たけぞうさん
レビュアー:
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不完全でぐずぐずと考えをめぐらす描写が、刺さる刺さる。
又吉さんを作家さんと呼んでも何も問題ないでしょう。
そもそも、作家/芸人とぱきっと色分けすること自体、何の意味もないです。
むしろそれは、又吉さんという人を自分のものさしに当てはめ、
自分を安心させようとするための理解方法ですから。
────── 実は、こんなことが、うだうだ、うだうだ、うだだだだっと
書いてあります。嫌だと思う人はいるでしょうね。
なんだこの中二小説は、くどい、早く物語を始めろってね。
わたしは傑作だと思いましたよ。
特に最初の数十ページが、この物語の立ち位置をしっかりと示しています。
合う合わないは、そこで分かります。
正直に言って痛くて見ていられないという感覚があります。
著者が太宰治に心酔していることが重なります。
人間の内面を書いているのですが、書き方がどうにも重たくてですね。
徹底して内省的で、よくここまでさらけ出したなという感覚が
実感をともなってこころを震わせるレベルです。
主人公は永山。美術の専門学校に通い、
似たような環境にいた学生同士の安アパートでぐずついた時間を過ごし、
いまはカット程度の絵と文章を書いて生活しています。
本文の二ページ目に書いてあり、このジレンマこそが永山を突き動かす
原動力で、同時に悩みの穴の入口でもあるのです。
安アパートで過ごした時期を知る人から、永山にメールが届きます。
その人はある事件のあとで入居した知り合いで、
永山にとっては希薄な存在ですが、世間向けに作品を発表しているからなのか、
向こうはそう思っていない感じです。
機嫌を取ろうとしているのかもしれません。
そんな見方をすると、いやらしい下心があるようにも見える人物です。
メールのタイトルがこれです。
「踏むことのなかった犬のクソみたいな人生(笑)」
センスにしびれました。読了後、このタイトルのばかばかしさと深さに、
なんとも言えない哀愁を感じました。
そうだよな、犬のクソのくせに踏んですらもらえなかったら、
クソの存在感すらないよな、などとつらつら考えてしまいます。
いくつか印象に残るシーンがあります。
目に止まるのは、自分に都合のいい解釈をくり返す永山の思考パターンと、
ナカノタイチという凡人代表が持つSNS的な群集心理の暴力に、
対峙していく奥の存在感です。
TVで見かける又吉さんから連想される部分があります。
ある部分は永山だし、奥と重なる部分もあるし、ナカノタイチ的な心理を
恥じている気持ちもあるでしょう。
これは、そんな心理を不安定の塊として書いた物語であり、
しかも題名を「人間」としたところに又吉さんの誠実さを感じます。
又吉さんの小説には、先輩芸人が出てきたり、小説を書く人や
やたら内省的な人がいたり、面倒くさい手前勝手な思考をする人など、
著者自信を彷彿とさせる部分が多いです。
火花の時から気になるのですが、それをやっぱりみたいな言葉で
ひとまとめにし、属性だけで分かったようなコメントを見る場合があります。
この小説もきっとそう言われるでしょう。
作者が自分の日常や人間性から影響を受けるのは当たり前じゃないですか。
むしろ、見たことも聞いたこともない物語を書くことが出来るなんて
考える方に無理があります。
でも、小説家にそんな幻想を持つ人はいると思うのですね。
だいたい、こう書いている自分にもそんな幻想がある気がしますし、
そんなのあり得ないと分析すると自分の頭の中で自己矛盾に陥り
ぐるぐる回ってしまいます。
そんな答えのない面白さを、この小説は書いている気がするのです。
不完全だし、特にラストの父親のエピソードはとってつけた感があり、
むうという気分になります。その不完全さがかえって潔くて、
わたしはこの作品を大いに気に入りましたよ。
そもそも、作家/芸人とぱきっと色分けすること自体、何の意味もないです。
むしろそれは、又吉さんという人を自分のものさしに当てはめ、
自分を安心させようとするための理解方法ですから。
────── 実は、こんなことが、うだうだ、うだうだ、うだだだだっと
書いてあります。嫌だと思う人はいるでしょうね。
なんだこの中二小説は、くどい、早く物語を始めろってね。
わたしは傑作だと思いましたよ。
特に最初の数十ページが、この物語の立ち位置をしっかりと示しています。
合う合わないは、そこで分かります。
正直に言って痛くて見ていられないという感覚があります。
著者が太宰治に心酔していることが重なります。
人間の内面を書いているのですが、書き方がどうにも重たくてですね。
徹底して内省的で、よくここまでさらけ出したなという感覚が
実感をともなってこころを震わせるレベルです。
主人公は永山。美術の専門学校に通い、
似たような環境にいた学生同士の安アパートでぐずついた時間を過ごし、
いまはカット程度の絵と文章を書いて生活しています。
生まれた瞬間を最後に、自分は心の底から叫んだことがないのかもしれない。通読して、書評にまとめようと最初に戻り、目についた段落です。
誰でもそんなものだろうか。叫びと言わずとも、たとえば産声とおなじ純度で、
なにか言葉を正直に発したことがあっただろうか。自分が生きてきた
三十八年間は嘘ばかりで、からっぽだったのかもしれない。
本文の二ページ目に書いてあり、このジレンマこそが永山を突き動かす
原動力で、同時に悩みの穴の入口でもあるのです。
安アパートで過ごした時期を知る人から、永山にメールが届きます。
その人はある事件のあとで入居した知り合いで、
永山にとっては希薄な存在ですが、世間向けに作品を発表しているからなのか、
向こうはそう思っていない感じです。
機嫌を取ろうとしているのかもしれません。
そんな見方をすると、いやらしい下心があるようにも見える人物です。
メールのタイトルがこれです。
「踏むことのなかった犬のクソみたいな人生(笑)」
センスにしびれました。読了後、このタイトルのばかばかしさと深さに、
なんとも言えない哀愁を感じました。
そうだよな、犬のクソのくせに踏んですらもらえなかったら、
クソの存在感すらないよな、などとつらつら考えてしまいます。
いくつか印象に残るシーンがあります。
目に止まるのは、自分に都合のいい解釈をくり返す永山の思考パターンと、
ナカノタイチという凡人代表が持つSNS的な群集心理の暴力に、
対峙していく奥の存在感です。
TVで見かける又吉さんから連想される部分があります。
ある部分は永山だし、奥と重なる部分もあるし、ナカノタイチ的な心理を
恥じている気持ちもあるでしょう。
これは、そんな心理を不安定の塊として書いた物語であり、
しかも題名を「人間」としたところに又吉さんの誠実さを感じます。
又吉さんの小説には、先輩芸人が出てきたり、小説を書く人や
やたら内省的な人がいたり、面倒くさい手前勝手な思考をする人など、
著者自信を彷彿とさせる部分が多いです。
火花の時から気になるのですが、それをやっぱりみたいな言葉で
ひとまとめにし、属性だけで分かったようなコメントを見る場合があります。
この小説もきっとそう言われるでしょう。
作者が自分の日常や人間性から影響を受けるのは当たり前じゃないですか。
むしろ、見たことも聞いたこともない物語を書くことが出来るなんて
考える方に無理があります。
でも、小説家にそんな幻想を持つ人はいると思うのですね。
だいたい、こう書いている自分にもそんな幻想がある気がしますし、
そんなのあり得ないと分析すると自分の頭の中で自己矛盾に陥り
ぐるぐる回ってしまいます。
そんな答えのない面白さを、この小説は書いている気がするのです。
不完全だし、特にラストの父親のエピソードはとってつけた感があり、
むうという気分になります。その不完全さがかえって潔くて、
わたしはこの作品を大いに気に入りましたよ。
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ふとしたことで始めた書評書き。読んだ感覚が違うことを知るのは、とても大事だと思うようになりました。本が好き! の場と、参加している皆さんのおかげです。
星の数は自分のお気に入り度で、趣味や主観に基づいています。たとえ自分の趣味に合わなくても、作品の特徴を書評で分かるようにしようと務めています。星が低くても作品がつまらないという意味ではありません。
自己紹介ページの二番目のアドレスは「飲んでみた」の書評です。
三番目のアドレスは「お絵描き書評の部屋」で、皆さんの「描いてみた」が読めます。
四番目のアドレスは「作ってみた」の書評です。
よかったらのぞいてみて下さい。
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- 出版社:毎日新聞出版
- ページ数:368
- ISBN:9784620108438
- 発売日:2019年10月10日
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