と言う存在に対して何とも言えない愛おしさを感じてしまいます。
もう少しマクロ的な話にすれば第二次世界大戦後、先進国においては自国が戦場になる戦争は起こっていません。自分の命を守る、飯を食うことに必死だった苦しい時代を繰り返したくないという願いが今日の平和を築いていることは間違いありません。平和になり民主主義、人権第一、グローバル化が進んでいく世の中というのは誰でも成功のチャンスがあり誰でも希望を持てる世の中であるに違いないと我々が希求してきたものではなかったのか。結果起こったことは一部の者だけが富むだけの格差と既得権益の崩壊。誰もが希望を持っていたからこそ失望に変わったときの反動が大きい。その結果が今日のトランプのアメリカを始めとする自国中心主義や移民排斥の動きにつながっているのではないか。
ウェルベックは「服従」でフランスにおいて無気力で無関心な民衆は目の前の利益に誘導され穏健で気前の良いイスラム政権が誕生するという近未来を描きました。この小説ではフロラン個人の結末を別にしてもフランス社会が今後どのようになっていくかについては何も触れられていません。ウェルベックにもそれは分からないのかもしれません。
今の我々が属する政治体制は過去と比較すれば良いものだとおもっていましたがもしかするとそうではないのかもしれません。人類は民主主義と独裁、自由と束縛や規制、戦争と平和を宿命的に繰り返さざるを得ない悲しい存在かもしれません。
細かいことかもしれませんが、フロランの彼女であった日本人女性ユズの倫理観の書かれ方が酷いです。そしてまるでこれが一般的な日本人女性の特徴であるかのように書かれています。それに対して中国人のことを「当たり障りなく、礼儀正しいに違いなかった」と言っています。ウェルベックは挑発的で偽悪的な人物のようなので、得てして日本文化や日本人に好意的だと思われるフランス人を揶揄する意図があったのかと思いましたが、解説を読むとなんとウェルベックは中国人女性と結婚したということです。嫁さんへのリップサービスなのか本当にそのようなイメージを持っているのか気になるところです。
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昔からずっと本は読み続けてます。フィクション・ノンフィクション問わず、あまりこだわりなく読んでます。フィクションはSF・ホラー・ファンタジーが比較的多いです。あと科学・数学・思想的な本を好みます。
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- 出版社:河出書房新社
- ページ数:304
- ISBN:9784309207810
- 発売日:2019年09月26日
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