darklyさん
レビュアー:
▼
基本書評集だがそれにとどまらない哲学者による思索、本の読み方、味わい方。とても共感できる部分が多く今年出逢った本のベスト候補です。
もう、「はじめに」からこの本の虜に。
本書の前半は普通の短い書評が沢山載せられています。本自体に興味あるものもないものも、著者の評にピンとくるものこないのも色々ありますが、書評の書評をしても仕方がありませんのでそこはスルーして、とても感銘を受けた「Ⅱ もっと深く」という章から二つ紹介します。
著者が編者となって出版された「子供の難問」という本があります。この本もずっと読みたいと思いながら未だ読んでないのは残念なのですが、子供がするような質問に三人の哲学者が答えるという本です。そして本書では、二つの質問を取り上げています。その質問に対する哲学者の答えについて著者が考察し文章にしたものをまたその哲学者に読んでもらい論評してもらうというものです。
そのうち感銘を受けたものを紹介しますと、「ぼくはいつ大人になるの?」という質問に対するものです。これに対して熊野純彦さんの答えは「大人とは、遥かにとおい思いをいだく存在である」というものです。熊野さんは自分以外のものを知らないし知る必要がない子供がかけがえのないものを知り、それを失うことにより大人になり、「切なさ」や「懐かしさ」を覚えるようになると答えます。
それに対して著者は熊野さんの考えを解釈するわけですが、またそれに対しての熊野さんの返事が秀逸すぎます。著者の「懐かしさ」という言葉の解釈を「悔い」という言葉で定義し直します。それを説明するものとして西原理恵子さんの「ちくろ幼稚園」という漫画作品の中の「じゃあね」という四コマ漫画を載せています。これ見た時に思わず涙が込み上げてきました。大人にしか分からない「悔い」を見事に表現しています。
そして本書の最後は【「土神ときつね」(宮沢賢治)を読む】という章です。著者は小説を読むときに人物の思いや気持ちを考える「心理分析」だけではなく「相貌分析」も駆使して読むべきだと提唱しています。
最後に小説に対する著者の考え方に共感しますので紹介します。
私の書評には普段それほど引用はないのですが本書は紹介したい文章が多すぎてこんな風になってしまいました。本を愛するこのサイトの皆さまの中には本書の内容に共感できる方も多いのではないかと思います。
やはり紙のページをめくりたい。ベッドにひっくりかえって本を読んでいて、眠くなると本を開いたまま顔の上にのっけて、本を目枕がわりにうとうとする。そのときのそこはかとない紙とインクのにおい、よくないですか?
本を開く。とぽん。静かに海に入る。そしてゆっくりと潜っていく。体が海に包まれる。静けさの中で、本の声だけが聞こえてくる。そうしてしばし耳を澄ませ本の世界を味わって、海面へと浮上する。特に好きなのが
一度読んだだけではよく分からないというのは、むしろチャンスである可能性が高い。二度、三度と読む。本の中に潜っていって、聞こえてくる声に耳を澄ます。そうすると、あるとき「あ、そうか」と気づくかもしれない。それこそが本からの贈り物なのだ。いままで自分がもっていなかったものを、そのときあなたは手にしたのだから耳が痛いのが
アメリカ文学の研究者である都甲幸治さんが、あるとき、学生たちに「自由に読むことと勝手に読むことは違う」と教えているんだとおっしゃっていた。はい、肝に銘じておきます。はい、肝に銘じておきます。
本書の前半は普通の短い書評が沢山載せられています。本自体に興味あるものもないものも、著者の評にピンとくるものこないのも色々ありますが、書評の書評をしても仕方がありませんのでそこはスルーして、とても感銘を受けた「Ⅱ もっと深く」という章から二つ紹介します。
著者が編者となって出版された「子供の難問」という本があります。この本もずっと読みたいと思いながら未だ読んでないのは残念なのですが、子供がするような質問に三人の哲学者が答えるという本です。そして本書では、二つの質問を取り上げています。その質問に対する哲学者の答えについて著者が考察し文章にしたものをまたその哲学者に読んでもらい論評してもらうというものです。
そのうち感銘を受けたものを紹介しますと、「ぼくはいつ大人になるの?」という質問に対するものです。これに対して熊野純彦さんの答えは「大人とは、遥かにとおい思いをいだく存在である」というものです。熊野さんは自分以外のものを知らないし知る必要がない子供がかけがえのないものを知り、それを失うことにより大人になり、「切なさ」や「懐かしさ」を覚えるようになると答えます。
それに対して著者は熊野さんの考えを解釈するわけですが、またそれに対しての熊野さんの返事が秀逸すぎます。著者の「懐かしさ」という言葉の解釈を「悔い」という言葉で定義し直します。それを説明するものとして西原理恵子さんの「ちくろ幼稚園」という漫画作品の中の「じゃあね」という四コマ漫画を載せています。これ見た時に思わず涙が込み上げてきました。大人にしか分からない「悔い」を見事に表現しています。
そして本書の最後は【「土神ときつね」(宮沢賢治)を読む】という章です。著者は小説を読むときに人物の思いや気持ちを考える「心理分析」だけではなく「相貌分析」も駆使して読むべきだと提唱しています。
私たちはものごとをさまざまに意味づけ、価値づけて生きています。この、意味づけられ、価値づけられたものごとのあり方が、私が「相貌」と呼ぶものです。陳腐な例になりますが、ビンに飲み物が半分入った状態を、ある人は「もう半分しかない」と見ますし、またある人は「まだ半分ある」と見るでしょう。この見方の違いが、相貌の違いです。この例で分かるように、相貌は「誰にとっての」相貌なのかが問題になります。注意したいのは、相貌はけっして人によってまったくバラバラというわけではないということです。むしろ圧倒的に多くの相貌が共有されています。あるものが「テーブル」という相貌を持つことは私たちの間で共有されているでしょう。同様に、テーブルの上にあるのがコーヒーカップだということも、私たちの間で共有されています。でも、もしそれが私にとってとても思い出深いだいじなコーヒーカップだったとしたならば、私にとってのその相貌は、必ずしも他の人に共有されていません。だからものごとの相貌というのは、こんなふうに他人と共有される部分と共有されない部分をあわせもっているのです。このことを頭に入れたうえで「土神ときつね」を全文読んだ後に著者が分析します。この作品はすっと筋だけ読んでしまうとよく分からない結末となります。「心理分析」と「相貌分析」による読書にうってつけの材料です。読んだあと私の解釈と著者の解釈はそれほど違いがなくなんとなく嬉しくなりましたが、これほど明瞭かつ論理的な文章で解説できるのはさすがとしか言いようがありません。
最後に小説に対する著者の考え方に共感しますので紹介します。
小説を読むときに、文体とか描写の細部に目がいかないような読み方は、ものすごくもったいないと思うんですね。粗筋のレベルで楽しめる小説もあるでしょうが、どんな小説でも、大なり小なりその魅力のいくばくかは粗筋を越えた文体やディテールにあります。
私の書評には普段それほど引用はないのですが本書は紹介したい文章が多すぎてこんな風になってしまいました。本を愛するこのサイトの皆さまの中には本書の内容に共感できる方も多いのではないかと思います。
お気に入り度:









掲載日:
外部ブログURLが設定されていません
投票する
投票するには、ログインしてください。
昔からずっと本は読み続けてます。フィクション・ノンフィクション問わず、あまりこだわりなく読んでます。フィクションはSF・ホラー・ファンタジーが比較的多いです。あと科学・数学・思想的な本を好みます。
この書評へのコメント
コメントするには、ログインしてください。
書評一覧を取得中。。。
- 出版社:岩波書店
- ページ数:224
- ISBN:9784000237406
- 発売日:2019年07月26日
- Amazonで買う
- カーリルで図書館の蔵書を調べる
- あなた
- この書籍の平均
- この書評
※ログインすると、あなたとこの書評の位置関係がわかります。
『そっとページをめくる――読むことと考えること』のカテゴリ
登録されているカテゴリはありません。